95 情報収集
静かに進む馬車の中で、オルタンシアはごくりと唾を飲みあらためて手元の招待状に目を通した。
今宵オルタンシアが向かうのは、リニエ公爵が主催する夜会だ。
(ジャネットにそれとなく聞いてみたけど、耳が早い彼女にすら今夜の夜会のことは伝わっていない。……よっぽど、招待する相手を厳選しているのね)
そんな秘密の夜会では、いったいどんな会話が交わされているのだろうか……。
緊張でバクバクと心臓が早鐘を打つるのを感じながら、オルタンシアは何度も深呼吸をする。
(もしかしたら、邪教崇拝集団への手がかりが見つかるかもしれない。注意しないと……)
邪教集団に捕らえられた時のことを思い出すと、今でも体が震えてしまう。
だが、怯えてばかりでは兄を救うことなど出来ないだろう。
オルタンシアはそっと首元のファーに擬態したチロルを撫で、覚悟を決めた。
夜会の舞台となるのは、王都の外れにあるリニエ公爵が所有する小宮殿だ。
緊張気味に入り口をくぐったオルタンシアは、大広間に集まった者たちをじっと観察した。
(社交界で見たこともある人もいるけど……まったく目にしたこともない人もいるのね……)
一見、オルタンシアが普段参加しているような夜会と変わらないように見える。
だが、彼らの間にはどこか緊迫したような……秘密を共有する者特有の空気が漂っているような気がしてならなかった。
オルタンシアと面識のある者たちが、オルタンシアに気づいて声をかけてくる。
だが彼らは当たり障りのない話を繰り返し、その態度はまるで何かを隠すような……こちらに向かって探りを入れてきているように思える。
会場内の者たちはちらちらとこちらの様子を窺っていて、オルタンシアは傍を通る時には明らかに声を潜めていた。
……まるで、オルタンシアには聞かれたくない話があるかのように。
(新参者の私には、話せないことがあるというわけね……)
情報を手に入れるには、彼らから信頼を得るか……もしくは、盗み聞きをするかだ
幸いにもオルタンシアには、こっそりと人の話を盗み聞きするスキルが備わっている。
(『聞き耳!』)
声をかけてきた貴族の当たり障りのない話に相槌を打ちながら、オルタンシアは『聞き耳』を発動させた。
「まさかヴェリテ公爵令嬢が現れるとは……」
「リニエ公爵はいったい何をお考えなのかしら……」
(うっ、思いっきり私の話してる……!)
どうやらオルタンシアがこの場にやって来たことは、彼らにとっては意外な出来事であるらしい。
(もっと、情報を集めないと……)
オルタンシアは冷や汗をかきながら、様々な人の会話へ耳を傾けていく。
「ヴェリテ公爵令嬢を通じてこのことが嗅ぎつけられたら――」
「だが、ヴェリテ家を抱き込むことができれば大きな力となる」
「我々の計画のためにも――」
(計画……?)
オルタンシアは更に耳を傾けようとしたが――。
「おやおや、これはこれは……」
急に近くから聞こえた声に、オルタンシアははっと注意を自身の周囲へと戻す。
見れば、こちらに向かってリニエ公爵その人が歩いてくるところだった。
「お招きいただき感謝いたします、公爵閣下」
オルタンシアがアナベル直伝の完璧なお辞儀を披露すると、リニエ公爵は満足そうに目を細める。
「こちらこそ、ヴェリテ公爵令嬢にお越しいただき鼻が高い。ここには様々な者が集まっております、侯爵令嬢にとっても、知見を広める良い機会となりましょう」
リニエ公爵はそう言って優しく微笑む。
だが、彼の瞳の奥からは……どこかオルタンシアを値踏みするような視線を感じずにはいられなかった。
(……まだ、秘密を共有できる相手かどうか私を試しているのね)
どうやら彼は、素直にオルタンシアを仲間に引き入れる気はないようだ。
もっと彼から話を引き出すには、オルタンシアがそれに値する存在だということを示さなければ。
軽く会釈して、リニエ公爵は別の場所へと歩いていく。
その背中を見送り、オルタンシアは嘆息した。
(彼が私をここに招いた意図、それに「計画」についてもっと調べないと……)
だが、オルタンシアが近くにいては参加者の口も重くなってしまう。
(となると……)
オルタンシアは一目につかないようにそっと会場を抜け出し、手ごろなバルコニーへと出た。
そして静かに会場へと続く扉のカーテンを閉め、鍵をかける。
(アナベルによれば、バルコニーもよく逢引きに使われる場所の一つだったよね……)
だからアナベルは「いいですかお嬢様。決して不用意に近づいてはなりません」と言っていた。
(ごめんねアナベル。これもお兄様を――ひいてはヴェリテ家を救うためなのよ……!)
こうして偽装しておけば、短時間は放っておいてくれるだろう。
オルタンシアは素早く首元のチロルに触れ、声をかけた。
「チロルお願い、元の姿に戻れる?」
『戻っても大丈夫なのか?』
「うん、チロルにしかできないことがあるの!」
そう頼み込むと、一瞬もこもこのファーがぶるりと震えた。
そして――。
「わっ!」
次の瞬間、オルタンシアの腕の中に収まっていたのは元の姿のチロルだった。