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94 現れた手がかり

「王子殿下の妃候補だなんて、とんでもありませんわ。どう考えてもわたくしには荷が重すぎますもの。わたくしはあくまで臣下として、王子殿下と未来のお妃様を支えていけたらと思っております」


 あえて周囲に聞こえるような声で、オルタンシアはそう口にした。

 その言葉に目の前のデンダーヌ伯爵令嬢だけでなく、周囲の者たちも驚いたように息を飲んだ気配がした。

 だが、オルタンシアはどこかスッキリとした気分を味わっていた。


(うん、そうだよね。ヴィクトル王子とはいつかお友達になれたらと思っているけど……間違っても妃になんてなれないもの)


 オルタンシアは公爵令嬢として、父や兄を支えるのを目標としているのだ。

 デンダーヌ伯爵令嬢にはそう宣言しておきたかったし、オルタンシアの決意はすぐさま社交界全体に伝わることだろう。

 それで、いいのだ。


「あら……あらあらあら、そうでしたの……。あなた、思ったよりも賢明ね!」


 オルタンシアの言葉に驚いていたデンダーヌ伯爵令嬢だが、すぐにオルタンシアがヴィクトル王子を巡るライバルにはなり得ないと悟り、満面の笑みを浮かべた。

 そのわかりやすい態度に、オルタンシアは心の中で苦笑した。


(あなたは思ったよりもうっかり屋さんっぽいけどね……。はぁ、こんなにわかりやすい人に嵌められるなんて、一度目の私って相当要領が悪かったんだなぁ……)


 デンダーヌ伯爵令嬢はすっかり上機嫌になり、周囲の者たちに再び自慢話を繰り広げている。

 その光景を眺めながら、オルタンシアはそろそろと彼女から距離を取る。


(ヴィクトル王子の妃選定に口を出す気はないけど……できれば、デンダーヌ伯爵令嬢はやめてほしいな……)


 そんなことを考えながら、オルタンシアはなんとか人の少ない壁際まで退くことができた。

 やっと落ち着ける……と、小さく安堵の息を吐く。

 そんな時だった。


 ――パチパチ、と。すぐ近くから小さな拍手の音が聞こえ、オルタンシアはぱっと顔を上げる。


 見れば、すぐ近くにいる紳士が手を叩きながら、オルタンシアに向かって笑いかけていた。


「お見事でした、ヴェリテ家の姫君」


 おそらくは、父と同年代だろう。

 その紳士は愉快そうな……それでいて、どこか試すような視線をこちらに注いでいる。

 オルタンシアは動揺を表に出さないように微笑み、素早く目の前の男性を観察した。


(私の記憶にはない……少なくとも、こうやって話すのは初めてのようね)


 身に纏う衣装は、落ち着いたものではあるが縫製や質感を見る限り間違いなく一級品だ。

 品の良さからも考えて、おそらくはオルタンシアと同等の高位貴族なのだろう。


(他に、何かヒントは……)


 少々焦りながら目の前の男性の胸元のあたりに視線を走らせたオルタンシアは、きらりと輝くネックレスに目を留めた。

 純銀のネックレスは、一目見ただけで感嘆するような複雑な意匠を形作っている。

 その意匠を目にした途端、オルタンシアは驚きのあまり息を飲んだ。


(あれは……家紋! しかもあの家紋って……リニエ公爵家!?)


 アナベルのレッスンで何度も目にした貴族名鑑に、その家紋は載っていた。

 ヴェリテ公爵家を含む四大公爵家とはまた違った成り立ちの公爵家――すなわち、傍系王族の血筋だ。

 現在のリニエ公爵家の当主は、国王の従兄弟にあたるはずだ。

 ……年齢は一致する。ということは、目の前のこの人物は――。


「……ごきげんよう、リニエ公爵閣下。お目にかかれて光栄ですわ」


 いちかばちかに賭けて、オルタンシアはアナベルにしごかれた完璧な作法で目の前の紳士にお辞儀をしてみせる。

 彼はそんなオルタンシアを愉快そうに眺め……感心したとでもいうように手を叩いてみせた。


「ほぉ、さすがですな。ヴェリテ公爵家の姫君は聞いていた以上に聡明のようだ。こちらこそ、お会いできる日を楽しみにしておりました、ヴェリテ公爵令嬢」


 その反応に、オルタンシアは安堵のあまり脱力しそうになってしまう。


(よ、よかった……合ってたみたい……!)


 やはり目の前の人物は、傍系王族のリニエ公爵なのだろう。

 しかしなぜ、彼はいきなりオルタンシアに声をかけてきたのか。

 そんな疑問に答えるように、リニエ公爵は朗らかに話し始める。


「いきなり声をかけてしまい申し訳ない。ただ……先ほどの、デンダーヌ伯爵令嬢との会話が少々耳に入りましてね」

「そんな、お恥ずかしい……」

「いえいえ、彼女は確実にあなたに難癖をつけようとしていた。一度敵視されれば厄介なことになるのは火を見るよりも明らかだ。ですが……あなたは見事に降りかかる火の粉を払ってみせた」


 リニエ公爵の口元が弧を描く。

 オルタンシアは緊張しながらも、彼の次の言葉を待った。


「あなたであれば、きっと賢明な王妃になれるでしょうに。ヴィクトル王子殿下はお気に召さないのですか?」

「まさか、とんでもありません。デンダーヌ伯爵令嬢に申し上げた通り、わたくしは自分が妃の器に足るとは思っておりません。ヴィクトル王子殿下のことは、臣下として敬愛しております」


 微笑みながらそう告げると、リニエ公爵は何がおかしいのかくつくつと笑った。

 そして、ぐい……とこちらに身を寄せてくる。

 身構えるオルタンシアの耳元で、リニエ公爵は小声で囁いた。


「……もっとあなたと話がしたくなりました。よろしければ、『我々』のパーティーへお越しください。決して損はさせません。賢明なあなたに似合いの席を用意いたしましょう」


 そう言うと、リニエ公爵はオルタンシアの手に一枚の招待状を握らせた。

 そして、何事もなかったかのように去っていく。

 残されたオルタンシアは、震える手で渡されたばかりの招待状に視線を落とした。


(もしかして、これが……?)


 オルタンシアの求める突破口になのか。

 それとも……破滅への入り口なのか。

 現れた手がかりを前に、オルタンシアはごくりとつばを飲み込んだ。

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