<< 前へ  次へ >>  更新
93/93

93 前世の因縁

 父や兄の目が屋敷を不在にしている間に、オルタンシアは積極的に社交界を渡り歩くようになっていた。

 さすがに「ヴェリテ公爵家の娘」というネームバリューは強大で、行く先々で(表向きは)歓迎されたものだ。

 少しずつ、知り合いも増えていった。

 こうしていけばいつか邪教崇拝集団の尻尾を掴めるのではないか……とオルタンシアは常に目を光らせているのだが、今のところ有力な手掛かりにはたどり着けていない。


(早くしないと、お兄様が……!)


 だんだんと、焦りは募っていく。


『どうした、シア。顔色が悪いぞ?』

「……ううん、大丈夫だよ。心配してくれてありがとう、チロル」


 ……今宵も夜会へと向かう馬車の中。

 いつものように首元のファーに擬態したチロルが、心配そうに声をかけてくる。

 そんなチロルを撫でながら、オルタンシアはそっと微笑んだ。


 今夜の夜会はかなりの大規模で、オルタンシアが見たことの無い者も多数参加していた。

 この中に邪教と関わりのある者がいるかもしれない……と思うと自然と身が引き締まる。

 オルタンシアはいつも以上に周囲に気を配りながら、出会う貴族とあたりさわりにない会話を繰り広げていく。

 そんな時だった。


「あらあら、そちらにいらっしゃるのはヴェリテ公爵令嬢ではなくって?」


 急に背後から聞こえた声に、オルタンシアは驚きのあまり心臓が止まりそうになってしまう。


 ……この声は、知っている。

 できることなら、今すぐここから逃げ出したい。

 だが声をかけられてしまった以上、無視して逃げ出せばよからぬ疑いを呼ぶだろう。


 オルタンシアは気を落ち着けるように息を吸い、意を決して背後を振り返った。

 果たしてそこにいたのは、オルタンシアの予想通りの人物だった。


「……ごきげんよう、デンダーヌ伯爵令嬢」

「あら、わたくしのことをご存じでしたのね。一度も我が家が主催するパーティーにはいらっしゃらないから、わたくしのような下々の者など目に入っていないのかと思いましたわぁ」


 そんな嫌味な言葉を口にしながら、目の前のデンダーヌ伯爵令嬢は意地の悪い笑みを浮かべている。

 国内有数の侯爵家の娘であるオルタンシアに対して、このように真正面から喧嘩を売ってくる相手は稀だ。

 それに何より……彼女は一度目の人生でオルタンシアが処刑される原因となった人物でもある。

 嫌な記憶が蘇り、オルタンシアは気圧されそうになってしまう。


(駄目、落ち着いて……。彼女を敵に回すことだけは避けないと……!)


「下々の者」などと言うが、彼女もれっきとした名家の令嬢であり、社交界でもそれなりの影響力を持っている。

 それこそ、一度目の人生ではオルタンシアと同じように、ヴィクトル王子の花嫁候補に選ばれたのだ。


 そして、彼女は類まれなる野心家だ。


 一度目の人生で、自ら毒を飲みヴィクトル王子の関心を引こうとするくらいには。

 そんな相手に敵視されれば……良くないことが起こるに決まっている。

 挑発するような視線を受け止めながらも、オルタンシアは穏やかに微笑んでみせた。


「それはそれは……ご挨拶が遅くなってしまう申し訳ございません、デンダーヌ伯爵令嬢。もちろん、あなたのことは存じております。もっと早くにお会いしたいと思っておりましたの。次の機会には、是非デンダーヌ伯爵家の主催する催しにも出席させていただきますわ」


 下手に出るような形で、オルタンシアはあくまで友好的にそう告げた。

 デンダーヌ伯爵令嬢の性格を考えると、これが最善手だと思ったのである。

 どうやらオルタンシアの作戦は功を奏したようで、デンダーヌ伯爵令嬢は驚いたように目を丸くした後……まんざらでもないという風に笑ってみせたのである。


「ふぅん……、まぁ、そういうことなら仲良くしてあげてもよくってよ」

(どの口がそれを言うの……! 私が一度目の人生の通りに処刑されたら、あなただってお兄様に惨殺されちゃうんだからね!?) 


 ……などと言いたいのを堪え、オルタンシアはにこにこと笑みを顔に張り付けた。


 デンダーヌ伯爵令嬢はべらべらと自身や伯爵家の自慢を早口で繰り広げていたが、ふと何かを思い出したようにじっとオルタンシアの顔を見つめる。

 そして、唐突に問いかけてきた。


「そういえばあなた……婚約者はいらっしゃるの?」

「い、いえ……今のところはいません……」


 そう告げた途端、デンダーヌ伯爵令嬢の瞳に警戒の色が宿る。


「そう、それじゃあ……ヴィクトル王子殿下のことはどうお思いになって? 婚約者がいないのなら……あなたに妃候補のお声がかかるかもしれませんわ」

(来たっ……!)


 ほぼ初対面の相手に投げかけるのは不躾すぎる質問だ。

 だが、逆に考えればいい機会なのかもしれない。

 オルタンシアは動揺を表に出さないように微笑むと、ゆっくりと口を開いた。


<< 前へ目次  次へ >>  更新