92 変えられない運命
「ぐすっ……お兄様……」
一方傷心のまま部屋に戻ったオルタンシアは……べそべそと枕を涙で濡らしていた。
(お兄様……仲良くなれたと、思ってたのに……)
今までの優しい態度は全て演技で、本当はオルタンシアのことなど鬱陶しくてたまらなかったのだろうか。
(ううん、私はそうは思わない。きっと、お兄様にも何か事情があるのよ)
ずびっと鼻をすすって、オルタンシアはぎゅっと枕を抱きしめた。
女神の言葉によれば、ジェラールに魔神の魔の手が迫りつつあるという。
(もしかしたら、その影響で……?)
二度目の人生でオルタンシアとジェラールが築いた関係は、決して嘘じゃない。
だからオルタンシアには、どうしてもジェラールがあんな風に冷たい態度を取るのが信じられなかったのだ。
女神やヴィクトル王子の言葉から考えると、邪教集団の活動が活発になったことにより、魔神の影響力が増しているのかもしれない。
だとすればオルタンシアが思うよりも、ジェラールは危機的な状況にあるのかもしれない。
(だったら、もうグズグズしてる暇はないよね)
一刻も早く邪教崇拝集団の根城を暴き、ジェラールを守らなければ。
「パメラ、パメラはいる!?」
急いでそう呼びかけると、すぐにパメラはすっ飛んできた。
「どうされました、お嬢様!?」
「いきなり呼んでごめんなさい、パメラ。あのね……私宛に届いている招待状を、全部見せてもらえないかしら」
「えっ?」
オルタンシアの言葉に、パメラは驚いたように目を丸くしている。
「私の方で最低限選別したものではなく、すべての招待状を……ですか?」
「えぇ、その通りよ」
戸惑い気味のパメラをまっすぐに見つめ、決意を込めてオルタンシアは告げる。
「……本格的に、社交界に出ることにしたわ」
大切な兄を守るためならば、危険に飛び込むことも厭わない。
オルタンシアはそう覚悟を決めていた。
……互いを想うがゆえに、ジェラールとオルタンシアは少しずつすれ違い始めていた。
◇◇◇
「ごきげんよう、ヴェリテ公爵令嬢」
「今宵や父君や兄君や一緒ではないのですね」
「えぇ、私ももう成人をしておりますので。多少の夜遊びは許されておりますのよ」
夜会に顔を出すと、多くの貴族がオルタンシアへと声をかけてくる。
オルタンシアはいかにも「火遊びを覚えたばかりの好奇心旺盛なお嬢様」に見えるように振舞いながら、注意深く周囲を観察していく。
(この中に、邪教崇拝集団と関わる人がいるのかもしれない……)
オルタンシアは一度、彼らに誘拐され生贄にされかけている。
もう一度、無知でカモにされやすい娘だと思わせれば……彼らの中枢部へと繋がる手掛かりが得られるかもしれない。
というわけで、オルタンシアは日夜精力的に社交界に顔を出しているのだが――。
「つ、疲れる……」
どちらかというと内向的な性格のオルタンシアにとって、煌びやかな社交界はとにかく疲れる場所なのだ。
彼らの話についていくために、最新の流行や貴族同士の交友関係などを頭に入れておかなければならないのもなかなかにしんどい。
流行に敏感なジャネットと、細やかな気配りのできるエミリーの助けなしでは早々に潰れていたかもしれない。
「オルタンシア様、顔色が優れませんわ」
「少し休まれた方が……」
「だ、大丈夫……。今夜は侯爵様の主催の夜会だったよね……」
現在は公爵邸に集まり、情報交換を兼ねたプチお茶会の真っ最中だ。
連日の社交疲れでふらふらのオルタンシアに、ジャネットとエミリーは気づかわし気な視線を向けてくる。
「それじゃあジャネット、次に流行りそうなドレスの型について教えてもらえる?」
「それは構いませんけど……オルタンシア様、どうして急にこんなに積極的に社交界に顔を出すようになったんですか?」
(うっ……)
いつかは聞かれると思っていた。
それだけ、オルタンシアの変化は他者から見ても急なのだろう。
オルタンシアは気を落ち着けるように息を吸い、用意していた答えを告げる。
「それは……だって私たち、正式に社交界デビューをしたんだよ? 次は結婚相手を見つけなきゃいけないじゃない。条件の良い男性は早いもの順で売れていくんだろうし」
したり顔でそう告げると、ジャネットとエミリーは納得したように頷いた。
オルタンシアと同じ年頃の彼女たちも、同じようなことを考えてはいるのだろう。
「そういえばエミリー。あの侯爵令息との関係はどう? うまくいってる?」
「う、うまくなんて……ただ、文通をさせていただいてるだけで……」
さりげなく話の矛先を自身からエミリーへ逸らすと、彼女は頬を染めて俯いた。
「へぇ~、いい感じじゃん! ねぇねぇ、その侯爵家って――」
ジャネットも話に乗って来て、あれやこれやとエミリーを質問攻めにしている。
その平和な光景を眺めながら、オルタンシアはぼぉっと物思いにふけった。
(エミリーは一度目の人生と同じように、侯爵家の令息に見初められた……)
あの仮面舞踏会の夜、エミリーに話しかけてきたのは一度目の人生で彼女と婚約した侯爵令息だった。
……二人の運命は、一度目と同じように結ばれる道へと進んでいるのだ。
友人の恋路を祝福するのと同時に、オルタンシアはこれから待ち受ける運命を恐ろしく感じてしまう。
(どれだけ頑張っても……最終的には同じ結末に行きつくんじゃ……)
一度目の人生で、王家主催の仮面舞踏会が開かれた覚えはない。
ということは、エミリーと件の侯爵令息は別の出会い方はしたはずだ。
だが、二人は同じように結ばれようとしている。
オルタンシアがどれだけ足掻いても、運命という大きな流れの前では、無駄な抵抗なのかもしれない。
オルタンシアの死も、ジェラールの暴走も、変えられない運命なのでは――。
「で、オルタンシア様はどうなんですか?」
「えっ?」
急に話を振られて、物思いにふけっていたオルタンシアは慌てて顔を上げる。
見れば、ジャネットがきらきらとした瞳でこちらを見つめているではないか。
「えっと、何の話だっけ……?」
「またまたぁ~、そうやって誤魔化すってことは大盛況なんですね?」
「大盛況……?」
「オルタンシア様の婚活状況ですよ! これだけ積極的に活動してるんですもん、それはもう入れ食い状態ですよね!」
「えぇぇっ!?」
何やらとんでもない勘違いをされているようで、オルタンシアは慌ててしまった。
「ちょっと待って! 全然そんなんじゃないよ……!」
「なるほど、並みの男ではヴェリテ公爵家のご令嬢たるオルタンシア様のお眼鏡には適わないと」
「さすがです、オルタンシア様……」
「だから、そんなんじゃないってば……」
脱力するオルタンシアをよそに、ジャネットとエミリーは二人で盛り上がり始めてしまった。
「でもオルタンシア様なら本当に、王子殿下を射止めてしまいそうですね」
「私もそう思ってた! どうですか、オルタンシア様?」
「それはない! 王妃なんて、私には絶対無理だもん!」
「え~、もったいない……。でもジェラール様みたいに素敵な人が身近にいたら、他の有象無象の殿方なんて目に入りませんよね」
「こういう言い方は変かもしれませんが……。オルタンシア様とジェラール様はお二人でいらっしゃるのがぴったりと似合いすぎていて、お二人の間には誰も入ってほしくないというか……」
「わかる~」
謎の盛り上がりを見せるジャネットとエミリーの会話に、オルタンシアはくすりと笑った。
(そうだよね……くよくよ落ち込んでいても何にもならない。女神様は私にしかできないとおっしゃっていたし、私が折れちゃってどうするの)
目の前で談笑する友人に、膝の上には可愛い精霊のチロル。
屋敷の中に入れば頼りになる使用人もいて、大好きな父と兄も帰ってくる。
……一度目の人生と同じ結末になんて行かせない。
ここまで頑張って来たのだ。どんな手を使ってでも、運命を捻じ曲げ……兄と父を救わなければ。