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89 お兄様に、会いたいな

「うむむむむ……」


 思わずあくびが出そうなほどうららかな午後の日差しを受けて……オルタンシアは一人、眉間に皺を寄せてうんうんと考え込んでいた。

 頭を占めるのはもちろん……義兄ジェラールのことである。


(女神様は魔神がお兄様を狙っていると言ってたよね。それで、ヴィクトル王子によると邪神崇拝集団が再び活動を再開したって……)


 その二つがまったく無関係だとは思えない。

 いよいよ、ジェラールの元へ魔神の魔の手が伸びてきているのだろうか。


(駄目、そんなことはさせないんだから……!)


 ぶんぶんと首を横に振り、オルタンシアはぎゅっと拳を握り締めた。


(でも、どうすればいいんだろう。前にお兄様たちがやったみたいに、邪教集団を潰すことなんて私にはできないし……)


 オルタンシア一人の力には限界がある。

 完全に邪教崇拝集団を潰すには、もっと大きく組織的な力が必要となって来るだろう。

 ヴィクトル王子は「邪教集団が最近また秘密裏に活動を再開した」「社交界が彼らの仲間を増やす温床になっている」と言っていた。

 だが、そこまで言いながらもいまだに邪教集団が摘発されていないのは、尻尾を掴めていないのだろう。


(社交界が温床になっているということは、貴族の中にも彼らの支援者がいるってことだよね。それは、手を出しにくそう……)


 有力貴族が後ろ盾についていれば、おおっぴらに捜査もできていない可能性がある。

 だが……。


(私が証拠を掴んでお兄様に伝えれば、一網打尽にできるかも……)


 ジェラールの所属する黒鷲団は、こういったあまり表に出ない裏社会の事件の調査や処断も請け負っていると聞いたことがある。


(私が、うまく邪教集団の中心人物に近づくことができれば……)


 浮かんできた考えに、オルタンシアはごくりとつばを飲み込んだ。

 幼い頃、彼の教団に誘拐された時に見た、凄惨な光景が脳裏に蘇る。

 またあんな目に遭うのかと思うと、恐ろしくてたまらない。

 この温かく優しい屋敷の中で、いつまでも守られて過ごしていたい。


(でも……もたもたしていたら、手遅れになってしまうかも……!)


 前のように邪教集団が壊滅するのを待っていたら、ジェラールの身に取り返しのつかないことが起こってしまう可能性もある。


(私が、お兄様を守らなきゃ)


 二度目の人生で、再びジェラールに関わるようになってから……彼はいつも、オルタンシアを守ってくれた。

 だから今度は、オルタンシアが彼を守る番だ。


(大丈夫。私には女神様の加護もあるし、チロルだっていてくれるんだもの)


 オルタンシアは危険に飛び込む覚悟を決めたが、やっぱり怖いものは怖い。

 気を落ち着かせるためにお茶を飲もうとティーカップに伸ばした指先が震えているのに気が付いて、オルタンシアは苦笑した。


(お兄様に、会いたいな……)


 ジェラールのことを考えていたからか、急にそんな思いが沸き上がってくる。

 幸いにも今日のジェラールは非番で、屋敷にいるはずだ。

 いてもたってもいられず、オルタンシアは立ち上がった。


「ちょっとお話しするだけなら、大丈夫だよね……」


 そう自分に言い聞かせ、オルタンシアはそっと部屋を出た。




 非番の兄が屋敷の中で何をしているかというと……高確率で公爵家の仕事だろう。

 果たしてオルタンシアの読みは当たり、ジェラールの執務室の前までやって来た時、中からリュシアンがするりと出てくるのが見えた。


「リュシアン、お兄様はいらっしゃるかしら」

「えぇ、執務室にいらっしゃいますよ。ですが……」


 何か続きを言おうとしたリュシアンだが、急に意味深な笑みを浮かべ、オルタンシアを手招いた。


「いえ、きっとお嬢様ならジェラール様もお喜びになるでしょう。さぁ、中へどうぞ」


 彼の態度を怪しみつつも、オルタンシアは少しだけ開いた扉から室内へと体を滑り込ませる。

 だがリュシアンは後に続かず、オルタンシアの背後でそっと扉が閉まる音がした。

「あれ?」と思いながら、オルタンシアが室内に視線を走らせると――。


「わぁ……!」


 思わず驚きの声が漏れそうになってしまい、オルタンシアは慌てて自らの手で口を覆った。

 視線の先の執務机では……世にも珍しいことに、ジェラールが机にもたれるようにしてうたた寝をしていたのだから。


(お、お兄様がこんな風に寝てるのなんて、初めて見たかも……)


 あまりにもレアな光景に、オルタンシアは自分の鼓動が早まるのを感じていた。

 起こすのは悪いのでこのまま退室しようかとも思ったが、つい好奇心に負けて、オルタンシアはそろそろとジェラールの元へ忍び足で近づく。

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