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85 マスカレードは突然に

 今夜の仮面舞踏会は、傍系王族の所有する宮殿にて開催される。

 宮殿エントランスへと続く前庭は煌々と照明が灯され、既に多くの馬車と人でごったがえしていた。

 楽しげに談笑しながら宮殿へと入っていく者たちは、皆正体がわからないように仮面を身に着けている。


「私たちも忘れないようにしなきゃね。エミリー、ジャネット、準備はいい?」

「はい!」

「ばっちりです!」


 三人はそれぞれ仮面を装着し、お互いに確認しあった後……意を決して馬車を降りた。

 流行の仮面舞踏会では目を剥くほど過激な装いをする者もいるそうだが、さすがに王族主催の場でそんな大胆な行動はできないのだろう。

 宮殿へと吸い込まれていく者たちは皆、仮面を着けているほかは通常の舞踏会とそう変わらない装いの者ばかりだった。

 周囲を見回せば、王宮の騎士団の制服を着た者が警備にあたっているのも見える。

 その姿を見て、オルタンシアは存外ほっとした。


(そういえば、お兄様はいるのかな……)


 今回の仮面舞踏会の参加許可を得た時、彼は「こちらでも、ネズミ一匹入り込まないように準備を進めている」と言っていた。

 関わっているのは間違いないだろうが、今日ここに来るかどうかは聞いていなかった。

 もっとも、オルタンシアが聞いたからと言って、彼がべらべら職務内容について話すとも思えなかったが。

 エミリーやジャネット共に会場へ進みながらも、オルタンシアはつい兄の姿を探すのを止められなかった。


 

 会場となる大広間に足を踏み入れた途端、煌々とした明かりに目がくらみそうになる。

 仮面舞踏会の参加者たちはそれぞれ、正体のわからない相手と談笑に興じたり、壁の花を満喫したりしているようだ。

 オルタンシアはぐるりと周囲を見回したが、確かに一見しただけでは誰が誰だかわからなかった。


(自分の正体を隠せるからこそ、のびのびと羽を伸ばせるのかな)


 普段の舞踏会では、身分や立場によって話す相手や踊る相手がほぼ固定されていることも多い。

 だがこういった場では、いつもとは違う自分になった気分で楽しめるのだろう。


(私の「ヴェリテ公爵家の娘」だと思われないのなら……)


 普段なら緊張してばかりの舞踏会も、もっと楽しめるようになるのかもしれない。


「あっ、あのご婦人がかぶっている帽子……隣の国で流行り始めたばかりの新しいデザインです!」

「そうなの? ジャネットは物知りだね」


 ジャネットはそわそわと、件の貴婦人に熱い視線を注いでいた。


「あぁ、もっと近くで見てみたい……」

「行ってみたらどう? 仮面舞踏会は相手が誰だかわからないからこそ、誰とでも話が弾むのが楽しいって聞いたことがあるよ」

「そうですよね……! それでは、行ってきます!」


 そう言って、ジャネットは嬉々として帽子の貴婦人の元へと歩いていく。


(あの積極性は見習いたいな……)


 そうこうしている間に、楽団により優雅な曲が奏でられ始める。

 いよいよ舞踏会が始まったのだ。

 残されたオルタンシアとエミリーは顔を見合わせ、慌てて壁際へと退いた。


「皆さますごいですね。私、知らない人とダンスを踊るなんて緊張してしまいます」

「うん、私もそう思う」


 広間の中央では、仮面で顔を隠した男女が手を取り、蝶のように舞っている。

 誰ともわからぬ相手と踊るのが仮面舞踏会の醍醐味らしいのだが……オルタンシアはやはり少し恐ろしく感じてしまう。


「それにしても、人が多いから熱気が……あっ、私飲み物貰ってきますね」

「ありがとう、エミリー」


 気を利かせてくれたエミリーに礼を言い、オルタンシアは再び会場内に視線を走らせた。

 だがオルタンシアの目が追うのは着飾った貴公子……ではなく、堂々と顔を出した警備の騎士たちばかりだった。


(お兄様は、いないな……。まさか、今日は非番で独自に参加してたり?)


 ジェラールもヴェリテ公爵家の跡継ぎとして、いろいろ苦労はあるだろう。

 こういう機会に、羽目を外してもおかしくは……ない。


(いや、でもあのお兄様だよ?  仮面舞踏会なんて嫌いそうだけど……意外とそうでもないのかな?)


 この参加者の中に兄が混じっているかもしれない。そう思うとそわそわしてしまい、オルタンシアは慌ててきょろきょろと周囲を見回した。

 すると、目に留まったのは――。


(あっ、エミリーが声かけられてる!)


 見れば少し離れたところでエミリーが見知らぬ青年に声をかけられているではないか。

 困っているようなら助けに行こうかと思ったが、相手の青年はしつこくするでもなく、慎重に言葉を選んで話しているようだった。

 相対するエミリーも、怖がっている様子はなく少し恥じらいながらも彼の話に頷いている。


(あれは……邪魔しちゃいけないね。前の人生だと、エミリーは侯爵家の方に見初められていたらしいけど、もしかしたらあの人なのかな?)


 なんにせよ、エミリーが助けを求めるまでは静観するべきだろう。

 一人壁の花として残されたオルタンシアはそう決め、再び周囲の観察へと戻る。

 すると、誰かがまっすぐにこちらへ向かってくるのに気付いた。


(え、誰……?)


 見覚えのない青年だ。てっきり近くに目当ての人物がいるのだろうと、オルタンシアは我関せずで壁の花を続けていたのだが……。


「えっ!?」


 目の前までやって来た青年は、オルタンシアの前で静かに一礼する。

 そしてそのまま一言も発さず、すっとこちらに手を差し出したのだ。

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