84 猫の手も借りたいような
「というわけで、こっそりついて来てほしいんだけど、できそう?」
『あ、当たり前だぞ! 僕はシアを守る精霊だからな!』
ジェラールに言われたことをそのままチロルに伝えると、彼は少しつっかえながらも胸を張ってそう言った。
だが、彼のふさふさの尻尾は不安を表すかのように、忙しなく左右に揺れている。
(これは……大丈夫かな?)
「えっと、じゃあ仮面舞踏会にいても不自然じゃないように変身みたいなのできる?」
『ま、まかせろ!』
チロルは尻尾をピーンと逆立て、意識を集中させているようだ。
そして、彼の体がぼやけたかと思うと――。
『見ろ、シア! 完璧だ!』
そう、弾んだ声が響いた。
……目の前の、大きな毛玉から。
「…………うん」
オルタンシアはなんて言っていいのかわからずに、とりあえず曖昧な返事をすることしかできなかった。
今オルタンシアの目の前には、両手で抱えるほどの大きさのまるい毛玉が鎮座している。
まだらに混ざる花びらのような斑点模様は、間違いなくチロルの可愛らしい毛の模様と一致していた。
どうやらチロルはこの毛玉に擬態してくれたようだが……。
(これ、ちょっと持っていけないよね……?)
さすがに、こんな大きな毛玉を抱えて仮面舞踏会に繰り出すのは目立ってしまう。
オルタンシアが「えいっ」と転がしてみると……想像以上にまるかったようで毛玉はコロコロと転がっていった。
『目が回る~』
近くテーブルの脚にぶつかって止まると、毛玉がほどけ中から目を回したチロルが現れた。
オルタンシアはチロルを抱きあげ、よしよしとお腹を撫でる。
「ふふ、じゃあチロルも私と一緒に特訓だね」
仮面舞踏会に参加するにあたって、オルタンシアもヴェリテ公爵家の娘だと悟られないように全力を尽くすつもりだ。
……少々、一般的でない方法も用いて。
だが、なかなか意図した通りにうまくいかないのはチロルの変身と同じだ。
半人前同士、きっちりと特訓が必要だろう。
「がんばろうね、チロル」
『おう!』
ぐるぐると目を回していたチロルだが、オルタンシアがそう声をかけると元気よく尻尾を振ってくれた。
◇◇◇
いよいよ今日は仮面舞踏会の当日だ。
共に会場へと向かうためにヴェリテ公爵邸にやって来たジャネットとエミリーは、現れたオルタンシアの姿を見て目を丸くした。
「えっ、オルタンシア様ですか……?」
「すごい、別人みたい!」
驚く二人の反応を見て、オルタンシアは嬉しくなった。
「えへへ、ありがとう!」
今日のオルタンシアは、いつもとは違い装飾が少なめの落ち着いたドレスを身に着けている。
もちろん、仮面舞踏会の必須アイテムである顔の上半分を覆い隠す洒落た仮面も装備済みだ。
そして何より……今日のオルタンシアは、髪と目の色を完全に変えていた。
(女神様に頂いた加護の一つ『幻影(イリュージョン』――使いこなせるようになってよかった……!)
『幻影(イリュージョン』は使い手自身の姿をまるで幻影のように、異なる姿へと錯覚させる特殊な加護の一つだ。
今のオルタンシアは金色の髪は焦げ茶色に、紫の瞳は緑色へと、綺麗に色が変わっているのだ。
特訓を始めた当初はまだら色になったり、すぐに変化が解けたりといろいろ失敗したが、なんとか使い物にはなりそうだ。
「すごい、こんなに綺麗に染められるなんて……! オルタンシア様、いったいどこの染粉を使ったんですか? もしかして、新しい技術が――」
「……えへへ、秘密だよ」
新しい商機の匂いを感じ取ったのか、すぐさまジャネットが反応したが、オルタンシアは曖昧に笑って誤魔化しておいた。
「首元のファーも素敵ですね。艶やかで、まるで生きているみたいな……」
「そ、そうかな!? ありがとう!」
エミリーの純粋な誉め言葉に、オルタンシアが首に巻いていたモコモコのファーが一瞬びくりと波打った。
オルタンシアは慌てて誤魔化すように、位置を直す振りをしてそっとファーを撫でた。
(頑張ってね、チロル……!)
オルタンシアが首に巻いている、まるで生きているかのように艶やかな上質なファー。
その正体は、精霊チロルの擬態である。
あのまるい毛玉の塊から特訓を重ねて、なんとかオルタンシアが首に巻けるような細長い毛玉へと姿を変えることに成功したのである。
(これで変装してるから私だってバレないし、万が一何かあってもチロルが一緒に居てくれる。……大丈夫ですよね、お兄様)
ただ仮面舞踏会に参加するだけなのに、オルタンシアはまるで死地に赴くかのように緊張していた。
(大丈夫、きっと上手くいくよ)
そう自分に言い聞かせ、オルタンシアは二人に向けて笑いかけた。
「さぁ、仮面舞踏会に行きましょう!」