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82 気になる噂

「この間のオペラは素敵でしたね」

「特にダンスシーンは圧巻でしたわ……」


 昼下がりの公爵邸の庭園には、少女たちの楽しげな談笑が響いていた。

 本日は、オルタンシア主催の小規模なお茶会である。

 相変わらず社交は苦手なオルタンシアだが、少しずつ気を許せる友人もでき始めていた。


「今でも夢みたいです。私がオルタンシア様と仲良くさせていただいているなんて……」


 うっとりとそう呟くのは、子爵令嬢エミリーだ。

 おっとりした性格の彼女はあまり目立つ存在ではないが、一度目の人生では国内有数の侯爵令息に見初められていた。

 今世でも同じ道を歩むのかはわからないが、気立ての良い彼女はオルタンシアにとっても話しやすい相手であるのは間違いない。


「この間訪れた宝石工房、とっても勉強になりました! 私もいつか、あんなジュエリーをプロデュースしてみたい……」

「あれ、自分で身に着けるんじゃなくって?」

「どっちかっていうと、自分で身に着けるより誰かに似合う物を見繕う方が好きなんですよね。オルタンシア様、いつかモデルになってくださいね!」


 元気よくそう言うのは、伯爵令嬢のジャネットだ。

 彼女の実家である伯爵家は貿易に力を入れており、そのせいかジャネット自身も流行に敏感でオルタンシアにも最新のニュースを教えてくれる。

 美しい宝石やドレスを見ても、「どう商機を掴む」ということを真っ先に考える、少し変わった令嬢でもある。

 他の貴族からは眉をひそめられることも少なくない彼女だが、どこか父に似ている部分があるような気がしてオルタンシアは好きだった。


 二人とも、オルタンシアと同じ日に社交界デビューを果たした同期である。

 社交界に歩み出した雛同士、こうして定期的な情報交換は欠かせないのである。

 二人と過ごす時間を、いつしか「生き残るための手段」という枠組みを超えてオルタンシアは心待ちにするようになっていた。


「そういえば、最近仮面舞踏会が流行しているのはご存じですか? 私、一度行ってみたいと思っていて……よろしければご一緒しませんか?」


 先ほどのオペラの話で思い出したのか、不意にジャネットがそう問いかけてきた。

 オルタンシアとエミリーは思わず顔を見合わせる。

 仮面舞踏会について、オルタンシアも知らないわけではないのだが……。


「流行ってるのは知ってるけど……中にはかなり危ないところもあるから気を付けた方がいいみたい。お父様がそう言っていたの」


 仮面舞踏会は顔を仮面で隠し、誰が誰だかわからない状況で参加する舞踏会である。

 自分の正体を知られずに楽しむことができると人気を博しているが、逆にその匿名性を利用し、よからぬ者まで入り込んでくる危険性があるのだという。


「危ない取引が行われていたり、その……全体的にいかがわしかったり、危なくないかな……」


 オルタンシアがホイホイとそんな場所へ足を踏み入れたと知ったら……間違いなくジェラールは怒るだろう。

 彼に失望されたくない。そんな思いから、オルタンシアはあまり乗り気にはなれなかった。

 だがジャネットは、任せろと言わんばかりに胸を張る。


「それならご安心ください! 実は今度……なんと王家主催の仮面舞踏会が開かれるそうなんです! さすがにそんな場所で怪しい真似をする人はいないでしょう?」

「そうなんだ……! さすがジャネット、耳が早いね」


 王家主催の仮面舞踏会があるとは初耳だ。

 これだけ流行っているのならば、一度くらいオルタンシアも参加しておいた方がいいのかもしれない。


「お父様とお兄様に聞いてみるね。許可がもらえたら行けると思う。エミリーはどうする?」

「私も……オルタンシア様とジャネット様が一緒なら、行ってみたいです……」


 なんだかんだで、エミリーも興味があったのだろう。

 社交界において「流行に疎い」というレッテルを貼られるのはとてつもなく恐ろしいことなのだ。

 これで仮面舞踏会の話を振られても安心だと、オルタンシアはほっとした。


(王家主催、か……。まぁ、仮面で顔を隠してるし大丈夫だよね)


 ちらりとヴィクトル王子のことが頭に浮かんだが、オルタンシアはすぐに考えすぎだとため息をついたのだった。 


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