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8 少しずつ変えていこう

 ――《オルタンシア、どうかジェラールに寄り添い、彼を正しい道へと導いてあげてください。彼の秘める力は強大で、使い方によっては世界を滅ぼす剣にもなりかねません。彼を救うことができるのは、あなただけなのです》


 オルタンシアが洗礼式で女神のお告げ(らしき何か)を聞いてから三日が経った。

 女神によると、オルタンシアがジェラールの闇落ちを防がないとこの世界自体が危ないらしいが……。


(いやいや、本当に無理ですって。女神様、どう考えても人選間違えてますよ)


 ベッドの上でふわふわのクッションを抱きしめながら、オルタンシアは大きくため息をついた。


 オルタンシアが王族にも匹敵する強力な洗礼名と加護を得たことで、ヴェリテ公爵邸はちょっとした騒ぎになった。

「汚らわしい娼婦の子の癖にっ!」というような蔑視の視線は少なくなったが……代わりに得体の知れない珍獣を見るような目で見られるのである。

 肝心のジェラールは、「さすがは我が妹だ……!」と手のひらを返すようなこともなく、相変わらずオルタンシアをガン無視する始末。

 この状況に疲弊したオルタンシアは、屋敷に来てたった三日で引きこもりと化し、用のない時はこうして自室警備員をまっとうしているのだ。

 このままでは一度目の人生の二の舞だとはわかっているが、どうにも突破口が見えないのである。


(女神様も大変なこと頼むならもっとヒントとかくれればいいのに!)


 ひたすら怠惰な時間を過ごしていたオルタンシアだが、不意に自室の扉が叩かれシュバッと起き上がった。

 慌ててソファに腰掛け近くの本を手に取り、「優雅に読書をしておりましたの」という空気を醸し出す。

 そこまで準備が出来たところで、息を整え扉の向こうに声をかけた。


「どなたでしょうか」

「オルタンシアお嬢様、使用人のパメラです。入室してもよろしいでしょうか」

「どうぞ、お入りくださいな」


 許可を出すと、いそいそと若いメイドが部屋へ足を踏み入れた。

 その姿を見て、オルタンシアは目を丸くした。


(あれ、この人……)


 やって来たのは、どこか田舎娘といった風貌の年若い女性だった。

 オルタンシアは彼女を知っていた。


(パメラ……そっか。この頃はまだお屋敷に勤めてたんだ……)


「お茶をお淹れしますね~」と上機嫌にティータイムの準備を進めるパメラを見て、オルタンシアは懐かしさに胸が締め付けられるようだった。

 一度目の人生で、パメラは同じように公爵邸に勤めるメイドだった。

 だいたいの使用人に「妾の子が偉そうに……」と邪魔者扱いされていたオルタンシアだが、パメラだけは違った。

「私にもお嬢様と同じくらいの年の妹がいるんですよ!」と、よくオルタンシアのことを可愛がってくれたものだ。

 オルタンシアもパメラのことは信頼していた。少しそそっかしいところもあるが、心根は真っすぐなのがよくわかったからだ。

 貴族社会では本音と建前を使い分けることが必要だと教育係のアナベルに教えられていたが、彼女のような純真な人間の存在がオルタンシアは好きだった。


(でも……あまりにも真っすぐすぎるせいで、パメラは……)


 彼女の純朴さは、ある種の人間にとっては鼻につくのだろう。

 もしくは使用人同士の諍いの中で、オルタンシアを庇って恨みを買っていたのかもしれない。

 オルタンシアが屋敷にやって来て、そう日も経たないうちに……パメラは、屋敷内の備品を盗んだという罪を着せられ糾弾されたのだ。


「違う、私は盗みなんて働いていません!」


 パメラはそう主張したが、誰も信じなかった。

 なんでもパメラの荷物の中から、盗まれた備品が見つかったのだとか。

 ……パメラがそんなことをするはずがない。

 オルタンシアはそう信じていたが、何も言えなかった。

 パメラを庇い、ますます他の使用人に嫌われるのが怖かったのだ。

 結局、不祥事が表ざたになることを嫌った公爵によって、パメラは治安隊に引き渡されこそしなかったものの、解雇され公爵邸を去っていった。

 たった一人の味方を失い、オルタンシアはますます孤独を深めていったものだ。


(……もしあの時、パメラを庇っていれば……何かが変わっていたのかな)


 パメラが居なくなった後、オルタンシアは何度も何度も後悔した。

 今でも、パメラがそんなことをするはずがないと信じている。

 どうせパメラのことを気に入らない他の使用人によって、濡れ衣を着せられたのだろう。


(あれ……でも私、この後に起こる未来を知ってるってことだよね?)


 いつパメラが濡れ衣を着せられ、公爵邸を追い出されるのか、オルタンシアはよく覚えている。


(も、もしかしたら……パメラがいなくなるのを防げるかも!)


 パメラがいなくなったら寂しい。

 前は無力なオルタンシアは何もできなかったが、少なくとも今は違う。


(私は未来を知っている。未来を変えることもできるはず。なにしろ女神様がそう言ってたからね!)


 それに、今は女神のくれた特別な加護の力もあるのだ。


(あなたの無念は私が晴らして見せるわ、パメラ! 未来を変える練習にもなりそうだしね!)


 キラキラとやる気に満ちた視線でこちらを見つめるオルタンシアに、何も知らないパメラは不思議そうに首を傾げた。


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