74 お兄様のお気持ち
「ぇ……」
ジェラールの真摯な言葉に、オルタンシアは思わず手にしたグラスを落としかけてしまった。
(お、お兄様がものすごい発言を……!?)
美しい夜空に、ロマンチックな庭園に、目の前には王国随一の貴公子。
まるで戯曲の中のワンシーンかと錯覚してしまいそうなシチュエーションに、オルタンシアは盛大に混乱していた。
(お、落ち着け……あのお兄様だし、今の言葉も大した意味はないはず……)
オルタンシアは熱くなった頬を隠すように俯き、手にしていたりんご酒のグラスを呷った。
今ここにいるのはあのジェラールなのだ。
ロマンチックなシチュエーションで意中の女性に愛を囁くなんて頭にないだろうし、ましては相手は義理の妹なのだ。
どう考えても、オルタンシアが考えすぎなだけだろう。
(でも、ということは……)
ジェラールの言葉は、単に率直な感想なのだろう。
星の瞬く夜空が、水の流れゆく川が、緑あふれる森が美しいと感じるのと同じように、オルタンシアのことも綺麗だと言ってくれたのだ。
(えへへ……それでも嬉しいな)
なんだかふわふわした気分になって来て、オルタンシアはそっと微笑む。
初めて口にしたりんご酒も、オルタンシアの気分を高揚させるのに一役買っていたのは確かだった。
「ふふ……」
オルタンシアはにっこり笑って顔をあげる。
その反応に、ジェラールは少しだけ驚いたように目を瞬かせた。
「ありがとうございます、お兄様。お兄様がそう言ってくれて……すごく嬉しいです」
「…………そうか」
「……本当は、ちょっとだけ気にしてたんです。私が傷物だってみんなに思われたら、なかなかお嫁にも行けないんじゃないかって。でも、きっとお兄様みたいに理解してくださる人が――」
「別に、無理してどこかに嫁入りする必要はないだろう」
「えっ?」
ジェラールが何気なく口にした言葉に、オルタンシアは驚いて目を丸くした。
「で、でも……貴族の女性たるもの家同士の繋がりをつくるためにどこかへお嫁に行くものだって……」
「ヴェリテ公爵家は今更婚姻政策など取らなければならないほど弱い家ではない」
「お父様が私を公爵家の迎えてくれたのも、どこかに嫁がせるためじゃないんですか……!?」
「父上は思慮深い人間なので策はいくつも考えているはずだ。その中の一つが潰れたところで、たいした弊害はないだろう」
ジェラールはいつも通り涼しい顔で、ことごとくオルタンシアの不安を粉砕していく。
オルタンシアは半ば意地になって、必死にジェラールに食い下がった。
「わ、私がずっと公爵邸に居座ったら、お兄様だって誰もお嫁に来てくれないかもしれませんよ!? 口うるさい小姑がいる家なんて避けられるに決まってます!!」
「別に、その予定はないから問題ない」
「え…………?」
まさかそこまで否定されるとは思わずに、オルタンシアは固まってしまった。
(ちょっとまって。お兄様それって……お兄様自身の結婚も考えてないってこと!?)
オルタンシアの目から見て、ジェラールは優秀な公爵家の跡継ぎだった。
教師や使用人からは少し恐れられつつも、彼の当主としての資質を疑問視する者は誰もいなかったのだから。
だからオルタンシアも、いくら冷血に見えるジェラールでも適齢期になれば自身の結婚についても考えているのかと思っていたのだが……まさか、何も考えていないとは!
「でもお兄様! 公爵家の跡継ぎですよ!? お世継ぎはどうするんですか!!」
「分家の者を養子にするという方法もある。俺はそこまで直系の血筋にこだわるつもりもないからな」
「ええぇぇ……」
いつになく頑ななジェラールに、オルタンシアは困惑してしまった。
「お兄様……本当に、誰かと結婚なさるおつもりはないんですか……?」
オルタンシアはおそるおそるそう口にした。
するとジェラールは、オルタンシアに背を向け小さく呟く。
「俺が誰かを娶っても、相手を不幸にするだけだ。…………俺の、母上のように」
「あ…………」
オルタンシアは己の失言を悟り、血の気が引いた。
ジェラールはただ単にわがままを言ったり、責任から逃げているわけではない。
彼は己の立場や、責務などをきちんと承知したうえで……ジェラール自身や彼の母親のように、不幸な人間を生みたくないのだ。
(私……お兄様の気持ちも考えずになんてことを……!)
オルタンシアは恥ずかしくて、悔しくて、情けなくてたまらなかった。
浅はかな考えで軽率な発言をしてしまい、ジェラールを傷つけてしまったのだ。
本作のコミック1巻が本日発売しました!
オルタンシアとお兄様の心温まる(?)交流を是非ご覧ください!
実はコミックのカバーをぺらりと外すとおまけ漫画が見られます。
電子書籍でも最後の最後(奥付の後)まで見てもらうと読めますのでぜひぜひチェックしてみてください!