73 嬉しいことも悲しいことも
ジェラールが向かっているのは、どうやら大広間から繋がる庭園のようだった。
途中、居合わせた給仕からグラスを受け取り、ジェラールはオルタンシアを伴ってどんどんと進んでいく。
……こういった庭園は、男女の密会の場になっていることも多いのだとか。
そうアナベルに教わったオルタンシアは誰かと鉢合わせないかとドキドキしていたが、幸か不幸か誰にも会うこともなく、二人は庭園の奥まった場所にあるガゼボへとたどり着いた。
内部には豪奢なソファが備えられており、ジェラールに促されたオルタンシアは静かに腰掛けた。
そのままジェラールは、すっとオルタンシアに先ほど受け取ったグラスを差し出した。
「あ、ありがとうございます……」
いらないと断るのも気が引けるので、オルタンシアはおそるおそるグラスを受け取った。
淡い金色の液体で満たされたグラスを、オルタンシアはそっと口に運ぶ。
シュワシュワとした刺激が舌に溶けていくのと同時に、柔らかな甘みとフルーツ特有の爽やかな香りが鼻をくすぐる。
「……おいしい」
思わずそう呟くと、ジェラールが小さく呟く。
「ジュースに毛が生えた程度のリンゴ酒だ。これなら飲めるだろう」
「えへへ……初めて、お酒飲んじゃいました」
くすりと笑うと、ジェラールが纏っていた空気が少しだけ柔らかくなるのを感じた。
「これから社交界へ出るつもりなら、酒にも慣れておけ。べろべろに酔っぱらって醜態を晒すことのないように」
「うっ、気を付けますね……」
少しでも慣れておこうと、オルタンシアはもう一口リンゴ酒を口にした。
酒を呷ったせいか、少しだけ胸がポカポカするように気分がよくなってきた。
そんなオルタンシアをじっと眺め、ジェラールが静かに口を開く。
「……顔色がよくなってきたな」
「あ……」
「先ほどは病人のように白かった。……なにか、あったのか」
「えっと……」
オルタンシアはぎゅっとグラスを握り締めた。
もうその反応だけで、ジェラールには何かがあったことがバレてしまっているだろう。
正直に話したところで、ジェラールには飽きられるかもしれない。
だが……。
(嬉しいことも悲しいことも、はんぶんこだもんね)
かつて、そう約束したのだ。
だから、今はジェラールを頼ってもいいだろう。
「……さっき、他の人が話しているのが聞こえちゃったんです。邪教集団に誘拐された私は傷物だって……」
「なんだと……?」
途端にジェラールが怒りのオーラを纏い始めたので、オルタンシアはびくりと肩を跳ねさせてしまった。
「いったいどこのどいつだ、お前のことをそんな悪しざまに言う奴は」
ジェラールは無表情だ。
だがその背後には、荒れ狂うブリザードの幻影が見えた。
(こっ、これは……正直に話したら絶対お兄様に消される……!)
今のジェラールからは怒りを通り越して殺気を感じる。
オルタンシアは慌てて誤魔化しておいた。
「えっと……わ、私にもどこの誰だかはわからないんです! 通りすがりにちらっと遠くから聞こえただけですから!」
「そうか。もしそいつを見つけたら俺に言え。しかるべき対処を行う」
「は、はい……」
彼の言う「しかるべき対処」がどんな内容なのかまでは、恐ろしくて聞けなかった。
このままだとオルタンシアが黙っていても、ジェラールが例の青年たちを見つけ出して処断しそうな空気である。
オルタンシアは慌てて大丈夫だとでもいうように両手をぶんぶんと振ってみせた。
「全然! 大丈夫なんですけどね! ただ、現実を思い知らされたなぁ……って」
これからオルタンシアが足を踏み入れるのは、あたたかく優しい世界ではない。
常に相手の弱みを探り、足を引っ張り合う場所なのだ。
「でも、私大丈夫です。きちんとヴェリテ公爵家の娘として、皆に一目置かれるような淑女を目指しますから!」
ぐっと気合を入れるオルタンシアを、ジェラールはいつものように涼しい目で見つめていた。
かと思うと、彼は視線を合わせるようにオルタンシアのすぐ傍らに屈みこんだのだ。
「お兄様……?」
彼の蒼氷色の瞳が間近に見え、その宝石のような美しさに思わず魅入られてしまう。
そんなオルタンシアに、ジェラールはそっと告げた。
「お前は傷物なんかじゃない。……綺麗だ」
次回は28日(金)に更新予定です!