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71 お兄様、威嚇する

 その後は特に大きなミスもなく、オルタンシアは何とか正式に社交界デビューの幕開けを飾るファーストダンスを無事に終えることができたのだった。

 割れんばかりの拍手の中、オルタンシアはダンスフロアを退き、いよいよ人々の輪の中へと迎えられた。


「素晴らしかったですわ、ヴェリテ公爵令嬢!」

「ジェラール様と二人並ぶとなんとも神々しい……」

「わたくしのことを覚えておいででしょうか。オルタンシア様が幼い頃に一度お茶会でお会いしたことが――」


 途端に近寄って来る者たちに圧倒されながらも、オルタンシアはなんとか浮かべた笑みが引きつらないように全神経を集中させていた。


(ひえぇぇ。予想はしてたけどすごい……。やっぱり「ヴェリテ公爵家」の名前って圧倒的なんだね……)


 初めてお茶会へ参加した時も感じたのだが、「ヴェリテ公爵家の娘」という存在は、とにかく人々にとってお近づきになりたいポジションであるらしい。

 更に、オルタンシアはすぐにあの時とは別の動きに気づくこととなる。


「そうですわ、オルタンシア様。ご紹介申し上げたい方が――」

「私の甥にあたる青年で――」

「なんでもオルタンシア様は読書を好まれるのだとか。私の息子と同じですな」

「次の音楽会にどうぞいらしてくださいな。私の姉の友人の従姉妹の息子がヴァイオリンを演奏するそうで――」


 次々と見知らぬ青年を紹介されたり、紹介の場に来てくれと誘われたり……なんとか笑顔のままいなしながらも、オルタンシアはごくりと唾を飲んだ。


(こ、これは……もしかしなくても、縁談話ですか!?)


 年頃の貴公子ばかり紹介されるということは、やはりそういうことなのだろう。


(ど、どうしよう……。ヴィクトル王子の妃候補にあがらないことを第一に考えるなら、手ごろな相手と婚約するべき……?)


 一度目のような悲惨な結末を避けるのならば、誰かと婚約するというのも有効な方法だろう。

 だが、オルタンシアには自分がどこぞの貴公子の婚約者……ましてや妻になるという未来がまったく想像できなかった。


(誰かと婚約すれば私は助かるかもしれないけど……ちゃんと、お兄様とお父様を守れるかなぁ……)


 うっかり結婚でもしてしまえば、父や兄とは離れることとなる。

 そうなれば二人を守ることが難しくはならないだろうか。


(それに、こんな中途半端な気持ちで婚約するのも相手に失礼じゃないかな……)


 根が真面目なオルタンシアは、ここにきて悩み始めていた。

 次々と紹介される貴公子の顔と名前も、一応頭には入っていくがどうにもピンとこない。

 だが静かに微笑み続けるオルタンシアの態度をどう思ったのか、その中の一人が少々強引にアプローチを始め出したのだ。


「お初にお目にかかります、ヴェリテ公爵令嬢。先ほどのダンスを拝見しましたが、まるで蝶が舞うように華麗で、思わず目を奪われてしまいました」

「まぁ、ありがとうございます」


 オルタンシアは優雅に微笑んで流そうとしたが、その途端手を握られぎょっとしてしまう。


「どうぞ、あなたの手を取る栄誉を私にも頂けないでしょうか」

(もう取ってるじゃん!)


 一応ダンスに誘われているということはわかる。

 だがこんなに強引に来るのは想定外で、オルタンシアはどう対応していいのか戸惑ってしまった。

 いくら誰かと婚約した方がいいといっても、こんなに強引な相手だと後々苦労しそうだ。


(なんとか断らないと……。えっと、こういう時は……)


 オルタンシアは記憶の引き出しから、「アナベル式レッスン~後腐れのない殿方からの誘いの断り方編~」を引っ張り出そうとした。

 だがオルタンシアが差しさわりの無い断り文句を口にする前に、件の貴公子は半ば強引にオルタンシアを連れ出そうとしたのだ。


「さぁ、行きましょう!」

「え、あの……」


 強く腕を引かれ、思わずバランスを崩しかけてしまう。

 だがその途端、オルタンシアの体は背後から力強い腕に支えられた。


「ヴェリテ公爵令嬢、どうし……ひっ!」


 こちらを振り返った貴公子が、まるで夜道でクマにでも出くわしたかのように表情を引きつらせる。

 一体何事かと自身も振り返り、オルタンシアはやっと事態を理解した。

 すぐ後ろからオルタンシアの体を支えながら、ジェラールが目の前の貴公子に絶対零度の視線を注いでいたのだ。


(怖っ!)


 今のジェラールは、ここしばらく感じたことのないほど冷たい空気を纏っていた。

 多少耐性のあるオルタンシアですら、思わず凍えてしまいそうなほどの恐ろしさだった。

 そんなブリザードを直接浴びた件の貴公子は、まさしく生きた心地がしないことだろう。


「……残念だが、相手の同意も得ずに無理やり連れ出そうとするような輩に妹は任せられない」


 発せられた言葉の内容だけを見れば、そこまできつくは感じられないだろう。

 だがその言葉がジェラールの口から発せられたことにより、殺傷力は計り知れないものになる。

 オルタンシアを連れ出そうとした貴公子はまるで死刑宣告でも受けたかのようにガタガタと震え出した。


「もも、申し訳ございませんでした……。なにぶん田舎から出てきたばかりでして、礼儀もわきまえず……こちらでみっちりと躾けなおしますので、どうかご勘弁を……」


 すぐに蛇に睨まれた蛙のようになった貴公子の親族が飛び出してきて、ぺこぺこと謝り始めた。


(わぁ、やっぱりお兄様の威圧感ってすごいんだね……。でも、どうしようこの空気……!)


 辺りには煌びやかな舞踏会には似つかわしくない、まるで戦場のような緊迫した空気が漂っている。

 オルタンシアはどうしていいのかわからず慌てたが、その時救世主は現れた。


「さてさて、私の可愛いお姫様はどこかな?」

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