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68 お前以外に誰がいる



 正装した男性たちの中でも、彼は異彩を放っていた。

 格好がおかしいわけではない。むしろスタンダードで落ち着いた正装をしているのだが、それでも彼の存在感は抜きんでているのだ。


(何でお兄様がここに!? も、もしかして……私の知らない間にこの中の誰かと婚約してたのかな!?)


「あぁ、言ってなかったか」と素知らぬ顔で、ジェラールがオルタンシアと同じ年頃の少女の手を取る姿が頭に浮かぶ。


(そういえば私ずっと領地にいたし、お兄様もなんだかんだでいいお年頃だし、婚約者がいたっておかしくないんだよね……)


 きっと彼はオルタンシアが知らない間に婚約し、そのことを伝え忘れていたのだろう。

 オルタンシアが先ほど挨拶した令嬢たちの誰かをエスコートするために、わざわざ正装してここにやってきたのだ。

 オルタンシアは家族として、彼の婚約を祝うべきだというのはわかっているのだが……。


(なんだろう、もやもやする……)


 彼が婚約なんて大事な話をしてくれなかったことにだろうか。

 なんだかジェラールを見ていられなくて、オルタンシアは自然と俯いてしまった。

 すると足早に誰かが近づいてきた気配がして――。


「おい、具合が悪いのか?」


 急に頭上から声をかけられ、オルタンシアは反射的にぱっと顔をあげる。

 見れば、ジェラールが無表情で――見る人が見ればかすかに心配の色を瞳に滲ませて、こちらを見下ろしていたのだ。

 オルタンシアは慌てて笑顔を取り繕い、明るく声を出した。


「き、奇遇ですね、お兄様!」

「……何を言っている?」

「まさかこんなところでお兄様とお会いできるなんて思いませんでした! お、お兄様はどなたのエスコートにいらっしゃったのですか?」

「お前以外に誰がいる」

「…………え?」


 呆れたような響きを滲ませたジェラールの声に、オルタンシアは笑顔のまま固まってしまった。


(え、お前意外誰がいるって……まさか、お兄様が私のエスコートに!?)


 一拍遅れて事態を理解したオルタンシアは、盛大に慌ててしまった。

 その表情を見て、ジェラールが小さくため息をつく。


「……父上に代わり、俺がお前のエスコートをすることになった。聞いていないのか」

「聞いてません……」


 いったいどこで伝達ミスがあったのだろうか。

 いや、あの策士の父のことだ。

 事前に伝えたらオルタンシアが怖気づくと思い、あえて隠していたのかもしれない。


(なんてサプライズをしてくれたのお父様!)


 ちらりと周囲に視線をやれば、名門公爵家の令息であるジェラールの登場に皆驚いているようだ。

 あまりうろたえていては、不審に思われてしまうだろう。


(大丈夫。平常心、平常心……)


 すーはーと息を吸って、オルタンシアはなんとか優雅な笑みを取り繕うことに成功した。


「そういうことでしたのね。お兄様にエスコートしていただけるなんてシア嬉しい!」


 反射的にぶりっこモードが出てしまい焦ったが、途端にジェラールの纏う空気が変わった気がしてオルタンシアは驚いた。


「…………そうか」


 ジェラールはオルタンシアから視線を逸らし、短くそう呟いた。

 一見素っ気なく見えるその態度だが……。


(なんだろう、お兄様の周りの空気がぽかぽかしているような気がする)


 まるで真冬から一気に春になったかのように、彼の周りに花が咲いている幻影まで見えるほど。


(お兄様、もしかして……こうみえて舞踏会大好きだったりするの?)


 一度目の人生で、もともと引きこもりがちだったのもあって、オルタンシアが社交界でジェラールに遭遇することはほとんどなかった。

 数少ない記憶でも、彼が誰か女性の手を取って踊っていた場面は見たことがないのだが……案外、ダンスが大好きだったりするのかもしれない。

 ……あまり、想像はできないが。


(お兄様くらいの人だと一回踊っただけですごい噂になりそうだもんね。それが嫌で踊るのを避けてたけど、本当は踊りたくて仕方なかったのかな。妹の私相手だったら別に変じゃないし、堂々と踊れるのが嬉しいのかな?)


 ……などと、ジェラール本人が知ったら再び機嫌が急降下しそうなことを考えながら、オルタンシアはジェラールの隣に立ち大広間へと続く扉を見つめる。

 その姿を見て、その場に居合わせた者たちは小声で囁き合うのだった。


「ジェラール様のあんな姿、初めて拝見しましたわ……」

「なんて素敵なのかしら……」

「オルタンシア様と二人並ぶと、まるで絵画のようね」


 そんなさざめきも、ジェラールはガン無視し緊張していたオルタンシアの耳には届いていなかった。

 やがて準備が整ったのか、案内の者が入場の開始を告げる。


「行くぞ」

「はい、お兄様」


 いよいよ、一度目の人生でオルタンシアを死へと誘った舞台へと近づいてきた。


(でもきっと大丈夫。だって……今はこうして、隣にお兄様がいてくれるんだもの)


 オルタンシアは大きく息を吸い、一歩足を踏み出した。


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