64 私もうそんな年じゃないですよ!?
「本当にいいのかい? オルタンシア」
「えぇ、大丈夫よお父様。私、来年のデビュタント舞踏会に参加するわ」
晩餐の場でそう宣言すると、父は驚いたように目を丸くした。
この国の貴族令嬢はデビュタント舞踏会で正式に社交界デビューを済ませることによって、一人前の大人と認められる。
本格的に、社交界に関わっていくことになるのだ。
(怖くないと言えば嘘になるけど……いつまでも逃げているわけにはいかないからね)
大好きな兄や父を守るために、立ち向かわなければ。
そう決意したオルタンシアだが、義兄ジェラールはそっけない言葉を返した。
「……まだ早い」
「早くないですよ! 私だってもう一人前のレディなんですから!」
ぷんぷんと憤慨するオルタンシアをまぁまぁと宥め、父は諭すように口を開いた。
「君がそのつもりなら止めるつもりはないが……よく考えて決めるんだよ、オルタンシア。今の君は領地で療養中ということになっているが、正式に社交界にデビューしてしまえば、それこそ一人前の貴族のみなされるんだ。昔よりも様々な誘いが来るだろうし、求婚だってされるだろう。その一つ一つに真剣に向かい合わなければならなくなるが、それでもいいのかい?」
父の口から『求婚』という言葉が出た途端、ジェラールが不快そうに眉をひそめたのが視界の端に映った。
見目麗しく、名門公爵家の次期当主という立場の兄のことだ。きっとオルタンシアが想像もつかないくらいの縁談が迷い込んでいるのだろう。
その中で嫌な思いをしたことがあったのかもしれない。
まさか義兄が「オルタンシアが見知らぬ男に求婚される場面を想像して不快になっている」などとは思わず、オルタンシアは父に向って頷いてみせる。
「大丈夫よ、お父様。私、ちゃんと覚悟はできていますから」
オルタンシアの一番の目標は、処刑の運命を乗り越え生き延びること。
だが、今はそれだけじゃない。
自分だけではなく、兄と父の二人も守りたいのだ。
一度目の人生で、父はオルタンシアが王宮にいる間に病に倒れ帰らぬ人となり、ジェラールはオルタンシアの死後に魔神に魅入られ、とんでもないことになったと聞いている。
そんな暗い未来はなんとしてでも変えなければ。
(大丈夫……私は変わった。今度こそ、うまく立ち回れるはず……!)
オルタンシアだって、ただ領地で漫然と時間を過ごしていたわけではない。
ありとあらゆる淑女教育に加え、父や兄の仕事を手伝えるように領地の運営についても学んでいたのだから。
「そうか、それは頼もしいな」
そう言って微笑む父とは対照的に、ジェラールはいつまでも難しい表情を崩さなかった。
「おい」
その日の夜、オルタンシアが用事を終え部屋に戻ろうと廊下を歩いていると、壁を背にしてジェラールが待ち伏せていた。
(ふふ……昔はお兄様がこうしていたら心臓が止まるほど怖かったなぁ……)
なんて昔の思い出に浸りながら、オルタンシアは怯えることなく義兄に近づいていく。
「どうかしましたか、お兄様?」
「……話がある」
「ふふ、なら私、久しぶりにお兄様とお庭を歩きたいです」
微笑んでそう告げると、ジェラールは驚いたように目を丸くした。
だがすぐに、小さく頷いてみせる。
「わかった」
オルタンシアの元にジェラールが近づいてくる。アナベルにみっちり仕込まれたレッスン通り、オルタンシアは彼のエスコートを受けようと手を差し出したが……。
「うひゃ!?」
ジェラールはまるで幼い頃のように、オルタンシアを抱き上げたのだ。
「お、お兄様!? 私もうそんな年じゃないですよ!?」
「別に問題ない」
「問題ですよぉぉ……」
オルタンシアの抗議もむなしく、ジェラールはオルタンシアを抱えたまますたすたと歩きだしてしまった。
「暴れるな、落ちるぞ」
「ひぃん……」
冷静にそう言われ、オルタンシアはおとなしく体の力を抜いてジェラールへと身を預けた。
(やっぱりお兄様ってかなり変わってるよね……)
貴族学院で様々なことを学び一般的な常識は備わっているはずだが、やはりどこかネジが外れているような気がしてならないのだ。
(まぁ、そこがお兄様のいいところでもあるのかな……?)
そんなことを考えているうちに、気づけば庭園までやって来ていた。