61 穏やかな日々
父がうまく取り計らってくれたようで、オルタンシアは領主間で余計なことにわずらわされることなく、のびのびと過ごすことができている。
ヴィクトル王子は、王都はどうなっているのか気にならないでもなかったが、それよりも今は自己研鑽に励むのが先だ。
「そうです、お嬢様……。はい、そこでターン! ……なかなか良い調子ですね」
オルタンシアについてきてくれたアナベルは、以前にも増して精力的にレッスンに燃えている。
いかにも都会的な彼女がついてきてくれたことにオルタンシアは驚いたものだが、当の本人はやる気満々のようだ。
「ねぇアナベル。本当に私についてきてよかったの?」
「何をおっしゃられますかお嬢様。わたくしは公爵閣下よりお嬢様の教育係を拝命しております。お嬢様の行くところに馳せ参じ、お嬢様を一人前の淑女へと育て上げることがわたくしの使命ですので!」
「そ、そうなの……ありがとう。でもアナベル自身の休暇はちゃんと取ってちょうだいね?」
アナベルの熱意に押されつつも、オルタンシアは彼女がついてきてくれたことに安心してくれた。
アナベルの他にも、父は様々な分野に秀でた教師を手配してくれた。
かくしてオルタンシアは日々勉学に励んでいるのだが……それとは別に、学びたいこともあった。
「お呼びでしょうか、お嬢様」
「来てくれてありがとう、コンスタン」
領主館を管理する壮年の男性――コンスタンを呼び、オルタンシアは話を切り出した。
「ここではよくしてくれてありがとう。毎日とても楽しく過ごしているわ」
「それは何よりです。使用人たちにも伝えましょう」
「えぇ、お願い。それでね、今の暮らしには満足しているのだけど……実は、あなた自身から学びたいことがあるの」
そう口にすると、コンスタンは驚いたように目を瞬かせた。
「私に……ですか?」
「えぇ、あなたに……領地の運営管理について学びたいの」
それは、オルタンシアが前から考えていたことだった。
父や兄の役に立ちたい。彼らは常に忙しくしているので、オルタンシアが彼らの仕事を手伝ったり、肩代わりできるようになれば役に立てるのではないかと思ったのだ。
コンスタンはオルタンシアの言葉に驚いたようだが、やがて諫めるように口を開いた。
「……僭越ですが、お嬢様。お嬢様のような貴族のご令嬢で、領地の運営管理について学ばれるのは、あまり聞いたことがありませんな」
「……えぇ、わかっているわ」
貴族の娘がいずれ結婚し、屋敷の女主人となった暁には屋敷の維持管理について帳簿に携わることもあると聞いている。
だが、領地の運営管理にまで携わるというのは珍しいことだろう。
当然、淑女としての教育の中にも組み込まれてはいない。
だからこそ、オルタンシアはこうしてコンスタンに直接頼み込んでいるのだ。
「過去に例が少ないことも、あまりよく思われないこともわかっているわ。でも、私は学びたいの。……少しでも、お父様やお兄様のお役に立てるかもしれないから」
コンスタンはすぐに、オルタンシアが真剣だということをわかってくれた。
「……お嬢様のお気持ちはよくわかりました。ですが、私の判断で了承はできかねます。王都にいらっしゃる旦那様に最終的な判断を仰ぎます。それで、よろしいですね」
「えぇ、ありがとう、コンスタン」
彼はオルタンシアの頼みを無下にしなかった。
鼻で笑われて相手にされないことも考えてはいたので、それに比べれば成果は上々だといえるだろう。
(お父様は、どう思うかな……)
割とオルタンシアの好きなようにさせてくれる父だが、今回の件に関してはどう動くだろうか。
(……うん、私からもお父様にお手紙を書こう! 私が本気だって、わかってもらわなきゃね)
きらきらと目を輝かせるオルタンシアを見て、コンスタンは眩しそうに目を細めていた。
ほどなくして、父から返信があった。
ドキドキと胸を高鳴らせながらオルタンシアは手紙に目を通す。
手紙にはオルタンシアが領地の運営管理について学びたいと言い出したことに驚いた旨と、オルタンシアがそこまで気にする必要はないと諫めるような文章が記されていた。
やっぱり駄目か……と落ち込みかけた時、その続きの文章が目に入りオルタンシアは驚きに目を丸くした。
『だが……君が本気で学びたいというのなら、私もその思いを応援したい。他のレッスンをおろそかにしないという条件で、許可を出そうじゃないか』
「お父様……!」
父は、オルタンシアの思いを認めてくれた。応援してくれるとまで言ってくれた。
彼の優しい顔が思い出され、オルタンシアの胸は熱くなる。
(ありがとう、お父様……!)
「聞いて、コンスタン! お父様からお返事が来たわ!!」
嬉しそうに屋敷を駆けるオルタンシアを、使用人たちは皆優しい目で見守っていた。
かくしてオルタンシアは、淑女教育に加えて領地の運営管理についても学び始めた。
アナベルもコンスタンも、優しさと厳しさを兼ね備えた教師だった。
オルタンシアは公爵家の娘だからと言って甘やかしはしない。
少しでも油断すれば、厳しい言葉を投げかけられることもある。
彼らを失望させないように、オルタンシアは日々勉強に追われていた。
何かに集中していると、時間は矢のように過ぎ去っていく。
やがて大地を覆っていた雪が解け、新緑が芽を出し春がやって来る。
ぴょんぴょんと大興奮で庭を飛び回るチロルを横目に、オルタンシアはいつものようにジェラールへと手紙を書いていた。
二人の文通は、使用人が驚くほどの高頻度で繰り返されていた。
お互いに離れたところにいるため、やり取りには時間がかかるが……オルタンシアもジェラールも、手紙が届いたらほとんどその日のうちに返事を出している。
ジェラールからの手紙を、オルタンシアは美しい装飾が施された専用の箱に大切に仕舞っていた。
箱の中身が厚みを増すたびに、彼との絆を感じられて幸せな気分になるのだ。
「今回は……押し花を一緒に同封しようかな」
そうすれば、彼も公爵領の春の匂いを感じてくれることだろう。
まさかお返しに山ほどのプレゼントが届くとは思わずに、オルタンシアはチロルを追いかけながら丁寧に庭先の花を摘んでいった。