6 二度目の洗礼式
結局、朝食の最中も恐れ多くてジェラールに話しかけることはできなかった。
もちろん、彼は一度もオルタンシアの方を見なかったし、空気のように存在を無視していた。
(……うん。もうお兄様と良好な関係を築くのは諦めた方がいいかもしれない!)
そんな風に投げやりな気分になっていると、父が声を掛けてきた。
「オルタンシア。これから君の洗礼式のために大聖堂に向かうことになる。準備をしてきなさい」
(あっ、そういえばそんなこともあったっけ……)
この国では聖堂に一定額お布施をすることで神々の洗礼を受けることができ、加護を授かるという儀式がある。
庶民にはお金がなくて洗礼を受けない人も多いが、貴族の子どもはたいてい生まれてすぐに洗礼式を行うようになっているのだ。
どんな加護を授かるかはその人の資質によるものが大きく、一度目の人生でオルタンシアの授かった加護は……正直貴族としては弱すぎるものだった。
だから、洗礼式を受けたこと自体を忘れてたくらいだ。
(でも、特に断る理由もないわ。一度目と同じように、神殿に向かいましょうか……)
◇◇◇
何度来ても、王都の大聖堂を前にすると感心してしまう。
この国を守護する女神――アウリエラの大聖堂。
目の前にそびえたつ巨大な白亜の大聖堂は、日の光を浴びて白くきらめいていた。
「ここに来るのは初めてか?」
「は……はい。いつもは小さな教会しか行ったことがなかったので……」
(本当は前の人生で何度か来たことがあったけどね)
怪しまれないようにあちこちをきょろきょろ見回し、いかにも「初めて来て圧倒されてます」感を出しながら、オルタンシアは父の後に続いた。
先に話を通してあったのか、聖堂内に足を踏み入れた途端、司教が出迎えてくれる。
(さすがは名門公爵家の当主。特別待遇がすごい……!)
驚くオルタンシアに視線をやり、司教は微笑んだ。
「よくぞいらっしゃいました。ほぉ……こちらがヴェリテ公爵家の――なんともお可愛らしいお嬢様ですね」
「私の娘、オルタンシアだ。司教、話した通りに彼女の洗礼を」
「承知いたしました。さぁこちらへ、どうぞ」
司教に導かれるままに、オルタンシアは聖堂の奥へと進んでいく。
たどり着いたのは、女神アウリエラを象った大きな像の目の前だ。
「さぁ、こちらに跪いて……すぐに、女神様があなたに新たな名と加護を授けてくださいます」
言われた通りに女神像の前に跪くと、司教はやたらと長い祈りの言葉を唱え始める。
一度目の人生の時は随分とドキドキしたものだけど、今のオルタンシアはどこか投げやりの気分だった。
女神に洗礼を受けることにより、人は新たな名と加護を授かることができる。
ちなみに加護の強さは洗礼名の長さに比例していて、洗礼名が長ければ長いほど強い加護を持っているのだが……。
オルタンシアの前世の洗礼名は――「レミ」。
なんと2文字なのである。控えめに言っても短すぎる名前だ。
貴族ならばたいてい4文字くらいの名を授かることが多いので、その点でもオルタンシアはよく馬鹿にされたものだ。
加護も「凶事を遠ざける」というふわふわしたものだったが、考えてみればまったく遠ざかった気がしない。
(思いっきり凶事に巻き込まれて処刑されましたし……!)
ちなみに義兄ジェラールの洗礼名は「アドナキオン」。
なんと6文字である。これは王族にも匹敵して、洗礼名を名乗っただけで相手が「ははっー!」ってひれ伏すくらいの威力を持っているのだ。
どんな加護を受けているのかは知らないが……きっととんでもないパワーなんだろう。
そんなことを考えているうちに、司教の祈りの句が終わりかけていた。
「女神アウリエラよ。どうかこの者に新たな名と加護を与えたまえ」
そうして司教は、こちらを見つめて口を開く。
「そなたの新たな名は……『アルティエル』」
「えっ!?」
まさかの展開に、オルタンシアはあんぐりと開いた口が塞がらなかった。
(そんな、前と違う!?)
驚いて顔を上げた拍子に、びゅう、と強い風が吹き付け、とっさに目を瞑ってしまう。
そして次に目を開けたとき、上下左右どこを見ても真っ白な謎の空間にいたのだ。
(……なにこれ! どうなってるの!?)
《……シア、オルタンシア、聞こえますか?》
「ひゃあぁぁ!?」
わけもわからずおろおろしていると急に頭の中に声が響いて、反射的に情けない悲鳴を上げてしまった。
すると、徐々に霧が晴れるように……目の前に、女神アウリエラの像が姿を現したのだ。
いきなりの登場に、オルタンシアはぽかんとしてしまった。
「え、えっと……?」
《あまり時間がありませんので、簡潔にお伝えしますね》
「はっ、はいっ!」
……もしかすると、この声は目の前の像から聞こえてくるのだろうか。
(ということは、この声の主はまさか……女神様!?)
《オルタンシア。あなたは……1度目の人生のことを覚えていますか?》
「はえっ!?」
いきなりの問いかけに、オルタンシアは驚きのあまり奇声をあげてしまった。
自分以外誰も、時間が巻き戻ったことに気づいてはいなかった。
自分でも「長い夢だったのではないか……?」と疑い始めていたところだったのだ。
「……あれは、本当にあったことなんですか!?」
《あの出来事は夢や幻ではありません、実際にあったことなのです》
「そんな……じゃあ、どうして私は生きているの!?」
《あなたの死をきっかけに、世界は均衡を失い混沌の時代へと突入しました。あまりにも多くの命が失われたため、あなたを起点として時間を巻き戻したのです》
「…………???」
まったく理解が追い付かず、オルタンシアは首をかしげてしまった。