55 危ない遭遇
王宮の前にたどり着くと、既に多くの馬車でごったがえしていた。
「すごい人ですね……」
「なにしろ国中の貴族が集まるからね。我々四大公爵家の者は特別な入り口から入ることができるから、心配しなくても大丈夫だよ」
「はい、お父様」
馬車のカーテンからちらりと外を覗き、オルタンシアは嘆息する。
(ついに、王宮に来てしまった……)
オルタンシアの命が終わった場所。ここには良い思い出は全くといっていいほどない。
できれば、もう二度とここへは来たくなかった。
荘厳な王宮の建物を目にするだけで、少しだけ体が震えてしまう。
(ううん……私はここに死にに来たわけじゃない、生き残るために来たんだから)
今日はあくまで下見だ。父も兄も一緒にいるのだし、何も恐ろしいことはない。
そう自分に言い聞かせ、オルタンシアは大きく息を吸う。
「……緊張しているのか」
「は、はい!」
不意にジェラールからそう問われ、オルタンシアはひっくりかえった声で返事をした。
その反応に、父がくすくすと笑う。
「そう緊張しなくても大丈夫だよ。君は私の自慢の娘だ。誰にも文句は言わせないさ」
「…………はい」
(やっぱり、お父様とお兄様は頼りになるなぁ……)
二人が味方でいてくれることのありがたさをしみじみと感じながら、オルタンシアは大きく頷いた。
(お父様だって、今は全然元気に見えるんだよね……。なのにどうして……)
ほんの数年後、彼は病に倒れ、帰らぬ人となる。
あまり父とも接触がなく、父が倒れた際には王宮にいたオルタンシアには、彼の身に何があったのかはわからない。
(でも、今ならお父様の運命だって変えられるかもしれない。ううん、絶対変えなくちゃ!)
二度目の人生を経て、オルタンシアは父と兄のことが前よりもずっと大好きになった。
だからこそ、自分だけでなく二人のことも守りたいと思うのだ。
「着いたようだね。さぁ、お手をどうぞ」
「ありがとうございます、お父様」
父に手を取られ、オルタンシアは馬車を降りた。
見上げた先には、荘厳な王宮がそびえたっている。
気を落ち着けるように深呼吸をして、オルタンシアは意を決して足を進めるのだった。
オルタンシアたちが門をくぐったのは高位貴族専用の入り口であり、新年の謁見に訪れた多くの貴族とは導線からして異なっているようだった。
あれだけ表は人でごった返していたというのに、今進んでいる回廊にはわずかな衛兵以外の人影は見当たらない。
(ものすごい特別待遇……それだけ、王家も四大公爵家の機嫌を損ねたくないんだよね)
四大公爵家は建国より続く名家であり、どの家も王家とは縁戚関係にあたる。
四大公爵家に娘が生まれれば、当然のように年齢の見合う王族へ嫁ぐことが検討されるし、逆に王女が四大公爵家へ降嫁した例も多々ある。
つまりは四大公爵家の機嫌を損ねれば、王位継承権を主張し反乱を起こされる可能性もなくはないのだ。
王家はそれを恐れ、四大公爵家への特別待遇を欠かさないのだろう。
ぼんやりとそんなことを考えながら、父や兄から少し遅れ、控えの間へ足を踏み入れようとした時だった。
「シア!」
上空から声が聞こえ、オルタンシアは反射的に上を見上げた。
そして、凍り付いた。
オルタンシアの姿を見つけ、一心不乱に螺旋階段を駆け下りてくる少年。
……その姿には、見覚えがあった。
(そうだ、ここは王宮。ここに来れば、当然「彼」に遭遇する可能性だってあったのに……!)
逃げなくては。
そうわかっているのに、まるで地面に根が張ってしまったかのように足が動かない。
そうこうしているうちに、少年は螺旋階段を下りきった少年がオルタンシアの目の前へとやって来る。
彼は嬉しそうにオルタンシアの手を握り、目を輝かせた。
「やっと会えた、シア……! やっぱり夢じゃなかったんだ!!」
全身で喜色をあらわにする少年とは対照的に、オルタンシアは血の気が引いて、今にも倒れそうなほどだった。
そんなオルタンシアの様子をどう思ったのか、目の前の少年はなおも畳みかける。
「僕のこと忘れちゃった? ヴィクトルだよ! 一緒に秘密基地で遊んだじゃないか!」
……忘れるわけがない。目の前の少年――ヴィクトル王子は、一度目の人生でオルタンシアの死に深く関わることとなった人物なのだから。
二度目の人生を生き残るために、もっとも関わってはいけない人物だといっても過言ではない。
オルタンシアは己の迂闊さを呪わずにはいられなかった。
一度ならず二度までも。一度目の人生で彼と出会うよりもずっと早くに会ってしまうなんて!
「ここにいるってことはシアも貴族の子なの? この通路を使うのは高位貴族だけだよね? シアはどこの家の子?」
興味津々と言った様子で、ヴィクトルは矢継ぎ早に質問を繰り出してくる。
その態度に、オルタンシアは恐怖に震えあがった。
(まずいまずいまずい……!)
彼にオルタンシアへの興味を抱かせてはいけない。
絶対に、妃候補を集める段階で彼の口からオルタンシアの名が挙がるようなことはあってはいけないのだ……!
(どうしよう、どうすればいいの……!)
考えれば考えるほど、思考がもつれて焦りばかりが募っていく。
オルタンシアは目を見開いたまま、唇を震わせることしかできなかった。
そんなオルタンシアを不審に思ったのか、ヴィクトルがオルタンシアの顔に触れようと手を伸ばしてくる。
反射的に、オルタンシアはぎゅっと目を瞑ってしまった。
その直後――。
「何をしている」
まるで辺り一帯を凍土に変えてしまいそうな、低く冷たい声が響く。
おそるおそる目を開けたオルタンシアの視界に映るのは、頼もしい背中――義兄ジェラールが、オルタンシアを庇うようにヴィクトルの前へ立ち塞がっていたのだ。