53 冬の足音
公爵領への滞在中ずっと、オルタンシアとジェラールの攻防は続いた。
とにかくジェラールを色々な所へ連れ出しリフレッシュ休暇を取らせようとするオルタンシアと、相変わらずワーカホリック気味のジェラール。
オルタンシアの企てがうまくいくこともあれば、「今は忙しい」とすげなく断られることもある。
勝率は五分五分……いや、ややオルタンシア側に勝利の女神が微笑むことが多いだろうか。
ジェラールに教えてもらい、オルタンシアは初めて乗馬に挑戦した。牛の乳しぼりにも挑戦した。
いつも通り無表情で、それでもリズミカルかつ的確に牛の乳を搾る兄の姿には感銘を覚えたものだ。
ジェラールやパメラと領内の様々な場所へ出かけたり、チロルと思いっきり公爵邸の庭園を駆けまわっていたらうっかり森に入り込んで迷子になったり、領主館の使用人たちにいろいろな話を聞かせてもらったり……。
とにかく、そんな風にオルタンシアは領地への滞在を存分に楽しんでいたのである。
そして気が付けば、王都へ帰る日がやってきてしまったのである。
「はぁ、早かったなぁ……」
何度も何度も涙ながらに見送る人々に手を振り、荘厳な城館の姿が見えなくなったところで……オルタンシアは一抹の寂しさを覚えながらも馬車の席に深く腰を下ろした。
「連れてきてくださってありがとうございます、お兄様。とても楽しかったです!」
笑顔で礼を言うと、向かいに腰掛けたジェラールは静かに口を開く。
「またいつでも来られる」
「仲良くなった仔馬、私のこと覚えていてくれるでしょうか……」
「さぁな」
ジェラールの返答はつれないが、彼が柔らかな空気を纏っているのが感じられた。
なんだかんだで、彼も今回の滞在でそれなりにリラックスできたのではないだろうか。
(王都に帰ったら、私も頑張らないと!)
兄がまた無理しないように、少しでも彼の仕事を手伝えるようになりたい。
静かに窓の外を眺める兄を見つめながら、オルタンシアはそう決意したのだった。
◇◇◇
オルタンシアとジェラールが王都へ戻った頃には、もう冬の足音が近づいてきていた。
『遅いぞ、シア!』
「待ってよチロル~」
公爵邸の庭を元気よく駆け回るチロルを、オルタンシアはひぃひぃ言いながら必死に追いかけた。
領地での滞在中に自由にさせすぎたせいか、王都の公爵邸では少し大人しかったチロルもすっかりやんちゃになってしまった。
(まぁ、私も運動不足解消になるからいいんだけどね)
元気いっぱいのチロルを追いかけまわすのは中々疲れるが、引きこもり気質のオルタンシアにとっては貴重な外へ出て運動する機会にもなる。
今日も美しく咲き誇るシャングリラの花の匂いを嗅ぐチロルを眺めながら、オルタンシアはくすりと笑った。
だが、冷たい風が吹き抜けてオルタンシアは思わずぶるりと震えてしまう。
「ねぇチロル、寒くない?」
『まったく寒くないぞ。シアは弱いな!』
「も~、チロルはもふもふの毛があるからでしょ! ぎゅっとしちゃうんだから!」
チロルを持ち上げてぎゅっと抱きしめると、ふわふわの体毛と暖かな体温がオルタンシアの心と体を癒してくれる。
最初に望んだように、オルタンシアが危機的状況に陥った時の戦闘手段としてチロルが役に立つかどうかには少し疑問があるが……少なくとも、かけがえのない友人として、更にはアニマルテラピー的な作用をもたらしてくれるのは確かだ。
(もうすぐ年が明けて、少ししたら……お兄様は学院へ進学してしまう)
貴族の令息の通う学院は、勉学に集中するためか王都から離れたところにあり全寮制となっている。
長期休暇には帰ってくるだろうが、今のように頻繁に顔を合わせることもなくなるのだ。
「寂しくなるなぁ……」
一度目の人生では、まったくそんなことは思わなかった。
むしろジェラールが屋敷からいなくなると聞いて、これで息がしやすくなると安堵したものだ。
(そう考えると、お兄様との関係は信じられないくらいうまくいってるなぁ)
これなら、万が一前の人生と同じ流れを辿って冤罪をかけられても、ジェラールはオルタンシアを庇ってくれるだろうか。
(いやいや。そもそも妃候補にならないのが一番なんだけどね!)
しかし王宮から打診があったとして、断れるものなのだろうか。
(先に誰かと婚約しちゃうのが一番だと思うけど、まったく相手が思い浮かばない……)
一度目の人生で絶賛引きこもりだったオルタンシアには、「この人と結婚したら幸せになれそう……」などという相手はまったく思いつかなかった。
父をも納得させる相手となると、それなりの家柄も必要になってくるだろう。
やはり、少しずつでも社交界に顔を出し、めぼしい相手を探した方がよさそうだ。
(はぁ、この年で婚活を考えないといけないなんて……)
思わずため息を零し、オルタンシアは癒しを求めてチロルのもふもふに顔を埋め大きく息を吸うのだった。