52 お兄様の変化
翌日には、ジェラールは驚く速さで手はずを整えギャンヌ夫人に対する処罰を言い渡していた。
――地位や財産を全て没収したうえで、領内の鉱山での長期間にわたる労役を課す。
それが、ギャンヌ夫人に課せられた罰だった。
直接鉱山に入りつるはしを振るうわけではないが、宿舎の炊事や清掃などの業務も大変な肉体労働だ。
ギャンヌ夫人からすれば、まさに天国から地獄に落とされた気分だろう。
「この私が鉱山送りですって!? よくもそんな……お考え直しくださいジェラール様! 私は何十年も献身的にカトリーヌ様にお仕えしたのですよ!? それなのにこの仕打ちとは……その汚らわしい娼婦の娘の入れ知恵かしら!」
「オルタンシア様になんてことを! 口を慎め!」
「触らないで! 汚らわしい……! どうして私がこんな目に――」
血走った目で喚くギャンヌ夫人が、護送馬車に詰め込まれていく。
その光景を、オルタンシアはジェラールの隣で眺めていた。
いくら公爵夫人に長年仕えた女性といえども、主家の人間への度重なる侮辱という彼女の行為は許されないことだ。
問答無用で処刑されてもおかしくはないのだが、ジェラールはそうしなかった。
それが自らの母へ長年仕えた女性への温情なのか、それとも別の理由があるのかオルタンシアにはわからなかった。
「……てっきり、お兄様ならその場で処刑とかしちゃうかと思いました」
ぽつりとそう呟くと、ジェラールはぽん、とオルタンシアの頭に手を置く。
「そうしようかと思ったが……気が変わった」
「なぜですか?」
「あの者は主家の人間であるお前を侮辱し、誇りを穢そうとした。ただ処刑しただけでは自らの犯した罪の重さを実感することもないかもしれない。だから、あの者のプライドが一番傷つきそうな刑罰を与えたまでだ」
「わぁ……」
温情を与えたわけではなく、むしろ彼女が一番苦しみそうな方法を選んだ結果だとは。
確かにギャンヌ夫人はプライドが高く、鉱山での労役など死ぬよりもつらい罰だろう。
(たぶん、お兄様の私怨も混じってるよね……)
兄はいつもながらに、何を考えているのかわからない涼しい顔をしている。
だが、幼い頃に自分を苦しめた一端であるギャンヌ夫人を追放したことで、少しでも気が晴れたのだろうか。
彼女があそこまで増長してしまったのは、公爵と公爵夫人の不仲や、公爵夫人とジェラールとの確執など、様々な要因がある。
ギャンヌ夫人だけが100%悪い、と断言することはできないが、彼女が長年ジェラールを傷つけていたのも事実だ。
彼女を追放したことで、ジェラールの心の重荷が少しでも軽くなれば幸いだ。
(ギャンヌ夫人には悪いけど、そうならいいな……)
喚き散らすギャンヌ夫人を乗せた護送馬車が、ゆっくりと遠ざかっていく。
その光景を見送ると、ジェラールはくるりと踵を返した。
「お兄様、どちらへ?」
「領の財政状況に関しての確認を――」
「だめです」
オルタンシアは両手を広げ、ジェラールの前に立ち塞がった。
そんなオルタンシアを見下ろし、ジェラールは少しだけ困ったように眉根を寄せた。
「……なんのつもりだ」
「お兄様、昨日もずっとお仕事に出られていたじゃないですか。今日はもうギャンヌ夫人の処罰という大仕事を終えたのだから、しっかり休むべきです!」
「このくらいは仕事のうちに入らない」
「入ります! それに、昨日私にヤギの放牧場を案内してくれるって言ったじゃないですか! すっごく楽しみにしてたのに!!」
(よし、かわいいな妹モード発動よ!)
オルタンシアはぎゅっとジェラールの服の裾をぎゅっと握って、表情を隠すように俯く。
そして、精一杯悲しげな声を絞り出してみせた。
「お兄様が案内してくださるの、たのしみだったのに……」
実際そこまでヤギの放牧に興味があるわけでもないが、オルタンシアにはジェラールを休養させるという一大任務があるのだ。
(必殺! お母様直伝「嘘泣き!」)
「お兄様は、シアのこと嫌いになっちゃったんですか……?」
うるうると目に涙をため、顔を上げる。
すると、ジェラールは明らかにたじろいだ。
「……なぜ泣く必要がある。そこまでヤギが好きだったのか」
「違います……。お兄様がシアのこと嫌いになっちゃったかと思って不安なんです……!」
えーん、と手で顔を覆うと、ジェラールは大きくため息をついた。
さすがにやりすぎたか……とオルタンシアは焦ったが――。
「……わかった。ヤギを見に行くぞ」
「わっ!?」
急激な浮遊感に襲われたかと思うと、オルタンシアはジェラールに抱き上げられていた。
ジェラールはそのまま、すたすたと昨日歩いた道へと進んでいく。
「じ、自分で歩けますお兄様!」
「……俺は」
「え?」
「俺は、嫌いな奴にわざわざ触れたりはしない。時間を割くこともない」
それはつまり、こうしてオルタンシアを抱き上げ、ヤギの放牧場を案内してくれるということは……少なくともオルタンシアのことを嫌いではないということだ。
(ひゃあぁぁぁ……)
本人からそう宣言されると、嬉しさと共に無性に恥ずかしさがこみあげてくる。
オルタンシアは顔を真っ赤にして、ぎゅっとジェラールの肩に顔を埋めた。
そんな兄妹の姿を見て、城館の使用人たちは呆気に取られていた。
ジェラールとオルタンシアの姿が完全に見えなくなった辺りで、使用人たちはひそひそと囁き合う。
「あれは本当にジェラール様なの?」
「あの鉄面皮のジェラール様が……」
「まさか、妹君にはデレデレだなんて……!」
「でも、なんかいい……」
誰かが発したその言葉に、使用人たちは静かに頷き合った。
昔から仕えていた年配の使用人は、母に冷遇され感情を凍らせていたジェラールが素直にオルタンシアに愛情表現をしてみせたのに涙した。
ジェラールの幼少期を知らない年若い使用人は、普段の恐ろしく冷徹な公爵令息が天真爛漫の妹にはタジタジというギャップに(いい意味で)悶絶していた。
かくして、オルタンシアは自分の知らない間に領主間の使用人のほとんどに応援されることとなったのである。
(なんかみんなが優しい気がする……。なんで……?)
ヤギの放牧場から帰って来た途端、多種多様のデザート共に笑顔で使用人たちに出迎えられ、オルタンシアは内心で首を傾げた。
(でも……まぁいっか!)
デザートは美味しいし、皆が優しくしてくれるのはありがたい。
公爵領の特産品である高原牛乳を使用したプリンのまろやかさに舌鼓を打ち、オルタンシアはにやにやと笑みを浮かべるのだった。