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49 お兄様の過去

「ギャンヌ夫人には謹慎を申し付けました。……不快な思いをさせてしまい、大変申し訳ございませんでした、お嬢様。二度とこのようなことが起きないように徹底を――」

「いいのよ、コンスタン。私は気にしてないわ」


 すぐにギャンヌ夫人と引き離されたオルタンシアは、深々と頭を下げる家令――コンスタンを慌てて宥めた。


「それより、もしよかったら……奥様のお話を聞かせて欲しいの。もしかして、奥様とお兄様ってあまり仲がよくなかったのかな……」


 そう問いかけると、コンスタンはすっと目を細め……小さく息を吐いた。


「……そうですね。お嬢様は既に公爵家の一員、十分に知る権利があるといえます。私でよろしければ、かいつまんでお話いたしましょう」

「えぇ、お願い」


 必死に頼むと、コンスタンは重い口を開いてくれた。


「奥様……カトリーヌ様は、さる侯爵家のご令嬢でいらっしゃいました。少々気難しい方で、完璧主義ともいえるでしょう。あまり人付き合いは得意ではないようで、旦那様が王都にいる間もこの城に残っていることの方が多いくらいでした。政略結婚だった旦那様とは、当初は距離を置きつつもつかず離れずな関係を保っていらっしゃったのですが……ジェラール様がお生まれになって、奥様の態度は一変したのです」

「お兄様が生まれてから……?」

「はい。ジェラール様は幼い時分より聡明で、達観した考えをお持ちの素晴らしい御方です。ただあまり感情を表に出さない傾向がありまして、笑顔を浮かべることもあまりありませんでした。……それが、奥様の気に障ってしまったようです」


(お兄様って、昔からそうだったんだ……)


 オルタンシアは幼いジェラールが満面の笑みを浮かべている光景を想像しようとしたが、うまくいかなかった。


(でもまぁ、そういう人だっているよね……)


 人間の性格には個人差がある。ジェラールは一見冷血漢のように見られがちだが、決して他者を思いやる心がないわけじゃない。

 二度目の人生で、オルタンシアはやっとそのことに気づけたのだ。


「奥様はジェラール様を気味悪がり、当たり散らすようになりました。『不完全な子どもを産んでしまった』と心を病むようになり、ギャンヌ夫人など一部の侍女しか傍に寄せ付けず、我々も度々罵られたものです。旦那様が王都で愛人を囲っているなどの噂が耳に届くようになってからは、ますます荒れて……、どんどんとジェラール様への態度もひどくなっていきました」

「そんな……」


 聞いているだけで胸が痛くなるようだった。

 オルタンシアの胸の中には、母との暖かな思い出がたくさん詰まっている。

 目を閉じるだけで、今も鮮明に明るい笑顔を思い出せる。

 亡くなって数年がたつ今でも、母はオルタンシアにとって自身を導いてくれる一番星のような存在だった。

 だが、ジェラールは……。


(そんな小さなころからお母様に嫌われて、酷いことを言われて、お兄様だって傷つかないわけがないのに……!)


「やがてジェラール様はまるで心を殺してしまったかのように感情を表に出すのをやめ、くすりとも笑わなくなりました。事態を重く見た旦那様はジェラール様の養育を奥様に任せるのをやめ、王都へと連れて行き奥様とは距離を取らせるようになりました。ですが奥様の精神状態は回復せず、やがて体を蝕む病に倒れ……闘病の末、亡くなられました。最期まで献身的に奥様を支えたとして、ギャンヌ夫人には奥様亡き後もこの城で部屋と給金を与えるようにと旦那様から仰せつかっております」

「そうだったの……話してくれてありがとう、コンスタン」


 彼にとっても、過去を蒸し返されるような嫌な話だったはずだ。

 オルタンシアのような幼子を煙に巻くことくらいはたやすいはずなのに、それでもコンスタンは過去のできごとを話してくれた。

 ……オルタンシアを、公爵家の一員として認めてくれたのだ。

 それが嬉しくて、オルタンシアは何度も何度も礼を言った。


「……ジェラール様に辛く当たる奥様を止められなかったこと、もっと奥様のことを気にかけるように旦那様を説得できなかったこと。……私も、消えない罪を背負っているのは同じです」


 コンスタンは深い後悔を宿した瞳でそう告げた。


(でも、誰が悪いなんて言えないよね……)


 幼い子どもであるジェラールに辛く当たった公爵夫人を、当然オルタンシアはよく思わない。

 だが、彼女がそうなってしまった原因の一端は父や周囲の者にもあるだろう。

 それに……。


 ――「旦那様が王都で愛人を囲っているなどの噂が耳に届くようになってからは、ますます荒れて……」


(奥様を追い詰めてしまった責任は……私のママにあるのかもしれない)


 その噂の愛人がオルタンシアの母親なのかどうかはわからない。

 だが、確かなのは誰か一人を責めてどうにかなる問題ではないということだ。


(前の私は、何も知らなかったんだね……)


 公爵家の、兄であるジェラールの事情など、深く考えようとしたこともなかった。

 だが、きっと今からでも遅くはないはずだ。


「ありがとうコンスタン。……お兄様がお帰りになられたら、二人でゆっくり話がしたいの」

「……承知いたしました、お嬢様。ジェラール様にそう申し伝えましょう」


 深々と頭を下げたコンスタンに、オルタンシアは微笑んだ。

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