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46 お兄様のお心は複雑怪奇です

「わぁ、いい眺め」


 城館の正面の道は街へと続いており、逆に裏手には雄大な山々が広がっている。

 バルコニーからそびえたつ山々を眺め、オルタンシアは感嘆のため息を漏らした。


「心なしか、空気も綺麗に感じますね」


 一緒についてきてくれたパメラも、雄大な自然を前に感銘を受けているようだ。


「さぁお嬢様。さっそくジェラール様が領都を案内してくださるということですし、お着替えをいたしましょう!」

「はぁい」


 オルタンシアとしてはもう少しゆっくりしたかったのだが、見るからに怠惰たいだを嫌う兄は着いて早々オルタンシアを街に連れ出してくれるそうだ。


(お父様に私を案内するように言われてたし、お兄様はその役目を遂行しようとするよね。……よし、私がお兄様をリラックスさせられるように誘導しないと!)


 あの兄のことだ。ここでも油断すればすぐに仕事をこなそうとするに違いない。


(お兄様を振り回す天真爛漫モード発動よ!)

「そうね、パメラ。とっても可愛くしてもらえると嬉しいな!」


 きゅるん、と愛らしい笑顔を浮かべてみせたオルタンシアに、パメラは目を輝かせて何度も頷いた。




「お待たせいたしました、お兄様!」


 玄関ホールで待っていた兄の元へ駆け寄り、オルタンシアはにっこりと最大限に子どもらしい笑みを浮かべてみせた。


「これ、前にお兄様が屋敷に呼んでくださった『ローレライ』の特注ドレスなんです! どうですか?」


 にこにこと笑いながら問いかけるオルタンシアに、ジェラールは表情を変えずに問い返した。


「どう、とは?」

「え、それは……似合ってるとか、可愛いとか……」


 そんな風に真面目に返されると、張り切ってお披露目しているのが恥ずかしくなってくる。

 そういえば、ジェラールはオルタンシアに大量のドレスを贈りはしたものの、特に装いを褒めてくれたことなどはなかった。


(お兄様って優秀だけど、こういう所が抜けてるんだよね……)


 少なくとも良家の貴公子なら、「女性が着飾って現れた時はとにかく褒める」みたいなレッスンは受けていないのだろうか。


(いや、お兄様の場合特にそんな風に気を使わなくても寄ってくる女性は多いだろうし……むしろ冷たいところが受けそう……)


 そんな風に現実逃避しかけたオルタンシアに、ジェラールはぽつりと呟いた。


「落ち着きのない小動物のようだな」

「あ、ありがとうございます……?」


 いまいち褒めているのかけなされているのか……というか、衣装の感想なのかすらもよくわからなかったが、とりあえずオルタンシアは礼を言っておいた。


(でも、これではっきりわかった。絶対お兄様って、誰が何着てても気にしないタイプだ……!)


 きっと彼は、自分や他人の容姿の美醜には無頓着なのだろう。


(こんなに、綺麗なのに……)


 あらためてジェラールを見上げて、オルタンシアはその整った美貌に感心した。

 まるで月の光を紡いだかのように艶やかな白銀の髪に、美しい凍土を思わせる蒼氷色の涼しげな瞳。整いすぎている顔立ちは作り物めいていて、表情が乏しいのも相まって精巧に作られた人形のようだった。

 むしろ自分の容姿が整いすぎているせいで、周りは等しくジャガイモにしか見えないのかもしれない。


(ふん、いいですよ。落ち着きのない小動物らしくお兄様を翻弄してやるんだから!)

「さぁ行きましょう、お兄様!」



◇◇◇



 ヴェリテ公爵領、領都ルジェット。

 王国北部でも有数のにぎわいを誇る街は、今日も人で溢れていた。


「わぁ~、お店がたくさん! すごいですね、お兄様!」


 オルタンシアは立ち並ぶ店舗に目を輝かせたが、ジェラールはオルタンシアと同じ方向を見つめながら何やらぶつぶつと呟いていた。


「……抜き打ちの立ち入り調査でも行うか」

(わ~ダメダメ! 今はとにかくお兄様を休ませるってお父様と約束したんだから!)


 早速仕事人間に戻ろうとしたジェラールの手を慌てて掴み、オルタンシアは迅速に周囲に視線を走らせる。

 ちょうど目に入ったのは、街の中を流れる運河を進む小舟だ。

 覚悟を決め、オルタンシアはわざとらしく声を上げた。


「あ~! 舟だ! お兄様、シアあれに乗りたいです!」

「わかった、お付きのメイドと行ってこい」

「やだ~、お兄様と乗りたいんです!!」


 兄の腕にしがみつくようにして、オルタンシアは駄々っ子のように「やだやだ~」と繰り返した。


(うぅ、恥ずかしい……。通行人がこっち見て笑ってるし……)


 恥ずかしくて逃げ出したくなったが、ここで折れては今までの苦労が水の泡だ。

 オルタンシアは意を決して、うるうると目を潤ませ(る振りをして)上目遣いに告げた。


「一緒に乗ってくれないなんて……お兄様はシアのこと、きらいになっちゃったの……?」


 ちなみにこの技は、酔っぱらった母に昔教えてもらったものである。

 きっと一生使う機会など訪れないと思っていたが、意外なところで役に立つものだとオルタンシアは母に感謝した。

 ジェラールは相変わらず冷たい目でオルタンシアを見下ろしている。

 その反応に、さすがに呆れられたかと焦り始めた時……。


「……わかった。興奮しすぎて舟から落ちるなよ」


 上から降って来たのは、まさかの承諾の言葉だった。


「やったぁ、お兄様大好き!」


 やけになって抱き着くと、一瞬ジェラールは驚いたように目を丸くした。


「……行くぞ」


 くるりと背を向けた兄の後を、オルタンシアは慌てて追いかけた。

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