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45 初めての領地訪問

 トントン拍子に話は進み、今……オルタンシアはジェラールと共に馬車に揺られている。


「お兄様、お菓子食べますか? みんなが持たせてくれたんです!」

「……俺はいい。お前が食べろ」

「はぁい」


 砂糖をたっぷりまぶしたドライフルーツを食みながら、オルタンシアはちらりと目の前の義兄を見つめた。

 彼はいつものように表情の読めない顔で、窓の外を眺めていた。

 案の定、彼は当初領地へ戻ることを拒んだ。自らワーカホリックへの道を突き進もうとしたのである。

 だがそこで、父の計略が発動したのである。


「実は、オルタンシアに我が領地を見てもらいたいと思っているんだよ。だが私は仕事で王都を離れられないし、他の者に可愛い娘を任せるのは心配だ。どうかな、ジェラール。君の可愛い妹に、我らの領地を案内してもらえないかい?」


 オルタンシアには「ジェラールを任せたよ」と言って懐柔し、ジェラールには「オルタンシアを任せたよ」と言う。

 素直に「休暇を取りなさい」と言っても聞くわけがないジェラールへの、父なりの策略だった。

 断られるのではないか……とオルタンシアはハラハラしたが、意外なことにジェラールはすぐに父の提案を受け入れたのだ。


(お父様はお兄様の性格よくわかってるね……)


 父の意図を察したオルタンシアは、「初めての領地訪問でわくわくどきどきの頼りない妹モード」へと頭を切り替え、こうしてあれこれとジェラールへと話しかけている。


「リュシアンが一緒に来られなくて残念でしたね。ものすごく一緒に来たそうな顔してたけど」

「放っておけ。退屈しないよう十分な仕事は与えてある」

「わぁ……」


 ジェラール付きの従僕となったリュシアンは、オルタンシアとジェラールの領地訪問を聞きつけるなり当然のようについて来ようとした。

 だがジェラールはそっけなくリュシアンを置き去りにし、山のように仕事を与えさえもした。

 兄妹の小旅行の随員は、本当に必要最低限の使用人のみとなっている。


「ヴェリテ公爵領には自然がたくさんあるんですよね。楽しみです!」


 足元で丸まっていたチロルを抱きかかえ、オルタンシアはまだ見ぬ景色に思いを馳せた。


「チロルも思いっきり走り回れるよ。よかったね」


 顎の下あたりを撫でると、チロルはグルグルと気持ちよさそうな声を出す。


「走り回るのはいいが。勝手に屋敷から出ようとはするな。最悪、遭難する」

「わわっ! 気を付けます……」

(遭難って、すごい……)


 いったいどんなところなのだろう。

 下町生まれのオルタンシアにとっては、想像もできない世界だった。



 

 数日後、オルタンシアたちは無事にヴェリテ公爵領へとたどり着いた。

 ヴェリテ公爵領は王国の北部に位置し、山間地帯なのもあって王都よりも幾分か肌寒さを感じるほどだ。

 木組みの建物が立ち並ぶ街を抜け、石橋を渡った先に大きな門がそびえたっている。

 だが門の先には林が広がっており、まだ城館の姿は見えない。

 そのまま馬車は、林の中の曲がりくねった小路を進んでいく。


(……けっこう進んでいるけど、これ全部公爵家の敷地なの? すご……)


 やがて林を抜け視界が開けたかと思うと……目の前に堅牢な石造りの城館が姿を現した。


「すごい……!」


 王都の屋敷はどちらかというときらびやかなイメージが強いが、こちらの方は質実剛健といった雰囲気だ。

 いくつもの尖塔が悠々とそびえたち、美しく色あせた外壁からは長い歴史を感じさせる。

 そのスケールの大きさに圧倒されながらも、オルタンシアはジェラールの手を取りびくびくと馬車から地面に降り立った。

 領主館の前には、ずらりと使用人が待ち構えていた。


「ようこそいらっしゃいました、ジェラール様、オルタンシア様。無事にご到着されて何よりです」


 壮年の家令に優しく微笑まれ、オルタンシアはほっとした。

 だが、家令の背後からはちくちくと好奇とやっかみの視線を感じてしまう。


(うぅ、やっぱり歓迎されてないよね……)


 思わず俯くと、そっとジェラールがオルタンシアの肩に触れた。

 そして、彼は凍てつくような冷たい声ではっきりと告げる。


「皆も既に承知のこととは思うが、オルタンシアは正式にヴェリテ公爵家の一員となった我が妹……現在のヴェリテ公爵家の中ではもっとも序列が高い女性となる。万が一非礼を働いた場合は、二度と公爵領の土を踏めぬものと心得よ」


 ――「オルタンシアを冷遇するようなら覚悟しろ」


 さらりとジェラールが告げた言葉に、使用人たちは慌てたように背筋を伸ばし頭を下げた。


「ふん、行くぞ」

「はっ、はい!」


 もう興味はないとばかりに歩き出したジェラールの後ろを、オルタンシアは慌てて追いかけた。


「……ありがとうございます、お兄様」

「主家の人間に敬意を払うのは当然のことだ。しばらくここには帰っていなかったから、使用人を律するいい機会になる」


 そんな風に気遣ってくれる兄の言葉に、オルタンシアは嬉しさに頬を緩めずにはいられなかった。

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