34 正体がバレないように
目の前の少年は、興味津々といった表情でオルタンシアを眺めていた。
「えっと……」
とりあえず人間に会えたということは、オルタンシアはもとの世界に戻ってこられたようだ。
だが、ここはいったいどこなのだろう。
(もしかして誰かの私有地? 目の前の子もけっこういいとこの子っぽい感じだし、どこかの貴族の屋敷だったらまずくない……!?)
万が一ヴェリテ公爵家と対立している貴族の屋敷に転がり落ちてしまったとしたら、大変なことになってしまう。
ヴェリテ公爵家は四大公爵家の一つである、国内でも有数の名家だ。だがそれ故に敵も多い。
オルタンシアの不法侵入を理由にヴェリテ公爵家に難癖をつけたり、最悪人質にされてしまう可能性もある。
(なんとかして、ここから出ないと……!)
オルタンシアはおそるおそる目の前の少年を見つめた。
装飾や生地の具合を見ても、即座に一級品とわかる衣服を身に着けている。
彼は一人のようで、近くにお付きの者の姿は見えない。
(私と同じくらいの年の子だし、うまく言いくるめてここから逃げ出すことが出来れば……)
オルタンシアはとりあえず相手を警戒させないように、にっこりと笑ってみせた。
「こんにちは、驚かせてしまってごめんなさい。お散歩していたらここに迷い込んでしまったみたいなの。よければ出口を教えてもらえないかな?」
おそるおそるそう口にすると、目の前の少年は目を輝かせた。
「いいけど……その前に僕と遊んでよ!」
少年は無邪気な笑みを浮かべてこちらへ手を差し伸べた。
(うっ、できれば早くここから出たいんだけど……)
しかしここで断ってこの少年が騒ぎ始めては困るし、オルタンシア一人で出口を探すのも骨が折れそうだ。
(少しだけ遊んで、この子が満足すれば……)
オルタンシアが手を取ると、少年は嬉しそうに笑った。
「こっちに僕の秘密の場所があるんだ! 特別に教えてあげる!」
少年は嬉しそうにオルタンシアの手を引っ張って走り始める。
オルタンシアは転ばないように走りながらも、目の前の少年の無邪気な笑顔に頬を緩ませた。
(なるほど、本物の子どもってこんな感じなのね。参考にさせてもらおう)
大人たちの前で「愛らしい七歳の少女」の振りをするのに役立ちそうだ。
そんな含みを持ちながら、オルタンシアはこっそりと目の前の少年を観察するのだった。
「僕はヴィクトル。君は?」
「えっと……シア。シアっていうの」
本名がバレてしまっては後で困ると思い、オルタンシアは愛称だけを名乗っておくことにした。
「シアはどこから来たの?」
「それは……遠い、ところかな? お散歩しているうちに知らない場所に来ちゃって」
「それは大変だったね! 僕もたまに迷うことがあるよ。似たような廊下ばかりだと区別がつかなくて……」
ちょっと言い訳が苦しいかな……と思ったが、ヴィクトルは深く突っ込むこともなく話を続けている。
彼の警戒心の無さに、オルタンシアは内心でほっと安堵のため息をついた。
「それより、シアは珍しい猫を飼ってるんだね」
『おい! 僕は猫じゃな――』
「そ、そうでしょ! とっても可愛いのよ!」
オルタンシアが抱いているチロルを見て、ヴィクトルは猫だと勘違いしたようだ。
猫扱いされたのが不満だったのか、チロルがわぁわぁと騒ぎかけてしまった。
慌ててその口をふさぎ、オルタンシアは誤魔化すように笑う。
(まずいまずい。精霊を連れてたなんて知られたら、それこそ私の正体がばれちゃうじゃない!)
ここは猫だと誤解させたままで行こう。そう決意したオルタンシアは、不満げな声を漏らすチロルの口をふさいだまま引きつった笑みを浮かべるのだった。
「ほら、ここが僕の秘密基地!」
木立の中を進みたどり着いたのは、オルタンシアが三人手をつないでも囲めなさそうな、太い幹の大樹だった。
ヴィクトルが周囲に生えた背の高い草をかき分けると、大きな木のうろが露になる。
「わぁ……」
「本当は僕だけの秘密の場所なんだけど、特別にシアに教えてあげる!」
ヴィクトルが這うようにして秘密基地の中へ入っていく。
ドレスの裾を汚してしまうことを気にしながらも、オルタンシアはその後に続いた。