31 いざ精霊界へ
オルタンシアは戸惑いながらも、事情を説明しようと口を開く。
「で、でも……もしまた危険な目に遭った時に、何か身を守る手段はあった方がいいと思って……」
「その必要はない。お前を狙う危険分子は、すべて事前に潰しておく」
「…………え?」
「これからは、何があっても俺がお前を守ると言ったんだ」
表情一つ動かさずに、ジェラールは確かにそう宣言した。
数秒かけてその意味をかみ砕いたオルタンシアは、様々な感情が溢れ出して胸が詰まったかのような心地を味わった。
(あのお兄様が、私にこんなことを言ってくださるなんて……)
――「俺は一度たりとも、お前を妹などと思ったことはない」
今でも耳の奥に残る、すべてを凍てつかせるような冷たい声。
間違いなくあの時の彼は、オルタンシアのことを嫌っていた。見殺しにした。
だけど、今は……。
(私のことを、心配してくださるのね……)
きっとオルタンシアが精霊界に行くのを止めようとするのも、オルタンシアの身を案じてのことだろう。
彼の不器用な優しさが、じんわりと胸に染みわたる。
(大丈夫、未来は明るい方向に進んでいるはず……)
だからこそ、オルタンシアは決意した。
「ありがとうございます、お兄様。でも、私……精霊界に行くことを決めました」
「何故だ、必要ないと言ったはずだが」
「だって……私が強くなれば、お兄様に何かあった時にお兄様をお守りできるでしょう?」
にっこり笑ってそう告げると、ジェラールは意表を突かれたような顔をした。
彼がこんな風に感情を顔に出すのは珍しい。
オルタンシアはくすりと笑う。
(女神様のお告げが本当だとしたら、この先お兄様に何が起こるのかわからない。だったら、私が守れるように強くならないとね!)
「大丈夫です、お兄様。私、絶対に元気で帰ってきますから!」
そういうと、ジェラールは複雑そうな顔をしたが、それ以上オルタンシアを止めようとはしなかった。
(お兄様も私が不甲斐ないからこうやって止めようとするんだよね……。よし、精霊に力を借りてもっと強くならなくちゃ!)
俄然やる気になったオルタンシアは、日が落ちるとすぐに父の執務室へと向かったのだった。
「王家や四大公爵家にはそれぞれゆかりある精霊がいてね。その精霊の生息域に近い場所への『扉』を所持しているんだ。精霊界は広大で、なんの道しるべもなく足を踏み入れたら迷ってしまうからね」
そう話す父の声が、石造りの狭い階段へ響く。
彼が手にしたロウソクの明かりを頼りに、オルタンシアは転ばないようにおっかなびっくり父の後を追い、階段を下っていく。
約束通りに執務室を訪れたオルタンシアを、父は秘密の通路へと誘った。
(公爵邸に秘密の通路があるって話は聞いていたけど、本当だったんだ……)
執務室の本棚の後ろに存在する隠し扉――そこから続く階段を下り続け、おそらくここは地下空間なのだろう。
オルタンシアは緊張のあまり自分の手が震えているのに気が付いて、慌てて深呼吸をした。
やがて階段は終わり、大きな扉の前にたどり着く。
「この先だ、準備はいいかい?」
「……はい、お父様」
オルタンシアが返事をすると、父はにやりと笑って扉を開いた。
扉の先は、さほど大きくもない空間だった。
窓も家具もない部屋の中央に、ぽつんと扉が一枚鎮座している。
目をみはるような美しい紋様の彫られた、どこか神秘的な空気を秘めた扉だ。
おそらくこれが、精霊界へと繋がる扉なのだろう。
ごくりと息を飲むオルタンシアの背を、父はそっと押した。
「さぁオルタンシア、昨日渡した鍵で扉を開いてごらん。……大丈夫、怖がることはない。君ならばうまくやれるだろう」
(私は生き延びるため……それに、お兄様のためにも強くなるって決めたんだから!)
逃げ出したくなるのをなんとか堪え、オルタンシアは震える手で鍵穴に鍵を差し込んだ。
ゆっくりと錠のまわる音が聞こえ、ひとりでに扉が開く。
「わぁ……!」
扉の向こうには、一面が銀雪に覆われた雪山が広がっていた。
(これが、精霊界……)
一瞬尻込みしかけたが、勇気を振り絞りオルタンシアは一歩扉の向こうへと足を踏み出す。
そして完全に大地を踏みしめた途端――。
「あっ……!」
ひとりでに扉が閉まり、まるで空気に溶けるように消えてしまったのだ。
一面の銀世界に囲まれ、オルタンシアは焦った。
(ど、どうしよう……! 扉が消えちゃったらどうやって帰ればいいの!?)
てっきりうまくいってもいかなくても来た時と同じように扉をくぐって帰ればいいと思っていたのだが、どうも違うようだ。
(どうしよう、二度と帰れなくなっちゃったら……!)
さっそくテンパるオルタンシアの耳に、不意に優しい声が届く。
『どうしたの?』
「えっ!?」
まさか自分以外にも誰かいたのだろうか。
慌てて振り返り、オルタンシアは首を傾げた。
「あれ?」
背後には誰もいない。どうやら聞き間違いだったようだ。
「そうだよね。こんなところに誰かいるわけ――」
『ねえってば。聞いてる!?』
「わわっ!」
更に畳みかけられ、オルタンシアは混乱した。
声の主を探そうと視線を彷徨わせると……。
「あれ?」
オルタンシアの足元で小さな鳥が何かを主張するように、ぴょんぴょんと跳ねている。