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30 お父様の提案

 その夜、自室に戻ってうんうんと唸っていると……不意にオルタンシアは父から執務室へと呼び出しを受けた。


(うっ、もしかして騎士団に迷惑をかけちゃったことを怒られるかな?)


 ドキドキしながら執務室の扉を叩くと、意外と優しい声で入室を許可された。


「失礼します……」


 おそるおそる室内に足を踏み入れると、父はいつものように笑顔で出迎えてくれた。


「よく来てくれたね、オルタンシア。そこに掛けなさい」


 ソファを勧められ、オルタンシアはちょこんと腰を下ろす。


「どうして私が君を呼んだかわかるかい?」

「……昼間に騎士団を尋ねた件でしょうか」

「あぁ、その通りだ」

「ごめんなさい、お父様。私皆さんにご迷惑を……」


 しょんぼりと落ち込むオルタンシアの頭を、父は大きな手で撫でてくれた。

 彼はオルタンシアの隣に腰掛けると、優しく口を開いた。


「誰も君を責めてはいないよ。ただ、理由が聞きたいと思ってね」


 父に促され、オルタンシアはおずおずと口を開いた。


「私……強くなりたいと思ったんです。またあんな目に遭っても、今度は自分で逃げ出せるように」


 オルタンシアの言葉を聞いて、父は目を丸くした。


「…………そうだったのか」


 彼はオルタンシアを責めなかった。咎めもしなかった。

 ただ静かに、オルタンシアの胸の内を慮ってくれたのだ。


「済まなかったね、オルタンシア。あの日、みすみすと君を奪われたのは私たちの落ち度だ。あの件に関わった者は、すべからく二度と君の前に現れないように消しておいたが……私たちのいる場所は、いつも危険と隣り合わせなのも確かだ」


 父は昔を思い出すかのように深く目を閉じ、小さくため息をついた。


「私も昔から幾度も危険な目に遭ったよ。今こうして生きているのが奇跡だと思えるくらいだ。残念ながら私はあまり武の才には恵まれなくてね。君の気持もよくわかるさ」


 父はオルタンシアの小さな手を取った。そして、くすりと笑う。


「確かに、この小さな手で剣を扱うにはあと百年くらいはかかるかもしれないな」

「もう、お父様! 私は真剣なんです!」

「はは、済まない。だがオルタンシア、自分の身を守るのは剣だけではない。……ひとつ、自分の才を試してはみないかい?」


 そう言うと、父は立ち上がり執務室の机から一本の鍵を取り出した。

 宝石で装飾がなされた、美しい鍵だ。


「これは、遥か昔から我がヴェリテ公爵家に力を貸してくれる、精霊たちの世界へ繋がる鍵だ」

「えぇっ!?」

「精霊界へ足を踏み入れ、精霊に助力を請うてみるといい。うまくいけば、彼らは君を守る強い力となってくれるだろう」


 父はそっとオルタンシアの手に美しい鍵を握らせた。


「少し準備が必要だからね。君にその気があるのなら、明日の夜にまたここへ来るといい。精霊界へ繋がる扉へと案内しよう」


 父はまっすぐにオルタンシアを見つめながら、にやりと笑った。

 オルタンシアは信じられないような思いで、父の顔と手元の鍵へと交互へ視線をやるのだった。



 ――「君にその気があるのなら、明日の夜にまたここへ来るといい」


 翌日、オルタンシアは悩んでいた。

 父の誘いに乗って、精霊界に足を踏み入れるべきか、やめておくべきか……。


(いやそもそも……精霊ってよくわからないんだよね)


 精霊とは、こことは別の世界に住む生き物であり、人よりも神に近いとされている。

 古くから人と精霊が力を合わせ大事を成し遂げるようなおとぎ話は数多くあるが……オルタンシアにとっては遠い世界の話だった。


(軽率に精霊界に行っても大丈夫? 怒られて攻撃されたりしないかな……?)


 精霊が力を貸してくれるのは、高貴な生まれだったり、高潔な精神を持っている特別な人間だと相場は決まっている。

 なのにオルタンシアときたら公爵家の血筋がどうかも怪しいし、とても高潔な精神の持ち主だとも言い難い。

 正直不安で仕方ないが、ここで悩んでいても始まらないだろう。


(よし、精霊について調べてみよっと)


 部屋を出たオルタンシアが向かったのは、公爵邸の中にある書庫だ。

 一度目の人生の時から、書庫には馴染みがある。

 内向的な性格のオルタンシアは、ひたすら部屋にこもり読書や裁縫を友としていたのだ。

 書庫に足を踏み入れると、すぐに司書が声をかけてくれた。


「おや、オルタンシアお嬢様。なにか本をお探しですか?」

「えぇ、精霊に関する本を調べたいの」

「承知いたしました。少々お待ちください」


 ほどなくして司書は、いくつもの本を抱えて戻ってきた。

 丁寧に礼を言い、オルタンシアは近くの机に本を広げぱらぱらとページをめくる。


(昔から、ヴェリテ公爵家にも精霊を使役する人がいたのね)


 時代を下るにつれ、精霊の力を行使する人間は減りつつあるようだ。

 だが、歴代当主の多くが強大な精霊を従えていたのだという。

 もしもオルタンシアが、彼らのように精霊の助力を得ることが出来たら――。

 そう考えた時、すっとページに影が落ちた。

 反射的に顔を上げたオルタンシアは、いつの間にか傍らにやって来ていた人物に仰天してしまう。


「お、お兄様!?」


 なんとジェラールが、じっとこちらを覗き込んでいるではないか。

 まったく彼の存在に気が付かなかったオルタンシアは驚きに固まってしまう。

 そんなオルタンシアを一瞥して、ジェラールは静かに口を開いた。


「……父上に、精霊との契約を勧められたそうだな」

「あ、はい……」


 なぜジェラールがそのことを知っているのだろう。父が話したのだろうか。

 不思議に思ったが、とりあえずオルタンシアは頷いておいた。


「必要ない」

「え?」

「精霊界に行く必要はない」


 ジェラールは至極真面目な顔で、畳みかけるようにそう告げた。


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