29 ムキムキマッチョへの道は遠い
父や兄に似ていない――つまり、遠回しにオルタンシアを公爵家の一員だと認められないと言いたいのだろう。
(……わかる人には、わかっちゃうのかな)
実際オルタンシアは、父の血を引いているかどうかもわからない。
生まれは卑しい酒場の娘。公爵家に引き取られるまでは下町の孤児院で暮らしていたのだ。
そんなどこの馬の骨ともわからない相手に、騎士として忠誠は捧げられないのだろう。
(ここに、来るべきじゃなかった……)
がくがくと足が震えそうになってしまう。
そんなオルタンシアを見て、テリエ卿はにやりと笑った。
「本当に、似ていない。まさか…………あの狸親父からこんなに可愛い女の子が生まれるなんて!」
(…………あれ?)
思ってもみなかった言葉に、オルタンシアはおそるおそる顔を上げる。
そして仰天した。
こちらを冷たい視線で見下ろしているはずのテリエ卿は、なぜかデレデレと締まりのない笑みを浮かべていたのだから!
「あぁ、本当に可愛い……! いったいあの狸親父は前世でどんな善行を積んだらこんなに可愛い娘に恵まれるんだ?」
「……副団長、オルタンシアお嬢様が困惑しておられます」
「おっとすまんすまん。どうにもうちの娘の小さい頃を思い出してしまってな。今じゃ『お父さん臭い! 私の服と一緒に洗わないで!』なんて言うようになりおって……」
もう一人の騎士にこそりと注意されたテリエ卿は、なにやら哀愁を漂わせながらもオルタンシアを安心させるようににっこりと笑ってみせる。
「取り乱してしまい申し訳ございません、お嬢様。あの狸親父……失礼、公爵閣下とはいい意味で似ていらっしゃらなかったので、奇跡が起きたのだと驚いてしまいました」
そのあけすけない言い方に、オルタンシアは思わずくすりと笑ってしまった。
「ふふ、お父様と親しいのですね」
「えぇ、何度も共に死地を駆け抜けましたから。彼は武力よりも悪知恵……いや知略に優れており、私はこの通り力しか取り柄の無い人間です。持ちつ持たれつという奴ですね」
(よかった。思ったよりいい人みたい……)
テリエ卿の穏やかな態度に、オルタンシアは心底安堵した。
汚らわしい妾の子だと蔑まれるかと思いきや、まさかこんな風に歓待してもらえるとは。
「えっと私、実は……剣を学びたくて、今日は見学に来たのです」
そう言うと、テリエ卿は驚いたように目を丸くした。
「剣? 剣というと……我々が持っているこれですか?」
「えぇ、それです!」
テリエ卿が腰に佩いた剣を指し、オルタンシアは何度も頷いた。
意図は伝わっているようだが……なぜか彼は、困ったように眉根を寄せた。
「なるほど、なるほど……。しかしまずは、お嬢様に現実を知っていただかなければ」
小さく息を吐くと、テリエ卿は腰に佩いていた剣を鞘ごと外した。
そして鞘を地面につけると、優しくオルタンシアに微笑みかける。
「ではお嬢様、まずはこの剣を持ってみてください」
「…………? はい」
よくわからないまま、オルタンシアは剣に触れた。
それを確認して、テリエ卿が手を放す。だがその途端――。
「わわっ!?」
「お嬢様!」
ぐらりと剣が傾き、オルタンシアの方へと倒れてくる。
慌てて支えようとしたが、オルタンシアの力ではびくともしなかった。
(た、倒れる!)
「おっと」
ぐらりとオルタンシアの体が傾きかけた途端、テリエ卿が軽々と剣とオルタンシアを支えてくれた。
「おわかりいただけましたでしょうか、お嬢様。このように、騎士として剣を扱うにはまず力を……筋肉をつける必要がございます。お嬢様が望むのでしたらみっちりと鍛えて差し上げますが――」
(うっ、剣がこんなに重いなんて……真面目に修行したら何年かかるんだろう……?)
オルタンシアは己の非力さを嘆いた。このまま彼に師事して騎士を目指すという手もあるが……実力が身に着くまでには何年もかかりそうだ。
(ゆっくりしてたらまた処刑されちゃいそうなんだよね……!)
「ご丁寧にありがとうございました。もう少し、考えてみようと思います……」
ぺこりと頭を下げると、テリエ卿は表情を緩めた。
「誰にでも向き不向きがあるものです、お嬢様。また気がむいたらいつでもいらしてください。我々も励みになりますので。もちろんお嬢様をムッキムキにするお手伝いも――」
「テリエ卿! お嬢様にムキムキなんて似合いません!」
「ははっ、すまんすまん」
憤慨したパメラを宥めながら、オルタンシアはその場を後にした。
どうやら、作戦を練り直す必要がありそうだ。