2 あぁ、なんて運の無い人生
オルタンシアは、元々は場末の酒場の歌姫の元に生まれた娘だった。
母は恋多き人だったので、父親はわからない。
それでも、幼い頃は母と二人で楽しく暮らしていた。
暮らしは貧しかったけど、いつも笑いが絶えなかった。
……突然の病で、母が若くして亡くなるまでは。
頼れる親戚もなく、孤児となったオルタンシアは、孤児院で暮らすこととなった。
孤児院での暮らしも、そう悪くはなかった。
意地悪な子に虐められたりもしたけど、それでも皆、身を寄せ合って暮らしていた。
そうしてオルタンシアが7歳を迎える頃……当時のヴェリテ公爵――父が孤児院へとやって来た。
オルタンシアを、公爵家の養女として引き取るために。
何でも公爵は、オルタンシアの母の恋人の一人だったらしい。
人づてに母が亡くなったこと、そして娘のオルタンシアが孤児として残されたことを知った公爵は、「もしや自分の娘ではないか」と探していたそうだ。
――「一人にして済まなかったね、オルタンシア。私が君の父親だ」
初めて会った日に、ヴェリテ公爵――父はそう言ってオルタンシアを抱きしめてくれた。
どうやら父は、オルタンシアが自分の娘だと確信しているようだった。
(でもでもよく考えてみれば……政略の駒として有力者に嫁がせる「公爵令嬢」を欲しがってただけな気もするんだよね! お父様腹芸得意だから!!)
ヴェリテ公爵は孤児院に莫大な援助を約束して、オルタンシアを娘として引き取った。
ろくに教育も受けていない孤児が、なんと公爵令嬢へとクラスチェンジしてしまったのである!
ヴェリテ公爵家は建国当時から存在する四大公爵家の一つで、つまりは国内でも指折りの超名門貴族なのである。
数日前まで孤児院でのんきに草むしりをしていたオルタンシアは、あっという間に大勢の使用人にかしずかれる「お嬢様」へと成り上がってしまったのだ。
(正直嬉しいって言うよりもびっくりしたよね……。「この巨大なお城みたいのが私の家なの!?」って)
最初の内は、何もかも慣れないことばかりだった。
基本的な食事のマナーすらなってなかったオルタンシアは、随分と教育係に怒られたものだ。
影では「妾の子のくせに」「本当に公爵様の血を引いているのかどうかも疑わしい」と、使用人たちからも散々馬鹿にされた。
(誰かに助けを求めることもできなくて、夜になってベッドに入るといつも声を殺して泣いてたなぁ……。涙でずくずくになった枕は気持ち悪かった)
ヴェリテ公爵である父は忙しい人間で、屋敷を空けている日が多かった。
幼いオルタンシアの目から見ても父が娘に構っている時間はないのが明らかだったので、何か困ったことがあっても相談することもできなかった。
(それに、最大の壁は……)
義兄であるジェラールは、それ以前の問題だった。
そもそも、彼とコミュニケーションを取ること自体が絶望的だったのである。
初対面で義兄の絶対零度の視線に盛大に怯えたオルタンシアは、それ以降過剰に彼を避けるようになっていたのである。
屋敷の中でもできるだけ会わないようにしていたし、食事の場などで同席することになっても、あの冷たい視線を向けられるのが怖くて、ろくに視線も合わせられなかった。
(まぁ、お兄様からすれば私は血が繋がってるかどうかもわからない下賤な酒場の女の娘だし。いきなり「今日から妹です!」なんて言われても、受け入れられるわけがないよね……)
そんな状態だったから、当然ジェラールの方からオルタンシアへコンタクトを取ってくることもなく、二人は同じ屋敷で暮らす他人のようだった。
いや、他人よりひどいだろう。
ジェラールはオルタンシアを「いない者」として扱い、オルタンシアはジェラールの姿が見えるたびに全速力で逃げ出す始末だったのだ。
(ひらすら逃げまくってたから、公爵邸の構造にだけは人一倍詳しくなったんだよね。特に役に立たなかったけど)
そうして、広い屋敷で孤独を抱えながら過ごすこと数年。
何とか見苦しくない程度にマナーを身につけたオルタンシアは、公爵令嬢として社交界デビューを果たすことになる。
公爵令嬢として社交界に足を踏み出したオルタンシアは、皆に暖かく迎えられた。
……あくまで、表向きは。
「妾の子なんですって。どうりで品がないと思ったわ」
「ジェラール様は口も利かないそうよ。やはり高貴なる血族に下賤な者が混じるのが許せないのでしょう」
「早くご自身の立場を理解すればいいのに。みっともないわ」
(はいはい、聞こえてます! 陰口!! こういうのって、むしろわざと聞こえるように言ってるんですよね……)
ぽっと出の公爵令嬢なオルタンシアは、陰で散々嫌味を言われたものだ。
気弱な性格のオルタンシアは言い返すこともできなくて、パーティーなどの場ではいつも俯いていた。
一応名門公爵家の娘という立場上、ダンスなどのお誘いを受けることは多かったが……失敗するのが怖くてお断りしてばかりだった。
その態度がよくなかったようで、「娼婦の娘の癖にまぁ嫌味ったらしい!」と陰口スパイラルは更に加速していくことになるのである。
(あの時適当な相手と無理やりにでも結婚話を進めていれば、最悪の未来は避けられたのかなぁ……)
そんなわけでろくに縁談も進まなかったオルタンシアは、16歳の時に王太子殿下の妃候補として王宮に上がることとなる。
別に王太子殿下がオルタンシアを見初められたとかそんなことはなく、公爵家の面子を守るためと単なる数合わせのためだ。
代々この国の慣習で、王太子が一定の年齢を迎えても妃も婚約者のいなかった場合は、年頃の貴族の娘が王宮に集められ、王太子と交流を深めるといういわゆる「花嫁選考会」が催されることになっていた。
ちょうど年頃で恋人も婚約者もいなかったオルタンシアにもお声がかかり、「社交経験だと思って軽い気持ちで行ってごらん」という父の勧めに従い、残念公爵令嬢はのこのこと王宮に上がったのだ。
しかし花嫁選考会の場でも、オルタンシアは浮いていた。
綺麗に着飾り、ことあるごとに王太子殿下へのアピールを欠かさない他の妃候補はきらきらと輝いてみえたものだ。
引け目を感じたオルタンシアは必要な時以外はずっと部屋に閉じこもってばかりになってしまった。
(現実逃避に、読書や刺繍に没頭してたっけ……。我ながらに地味すぎる)
それぞれの候補に設けられている王太子殿下との交流の時間も、ひたすら気まずい沈黙に陥らないように王太子に気を遣わせてばかりだった。
きっと皆、オルタンシアをライバルだとは見なしていなかっただろう。
そんな中、父が突然の病に倒れ帰らぬ人となった。
(あの時は驚いたな……。ぜんぜんそんな予兆はなかったんだもん)
一時的に王宮から公爵家へ戻ることが許されたオルタンシアは、父との早すぎる別れに涙を零した。
相変わらず義兄のジェラールはオルタンシアとは口も利かず、時折こちらへ向けられる視線は冷たかったけど……オルタンシアは漠然と彼の身を案じていた。
父の死によって、義兄は若くして公爵位を継ぐことになったのだ。
葬儀の日も、彼は涙一つ見せず毅然とした態度を貫いていた。
でも、きっと辛いに違いない。
私がもっとしっかりして、お兄様を支えて差し上げなければ。
身の程知らずにも、オルタンシアはそんなことを考えたものだ。
(お兄様からすれば、いい迷惑だったのにね)
王宮に戻されたオルタンシアは、どんどんと白熱していく花嫁選考会をよそに、いつここから帰れるのかとそんなことばかり考えていた。
公爵家に戻ったら、少しでも兄の力になれるように勉強をしなければ。
そんな風に考えていた時だった。
王宮を……いや、国中を揺るがす事件が起こったのは。
妃候補の一人が、毒殺されかけた。
幸いにも医師の処置が早く一命をとりとめたが、あと少し遅れていたら命はなかったらしい。
その話を聞いて「なんて恐ろしい」と震えあがると同時に、オルタンシアは容疑者として捕らえられていた。
なんでもオルタンシアが怪しい行動を取っていたと証言する者や、ターゲットとなった令嬢と揉めていたと証言する者が複数いたらしい。
(嵌められたってことすら気づかずに、ひたすらおろおろしてばっかりだったなぁ……。「いつの間に私のドッペルゲンガーが現れたの!?」って馬鹿なこと考えたりして)
ずっと部屋に籠ってばかりで味方もおらず、ろくにアリバイがないのも悪かった。
反論する暇もなく、オルタンシアは犯人扱いされてしまったのだ。
ジェラールは義妹であるオルタンシアを助けようとはしなかった。
「冷酷公爵」として名を馳せ始めていた彼は、その名に違わず義妹を切り捨てたのだ。
罪人として捕らえられ、尋問され……最後にはあっさりと処刑され……。
(思い返せばなんとまあ、運の無い人生だったね……)