19 お茶会デビュー
オルタンシアのデビュー戦となるのは、とある伯爵家で行われるお茶会だ。
父に連れられるようにして伯爵家の屋敷を訪れたオルタンシアは、どきどきしながら会場へと足を踏み入れる。
(うっ、視線が……!)
その途端、四方八方からちくちくと好奇の視線が突き刺さる。
なんしろ今のオルタンシアは、国内有数の公爵家に突如として現れた、謎の公爵令嬢なのだ。
まぁいろいろと詮索したくなる気持ちもわからないでもないが、こちらとしては全力でほっといてくださいという感じである。
「おいで、オルタンシア。あちらにいらっしゃるのが本日のお茶会の主催者である伯爵夫人だ」
「はい、お父様」
皆様の視線なんてまったく気にしておりませんわ……という空気を醸し出しながら、オルタンシアは伯爵夫人の前へと進み出る。
(お父様の紹介ってことは、ヴェリテ公爵家の味方ってことよね……)
ここで顔を繋いでおけば、将来オルタンシアが窮地に陥った時に、助けてくれる可能性もなくはない。
よし、全力で媚びておこう。
オルタンシアは即座にそう決意した。
「夫人、この子は私の娘のオルタンシアだ。訳あって田舎に預けていたのだが、やっと一緒に暮らせるようになってね」
「初めまして、伯爵夫人。お会いできて光栄ですわ。オルタンシア・アルティエル・ヴェリテと申します」
オルタンシアがそう名乗った途端、あちこちからざわめきが聞こえてくる。
(えっ、私なにかまずいこと言っちゃった!?)
愛らしい笑顔を浮かべたまま、オルタンシアは静かに焦ったが――。
次の瞬間伯爵夫人が平伏する勢いで頭を下げたので、面食らってしまう。
「こちらこそ、お会いできて光栄ですわ。オルタンシア様。あぁ、本当に女神のように神々しいお嬢様ですこと……」
伯爵夫人はどこか恍惚とした表情で、熱っぽくオルタンシアを見つめている。
予想もしなかった反応に、オルタンシアはぽかんとしてしまった。
(こ、この対応の違いは何……!?)
一度目の人生の時は、オルタンシアがおずおずと名乗ると「あぁ、これが噂のヴェリテ公爵の妾の子か」と、皆が意味深な笑みを浮かべたものだ。
あからさまに嘲笑する者もいた。
だからオルタンシアは、そういった嘲るような反応が普通だと思っていたのだが……。
(なんで!? 私普通に名乗っただけだよね!?)
おろおろするオルタンシアの耳に、不意に会場の隅に控えた者たちのざわめきがかすかに届く。
こっそり《聞き耳》を発動させ、会話を盗み聞いてみると――。
「お聞きになりました? 今たしかに『アルティエル』と名乗られたわ!」
「王族にも匹敵する格の高い洗礼名よ」
「公爵様の実子なのは間違いないようね……」
(あぁ、なるほど……)
オルタンシアはやっと少しだけ納得できた。
一度目の人生と、今の大きな違い。それは、オルタンシアの洗礼名だ。
どうやら社交界での洗礼名は、オルタンシアが思っている以上に大きな影響力を持っているようだ。
名前一つでこうも変わるとは……と感心していると、父がオルタンシアを抱き上げた。
「ほら、オルタンシア。他の皆さまにも挨拶に向かおうか」
「わかりました、お父様」
父に連れられるようにして、オルタンシアは多くの者に名乗り、挨拶をこなしていく。
「まるで真珠のように愛らしいお嬢様ですこと」
「公爵様にそっくりだわ」
「お嬢様がお召しのドレスはとっても素敵ですね……。えっ、ソルシエールの特注品!?」
「なんて賢く聡明な御方なのでしょう!」
次々と飛んでくるお世辞の数々に、オルタンシアは頬がひきつりそうになってしまう。
(これが、貴族の化かし合いなのね……)
生まれ持っての貴族は、幼い頃からこんな世界で生きているのだ。
そりゃあ、付け焼刃の公爵令嬢であるオルタンシアが太刀打ちできないわけである。
(私もいつかはこういう裏の顔が読み取れるようになるのかなぁ……。うーん、まずはお兄様が何を考えているのかわかればいいんだけど……)
お茶会の席でもぐもぐとお菓子を頬張りながら、オルタンシアはそっとティーカップの中にため息を零した。
少なくとも今のところは、一度目の人生より良い方向に向かっている……と思いたい。
(とにかく、味方を増やして社交スキルを磨かなきゃね! これからは頑張ってお茶会に参加しないと!)
あれこれと話しかけてくる周囲に愛らしい笑みを振りまきながら、小さな公爵令嬢は決意を新たにするのだった。