18 まさかの合格通達
同じころ、オルタンシアの教育係を務めるアナベルのレッスンも日々過熱していった。
最近はデザイナーの乱入でレッスンが中断されることも度々あり、アナベルはいつにも増してピリピリしているようだ。
「よろしいですか、お嬢様。そう、そのまま腰を曲げて、頭を下げ……まぁ、合格といたしましょうか」
渋々といった表情で、アナベルはオルタンシアのお辞儀に合格を言い渡した。
無事に彼女のレッスンを切り抜けられたことに、オルタンシアはほっと安堵のため息を零す。
(さすがに……昔ビシバシしごかれたおかげで、なんとか合格はできたみたいね……)
昔のオルタンシアときたら、それはもうひどかった。
母のおかげで「庶民としての」マナーは身についていたが、それが貴族社会で通用するはずもなく。
特に目の前の教育係――アナベルには、親の仇かと思うくらいに厳しくされたものだ。
「まるで躾のなっていない山猿のようですわ!」と、蔑まれ、真夜中までみっちりレッスンを仕込まれ……できれば、あまり思い出したくない記憶である。
今も、オルタンシアに少しでも隙があれば「なんてはしたない!」と彼女の雷が落ちるのは明白だ。
そのため、オルタンシアはアナベルの間では最大限に気を使い、理想的なな淑女として振舞っていた。
少し不自然かとも思ったが、またアナベルにボロ雑巾のように絞られるよりはましだ。
「……では、本日のレッスンはここまでといたしましょう。お嬢様、レッスンの時間が終わったからといって決して気を抜くことの無きように願います。真の淑女たるもの、いついかなる時でさえ気を抜いてはなりません」
「わかっているわ、アナベル。では、ごきげんよう」
完璧な角度で礼をし、オルタンシアは部屋を後にした。
ゆっくりと扉を閉めた途端、大きなため息が零れてしまう。
(はぁぁぁ……緊張した。アナベルったら、どこかに隙がないかっていつもメガネを光らせているんだもの)
彼女は生粋の貴婦人だ。酒場の女の娘で孤児院育ちのオルタンシアなど、彼女からすればまさに目の上のたんこぶといったところだろう。
「まぁ、仕方ないか……」
アナベルの気持ちもわからないでもない。
オルタンシアにできることは、できるだけアナベルを怒らせないように、理想の公爵令嬢として振舞うことだけなのだ。
そんなある日、珍しく朝から公爵邸にいた父に、オルタンシアは突然呼び出された。
(な、なにかやらかしてしまったのかしら……)
びくびくしながら執務室を訪れたオルタンシアに、父は鷹揚に笑う。
「よくきてくれたね、オルタンシア。……さて、アナベルから、君についての報告が上がっている」
その言葉に、オルタンシアは思わず息を飲んでしまった。
(アナベルがお父様に報告を!? 知らないうちにとんでもないことをしでかしてしまったのかしら……!)
オルタンシアは焦ったが――。
「君の頑張りは素晴らしいとアナベルが褒めていたよ。まだ公爵家に来たばかりだとは思えないほど、しっかりしているとも」
「え……?」
思わぬ言葉にぽかんとするオルタンシアに、父はにやりと笑う。
「そこで、そろそろ君のヴェリテ公爵家の娘として少しずつ社交界に顔を出してはどうかと思うのだが――」
(アナベルが、私を褒めていた……? いやいや、きっとお父様の誇張ね)
オルタンシアはそう自分を納得させた。
だが、少なくともアナベルの目から見ても今のオルタンシアは、「社交の場に出しても問題なし」と思われているようだ。
一度目の人生では、オルタンシアが初めて公の場に姿を現したのはもっとずっと後のことだった。
あまりにもマナーや礼儀が身についていなくて、社交の場に顔を出せなかったのである。
(これは……どうするべきなのかしら。あまり行きたくはないけど、お兄様の心証を良くするためには積極的に出席するべき?)
考え込むオルタンシアに、父は優しく告げる。
「そう心配しなくても大丈夫さ。君と同年代の子もやって来るお茶会だから、そう気負うこともない」
「ありがとうございます、お父様。少し緊張しますが……ぜひ、出席したいです」
オルタンシアは戸惑いつつも、そう返事を返した。
一度目の人生では、ろくに味方も作れなかった結果、誰からも見放され処刑されたのだ。
あまり自信はないが、今のうちから少しずつ顔を出しておいた方がいいだろう。
(はぁ、大丈夫かな……。私……ちゃんと未来を変えられるかな)
相変わらず真意のわからない義兄に、少しずつ一度目の人生とは変わり始めているこの状況。
前に進んでいるのか、それとも後ろに下がっているのか。
それすらよくわからずに、オルタンシアは先の見えない未来に思いを馳せた。