16 ドレスの海に溺れるように
迎えた翌日。
オルタンシアがいつものように、ガミガミと口うるさい教育係アナベルの淑女レッスンを受けていると、事件は起こった。
「失礼いたしますわ。まぁ、こちらが公爵様の御息女ですのね!」
「なんてお可愛らしい!」
「腕が鳴りますわ~」
派手……というよりも奇抜な衣装をまとう女性が数人、どーん、とレッスンの場に乱入してきたではないか。
「ちょっと、何者ですかあなた方は! 今はわたくしがお嬢様に淑女とは何かを教えて差し上げている最中です! 邪魔者は出ていきなさい!」
眉を釣り上げたアナベルが、怒りもあらわに乱入者たちに詰め寄る。
だが彼女たちは堪えた様子もなく、あっけらかんと告げた。
「あら、申し遅れました。わたくしジェラール様の要請により参りました、デザイナーのソランジュと申します。こちらはわたくしのアシスタントですの」
ぽかんと成り行きを見守っていたオルタンシアは、その名前を聞いた途端驚きに目を見開いた。
(ソランジュ? ってまさか、「ソルシエール」のマダム・ソランジュ!?)
「ソルシエール」といえば、王国内でも随一の人気を誇る有名ブランドだ。
一度目の人生で、オルタンシアはとにかく流行に疎かった。だがそんなオルタンシアでさえ、「ソルシエール」のマダム・ソランジュの名はよく耳にしていた。
斬新かつ美しいデザインを次々と生み出し、常に流行の最先端を行く人気ブランドのカリスマデザイナー――。
貴族の令嬢たちは皆こぞって「ソルシエール」のドレスを着たがった。オルタンシアも興味がないわけではなかったが、妾の子である自分がそんな有名ブランドのドレスをわざわざ発注するのも気が引け、一度もソルシエールのドレスを身にまとうことはなかったのである。
(どうして、そんな人気ブランドのデザイナーがここに……)
そんなオルタンシアの疑問に答えるように、マダム・ソランジュはにっこりと笑う。
「ではお嬢様、こちらへどうぞ。さっそく採寸を行いますわ」
「えっ、あの……」
「ふふ、お嬢様はどんなドレスをお好みで? なんていってもジェラール様の要請ですもの。愛らしいお嬢様をよりいっそう引き立てるような素晴らしいドレスを仕上げてみせますわ!」
「え……?」
オルタンシアがぽかんとしていると、アナベルがこほんと咳払いをした。
「……失礼。今、ジェラール様の要請とおっしゃいましたか?」
「えぇ、その通りですわ。わたくし、ジェラール様から直々に『オルタンシアお嬢様にふさわしいドレスを仕立てるように』との発注を頂きましたの」
マダム・ソランジュがアナベルに向かって一枚の紙を差し出した。
読み進めていくにつれ、アナベルの眉間にシワが寄る。何が書いてあるかまではわからなかったが、最下部に綺麗な字で、ジェラールのサインがしてあるのがオルタンシアにも見て取れた。
(ということは、本当にお兄様が、私のドレスを仕立てるように注文したの……?)
「……ジェラール様のご命令とあらば仕方がありません。オルタンシアお嬢様、本日のレッスンは終了といたしますが、決して気を抜くことのないように。淑女とは何たるかを常に意識していただくようお願いいたします」
「はっ、はい!」
そのままマダム・ソランジュに連れ出されたオルタンシアは、呆然としたまま小さな体の隅々まで採寸されていく。
(お兄様が、私のドレスを……いやいや、なんで?)
この公爵家に来た時から、少なくとも毎日着るものに困らない程度の衣装は用意されている。
それなのに、なぜ! 彼はわざわざ人気のデザイナーを屋敷に呼び寄せ、特注のドレスを仕立てるような真似をするのか!
(わ、わからない……。お父様がお兄様にそう命じられたの? でも、前の人生ではそんなことなかったよね……)
だが、不可解なジェラールの行動は終わらなかった。
それからも入れ替わり立ち代わり、王都で名の知れた有名デザイナーが公爵邸を訪れるようになったのだ。
彼らはいちようにジェラールの要請だと口にし、レッスンの時間を邪魔されてばかりのアナベルとバトルを繰り広げていくのだった。
アナベルの眉間のシワが増えていくにつれて、オルタンシアのドレスの数も増えていく。
そして気が付けば、オルタンシアのクローゼットは真新しいドレスでいっぱいになってしまったのだ。