14 待ち伏せとか聞いてません
その日、オルタンシアがいつものように起床し、食堂へ向かっていると――。
「ひぃっ!?」
まるで待ち伏せでもするように、食堂の前の廊下の壁を背にしてジェラールが立っているではないか。
うっかり素っ頓狂な悲鳴を上げてしまったオルタンシアは、回れ右して逃げ出す前に即座に彼の視線に補足されてしまう。
そのまま彼がこちらへ向かって歩いてきたので、オルタンシアはパニック状態に陥ってしまった。
(うぅ……私は空気、私は観葉植物、私は壁のシミ……どうか気づかずに通り過ぎてくれますように!)
だがそんなオルタンシアの祈りもむなしく、ジェラールはぴたりとオルタンシアの前で足を止めた。
そして一言、
「来い」
とだけ告げ、どこかへ去っていく。
残されたオルタンシアは、早くも泣きたい気分だった。
(来いってどこに!? 聞こえなかったふりして逃げてもいいかな……)
だが後ろに控えていたパメラに、「お呼びですよ、お嬢様!」と、ウキウキと肩を押されてしまう。
残念ながら「聞こえなかったふり作戦」は失敗に終わった。
仕方なくオルタンシアはとぼとぼと、ジェラールの後を追うのだった。
(本当に何なんだろう。「調子に乗るな」ってお説教? いや、お兄様がそんな面倒なことするわけないよね……)
何しろ一度目の人生では、オルタンシアのことを完全スルー、ほとんど目に見えない空気のように扱っていたのだ。
他の使用人のように、わざわざあの義兄がオルタンシアをいびるのに労力を使うとも考えにくい。
彼が何を考えているのかわからない。わからないからこそ恐ろしい。
オルタンシアはまるで処刑台へ進む罪人のような気分で、小走りでジェラールを追いかける。
彼が向かったのは地下の拷問部屋……などではなく、明るい庭先だった。
(何だろう。このまま門の外に放り出されて、「二度と公爵家の土を踏むな」って追い出されるのかな?)
いっそ、それならそれでいいような気もしてきた。
路頭に迷ったらどうしよう……と、とぼとぼと足を進めるオルタンシアの目の前で、ジェラールはぴたりと足を止める。
「わぷっ!」
俯いていたせいでうっかり義兄にぶつかってしまったオルタンシアは、派手に尻もちをついてしまった。
(ああぁぁぁぁ……こんな時になんて失敗を……!)
がくがくと震えるオルタンシアの方に、ぬっとジェラールが腕を伸ばしてくる。
ぶたれるのか、首を絞められるのか……この後に襲い来るであろう暴力の数々を想像し、オルタンシアは震えたが――。
「わっ!?」
急激な浮遊感に、思わず声が出てしまった。
だがすぐにオルタンシアの足は地面についた。
ジェラールがオルタンシアの胴体を持ち上げるようにして、立たせてくれたのだ。
「あ、ありが……あれ?」
反射的に礼を言おうとして、オルタンシアは驚きの声をあげてしまった。
ちょうどオルタンシアたちが居る場所の傍らの花壇いっぱいに……シャングリラの花が咲き誇っていたのだから。
まるで晴れ渡る空のような、澄んだ海のような――美しい蒼の花。
(あれ? 前に見た時はものすごく珍しい花だから数本しかないって言ってたけど……何で?)
シャングリラの花は本来人里離れた秘境の高地にしか咲かない花で、こうして別の場所で育てるには、高度な魔法技術を学んだ専門の庭師が必要となる。
しかもこれだけの数だ。生半可な生育技術では、維持するのは難しそうだが……。
首をかしげていると、近くで作業をしていた庭師が声をかけてきた。
「おぉ、お嬢様! いかがでしょうか。お嬢様がご所望のシャングリラ、こんなにたくさんの花が一度に揃う光景なんて、たとえ他国の王宮であろうと滅多にみられるものではありませんぞ! いやぁ、さすがはヴェリテ公爵家ですな」
「枯らしたら……わかっているな」
「も、もちろんです若様! 若様が命じられました通り専門の職人を呼び寄せまして――」
ジェラールにひと睨みされた庭師は、真っ青になって自分がどれだけシャングリラの花を丹精込めて世話しているかを弁解している。
その様子を見て、オルタンシアは再び首を傾げた。
(あれ、今の言い方だと……お兄様がわざわざこれだけたくさんのシャングリラの花を取り寄せて、育てるように命じたみたいだけど……何で?)
シャングリラは稀少な花。たった一株でさえ、庶民の給料の数か月分の値が張ると言われている。
(そんなに高価な花をなんでわざわざ? どう考えてもお兄様に花を愛でるような心があるようには思えないけど……)
むしろジェラールは、こういう人の目を楽しませるような花への投資など、真っ先に無駄だと切り捨てるタイプのように見える。
訝しむオルタンシアは、不意にジェラールがこちらを振り向いたのでびくりとしてしまった。
「……気に入ったか」
「は、はい!?」
素っ頓狂な声をあげてしまってから、オルタンシアの頭にまさか……とある考えが浮かんだ。