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【9ー6】ブルーグレイの悪意

「というわけで、彼がラルフ役の代役を務める、グレン・ダドリー君です」

 舞台裏に集められた役者達にメイベルが紹介したのは、金茶色の髪の人懐っこそうな青年だった。

(あら、あら、あら?)

 ヒロイン役のエリアーヌは、表向きはおっとりと首を傾げつつ、ブルーグレイの目を暗くかげらせる。

(どうして、代役がフェリクス様ではないのかしら? わたくしがヒロインなのに、どうしてフェリクス様が代役をしてくださらないのかしら? ……あぁ、そうだわ、きっとこのグレン・ダドリーという男が、周りにわがままを言って、しゃしゃり出てきたんだわ。きっとそうに決まっているわ)

 エリアーヌが自分にそう言い聞かせて心を鎮めていると、グレンを連れてきた演出担当のメイベルが、険しい顔で眼鏡の縁を持ち上げつつ言った。

「ちなみに、このグレン・ダドリー君……フェリクス殿下が推薦された人物です」

 はぁ? と、令嬢らしからぬ声が出そうになるのを、エリアーヌは必死で堪えた。

 フェリクスが推薦した? エリアーヌの夫役に、別の男を?

 そんなことが許されて良いのだろうか。良いはずがない。だって、フェリクスはエリアーヌの夫となるべき人物なのに。エリアーヌに他の男をあてがうなんて、許される筈がない。

 それも、こんな品性のカケラも無さそうな男を!!

「グレン・ダドリーっス! お芝居はやったことないけど、子どもの頃に英雄ラルフごっこは沢山やったんで、自信はあるっス!」

 どうして子どもの頃のゴッコ遊びで、これほどまでに自信を持てるのだろうと、この場にいる誰もが思った。エリアーヌもだ。

 他の役者達は不信感に満ちた目で、グレンを見ている。エリアーヌもそうしたかったが、彼女はあえて、たおやかな令嬢らしい笑みを浮かべてグレンに話しかけた。

「アメーリア役の、エリアーヌ・ハイアットです。よろしくお願いいたします」

「……アメーリア役?」

 グレンはパチパチと瞬きをすると、首を捻りながらエリアーヌを見下ろした。こうして近くで見ると、改めてグレンは背が高かった。小柄なエリアーヌは、だいぶ首を傾けて見上げなくてはならない。


「カッコいいアメーリアと、なんかイメージ違うっスね」


 グレンの一言に役者達は凍りついた。エリアーヌもまた、柔らかな笑みはそのままに、ブルーグレイの目に静かに怒りの火を灯す。

 ヒロインのアメーリアは強く気高く賢い女性だ。どこかおっとりとしたエリアーヌにアメーリア役が相応しくないことは、誰もが理解していた。

 それでもエリアーヌが選ばれたのは、彼女が学園の三大美人の一人だから──そして、エリアーヌがフェリクス・アーク・リディルの、はとこだからだ。

 エリアーヌにとって、クロックフォード公爵は大伯父にあたる。つまり、クロックフォード公爵の支配下にあるこの学園で、エリアーヌはフェリクスに並ぶ高い地位にいた。だから周囲がそのことを考慮して、エリアーヌをヒロインに抜擢したのだ。

 学園内で極秘に行われたヒロイン役の事前投票で、自分は三位にすら入らなかったことをエリアーヌは知っている。

 ……つまるところグレン・ダドリーの悪気のない一言は、完全にエリアーヌの怒りに触れた。

 無論、エリアーヌはそんな怒りを表情には出さず、あくまで穏やかな令嬢らしく、謙虚に振る舞う。

「確かにわたくしでは、偉大なるアメーリア妃に遠く及びません。それでも、精一杯やらせていただきますので、どうぞよろしくお願いいたします」

 あくまで表面上はたおやかに、エリアーヌは可憐な顔に美しい笑みを浮かべた。

(あぁ、なんて愚かな方でしょう。思い知らせてさしあげなくては……あなた如きが、わたくしの隣に立つなど、勘違いも甚だしいと)

 胸の内で悪意の刃を鋭く研ぎ澄ませながら。



 * * *



「折角だから、特等席でダドリー君の勇姿を拝もうじゃないか」

 そう言ってフェリクスがモニカを連れてきたのは、あろうことか前半で彼が座っていた特等席であった。

「わ、わわ、わたしが、座って、お、おこられ、ません、かっ?」

「君は生徒会役員なんだ。何も問題はないだろう?」

 ちなみにラナは、衣装の微調整のために舞台裏に移動していた。作業がギリギリまでかかるらしいので、観客席に戻ってくるのは難しいだろう。

 つまりモニカはフェリクスの隣の席で、グレンが舞台に立つところを観るのだ。二重の意味で心臓に悪い。

 モニカが胃を押さえていると、フェリクスがモニカの胸元に飾られている白バラの花飾りに目を向けた。

「その花飾り……もしかして、シリルに貰ったのかな?」

「あ、はい。わたしが今日一日、恥をかかずに済む、おまじないなんだそうです」

 モニカがコクコクと頷きながら答えれば、フェリクスは何故か驚いたように瞬きをした。

「……そう。シリルはそう言ったのか。まぁ、彼らしいと言えば彼らしい……かな」

 フェリクスは独り言のようにそう呟き、何故かモニカの首をじっと見た。

 その目が少しだけ──そう、本当に少しだけ、不機嫌そうに眇められたのを見て、モニカは無意識に自分の首元に手を当てる。

「あ、あ、あの、えっと……そうだ、グレンさんは……大丈夫、で、しょうか……」

 無理やり話題を変えようとした感じは否めないが、それでもグレンのことが気になっていたのは本当だ。

 モニカの脳裏をよぎるのは、グレンと初めて出会った社交ダンスの授業。

 やったことないけど、なんとかなるっス! と元気良く言い切ったグレンに豪快に振り回されたのは、懐かしい思い出である。正直言って、この舞台……なんとかなる気がしない。

 だが、フェリクスは特に不安になる様子はなかった。寧ろ、どこか楽しんでいるようですらある。

「うーん、大丈夫じゃないかな。ダドリー君は度胸があるからね。流石は高名な魔術師のお弟子さんだ」

「……えっ」

 グレンが魔術師見習いであることは知っていたが、高名な魔術師の弟子というのは初耳だ。

(そういえば……グレンさんは、お師匠様に言われて、この学園に来たんだっけ……?)

 しかし、フェリクスが「高名な」と言い切る魔術師とは、一体何者だろう?

 モニカは自分が知る上級魔術師をぼんやりと頭に思い浮かべてみるが、どうにもピンとこない。

(そもそも、高名な魔術師のお弟子さんなら、ミネルヴァに入学するのが普通なのに……どうしてグレンさんのお師匠様は、セレンディア学園を選んだんだろう……)

 そんなことをぼんやり考えていると、開幕を告げる花火がポンと上がった。

 いよいよ後半の舞台が始まるのだ。

 ナレーター役の生徒が、ここまでの話の流れと、いよいよ主人公ラルフが暗黒竜の元へ辿り着いたことを解説する。

「どうやら、内容を少し省略したようだね」

 解説を聞いたフェリクスが、小声で呟いた。

「そ、そうなんですか?」

「本来なら、暗黒竜の元へ辿り着くまでの道中もやるはずだったんだろうけど、削ったんだろう」

 幕が上がると舞台の左手からハリボテの竜が姿を現す。木の骨組みに紙や布を貼り付けた代物だが、これが実に良くできていた。なにより大きい。中に数人の人が入って動かしているのだ。

 暗黒竜のけたたましい鳴き声が会場中に響き渡る中、舞台の右手から二人の人物が現れる。

 主人公のラルフと、ヒロインのアメーリアだ。

 グレン演じるラルフは、腰の剣をすらりと抜き、その切っ先を暗黒竜に突きつけた。


「『我こそは、七人の精霊王の加護を受けし者! この地を蝕む暗黒竜よ、我が刃を受けるがいい!』」


 前半と役者が違うことに戸惑っていた観客達も、その台詞を聞いた瞬間、一気に舞台に飲み込まれた。

 演技が上手いというより、グレンのよく響く声やキレのある動きに、観る者を惹きつける力があるのだ。

「たぁっ!」

 グレンが高く飛び上がって、竜に剣を振り下ろす。そして着地と同時に横に一閃。

 フェリクスが小声で言う。

「彼の剣、実戦で使うには大振りすぎるけれど、舞台では映えるね」

 グレンの剣は、貴族特有の優美さとは真逆の粗野な剣だ。だが、長い手足が伸び伸びと動き、竜を斬りつけていく様は目を惹いた。

 英雄ラルフは精霊王の力を借りて、次第に暗黒竜を追い詰めていく。そして追い詰められた暗黒竜は最後の力を振り絞り、炎の魔術を使うのだ。それをヒロインのアメーリアが防御結界で防ぎ、ラルフが暗黒竜の眉間を貫いてとどめを刺す。

 そして、アメーリアはラルフに駆け寄って、祝福の口づけをしてエンディング……というのが定番の流れだ。


「『おのれ、目障りな人間よ。我が炎で焼き尽くしてくれるわ!』」


 暗黒竜が大きく翼を震わせると、丁度暗黒竜とラルフの中間地点で破裂音が響く。火薬を使った演出だ。

 ラルフが一歩後退すると、背後に控えていたアメーリアが声を張り上げる。


「『ラルフ様、わたくしが防御結界を張っている間に、竜の眉間を貫いてください!』」


 そう叫んで、アメーリアは結界を張るための呪文を詠唱する。無論、本当の詠唱ではない。演技のはずだ。

 だが、モニカは違和感を覚えた。

(……あ、れ? あの呪文って、ただの、演技……だよね?)

 魔術の詠唱を聞いただけで呪文の内容を即座に理解できる人間は、そう多くない。まして、舞台と観客席は離れているので、普通なら誰も気づかなかっただろう。

 だが、たまたま特等席で見ていたモニカは、その詠唱の内容を聞きとり、そして理解してしまった。


 エリアーヌが口にしているのは、無意味な台詞でもなければ、防御結界の詠唱でもない。

 敵を攻撃する風の魔術の詠唱だ。



 * * *



 エリアーヌが今立っているのは、客席側から見て右端にある、崖を模したセットの上だ。

 前半の劇ではバルコニーだった物を今は紙と布で切り立った崖のように見せていて、エリアーヌはその上に立っている。

 エリアーヌは崖を模したセットの上に立ちながら、竜退治をするラルフを心配そうに眺める演技をしつつ、常に観客席のフェリクスを意識していた。

 フェリクスの隣にいるのは迎賓の客ではなく、一人の女子生徒だ。それも、ブリジット・グレイアムではない。同じ生徒会役員の地味な女──モニカ・ノートン。

(何故、あんな冴えない女がフェリクス様の隣に座っているのかしら? あそこはわたくしの居場所なのに)

 フェリクスがモニカに小声で何事かを話しかける度に、エリアーヌの心は激しく乱れた。

 どうしてフェリクスはあんな娘を気にかけるのか。エリアーヌがこんなにも切なくフェリクスのことを見つめているのに。愛しているのに。彼に愛されるべきは自分なのに。


(思い知らせてあげないと。フェリクス様が選ぶのは、わたくしだと)


 暗黒竜とラルフの戦いはいよいよ佳境を迎えようとしている。

 暗黒竜の攻撃からラルフを守るため、エリアーヌ演じるアメーリアが防御結界を張る……というのが、この後の展開だ。勿論エリアーヌは結界術など使えないので、使うフリだけである。

 その際に演出で一際豪華な花火が使われる。光と共に色のついた煙が起こる特別な火薬で、破裂するのは舞台奥。

 丁度、暗黒竜とラルフが戦っているのが舞台の手前なので、その背景で花火の演出が起こる。

 エリアーヌは防御結界を張る演技をしつつ、火薬目掛けて風の魔術を放った。

 エリアーヌが使えるのは、風属性魔術の初歩。風の塊を起こす術と、風の刃を起こす術の二つだけだ。

 その威力は決して高くはないが、風の魔術は不可視なのが便利で良い。この芝居を見ている者は誰も気づかないはずだ。エリアーヌが舞台の上で本当の魔術を使っていたなんて。

 風の塊が直撃した火薬の仕掛けは、炸裂の直前にグレンのそばに転がる。これでグレンはあの火薬の爆発に巻き込まれるだろう。

(わたくしを馬鹿にした貴方が悪いのよ)

 炸裂した火薬はグレン目掛けて火花と煙を撒き散らした。あくまで演出用の火薬だから大怪我をすることはないだろう。だが、驚いて尻餅をつくぐらいはするはずだ。もしかしたら腰を抜かしてしまうかも!

 当然、グレンが火薬に驚いて動きを止めれば、舞台は止まってしまうだろう。

 そこで、エリアーヌは高らかにこう告げるのだ。


 ──あぁ、やはり、そこにいる貴方はラルフ様の偽物でしたのね! わたくしの目は誤魔化せないわ!


 そうしてエリアーヌは、客席にいるフェリクスに手を伸ばすのだ。


 ──本当のラルフ様は、ほら……そこにいらっしゃる。


 こうすれば、フェリクスはきっと舞台に上がってくれる。舞台が滅茶苦茶になることを、フェリクスは絶対に良しとしないだろうから。

 火薬の事故は、使用人の不手際で起こった事故ということにしてしまえばいい。そして、そんな不幸な事故で滅茶苦茶になりかけた舞台を、エリアーヌの機転で成功させたことにすれば……誰もがエリアーヌをフェリクスに相応しい才女であると認めるはずだ。

 グレン・ダドリーなど、皆の前で無様な姿を晒せばいい。

 モニカ・ノートンは舞台に上がったフェリクスを見て、真にフェリクスに相応しいのは誰かを思い知ればいいのだ。

 エリアーヌは可憐な顔に、うっとりと夢見るような笑みを浮かべ、作り物の崖の上からグレンを見下ろした。

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