【8-3】モニカ、不良になる
〈星詠みの魔女〉メアリー・ハーヴェイはモニカに泊まっていくよう勧めてくれたが、モニカは丁重に辞退した。なにせ、明日は学祭前日である。
基本的に学祭前日に授業は行われない。ただ、学祭で出し物をする生徒や生徒会役員は、学祭の準備のために顔を出す必要があるのだ。モニカも昼前に一度、顔を出す必要がある。
メアリーの屋敷を出て少し歩いたところで、空から黄色い小鳥が舞い降りた。小鳥がその場でクルリと回れば、たちまちメイド服の美女に変化する。ルイスの契約精霊のリンだ。
「酒池肉林は満喫されましたでしょうか」
リンの物言いに、ルイスは眉間に深い皺を刻んだ。
「……くれぐれも今の発言を、妻の前でしないように」
身重の妻を家に残して酒池肉林は、あまりに体裁が悪すぎる。
渋い顔をするルイスに、リンは真顔で頷いた。
「はい、奥様には『ルイス殿が美少年をはべらせて酒を飲んでいた』と報告いたします」
「……口の利き方から躾け直す必要があるようですね? ……ですがその前に一仕事です。〈沈黙の魔女〉殿をセレンディア学園まで送りなさい」
ルイスは飛行魔術で高速移動ができるが、モニカはまだ跳躍程度にしか使えない。
メアリーの屋敷からセレンディア学園までは、馬車なら半日はかかるところだが、飛行魔術を使えば、あっという間である。
(やっぱり飛行魔術、練習した方がいいのかな……)
モニカがそんなことを考えていると、ルイスが上着のボタンを留め直しながら言った。
「〈星詠みの魔女〉殿が言っていた、第二王子の運命が読めぬ件。些か気になります」
「……はい」
「チェス大会の侵入者は、近い内に王都に送られる予定です。そうすれば、こちらで取り調べし放題……どんな手を使っても黒幕を吐かせましょう。あの侵入者は少し気になる点がある」
そう言ってルイスは手袋をした指をパキポキと鳴らした。ルイスの手は貴族のように精細で美しい手だが、中指の付け根に立派な殴りダコがあることをモニカは知っている。
これからルイスに取り調べされる侵入者に、モニカは密かに同情した。
「同期殿、学祭はくれぐれも充分な警戒を。念のため、このポンコツ駄メイドを貸しだしますので、存分にこき使いなさい」
「〈沈黙の魔女〉殿の補佐は、この優秀なメイド長リィンズベルフィードにお任せを」
ルイスの悪態にリンは顔色一つ変えずに、自らをメイド長と名乗った。その神経の図太さは、ちょっと見習いたい程である。
ルイスはそんな図太い契約精霊をひと睨みし、小さく咳払いをした。
「それと、学祭当日は私も顔を出します。警備のこともありますが……まぁ、他にも用事がありまして」
広範囲をカバーできるリンと、結界術に長けたルイスが来てくれるのなら、こんなに心強いことはない。
モニカが「よろしくお願いします」とルイスに頭を下げると、リンがボソリと呟いた。
「……本来は、ルイス殿が頭を下げて協力を請うところでは?」
ルイスは笑顔のまま、無言でリンの足を蹴った。
* * *
リンの飛行魔術は、人間の魔術師が使うそれとは少し違う。
一般的な飛行魔術は術者の体を薄い膜のような結界で包み、そのまま飛行するのだが、リンの場合は自身の周囲に半球体の結界を作りだし、その中にいる者を全員移動させることができるのだ。
言葉にすると簡単だが、半球体の結界を維持したまま長時間の高速移動をすることは、人間の魔力量では到底不可能である。
だからこそルイスも悪態をつきつつ、リンの能力を重宝しているのだろう。
上空を移動し続けること三十分。リンが地上を見下ろし、口を開いた。
「まもなくセレンディア学園に到着いたします」
「わぁ……すごい、早い……」
「それにあたりまして、着地方法についての希望をお伺いいたします。具体的には『トルネードキック着地法』『ヘッドスピン着地法』『大車輪突撃法』などがございます。回転しやすいよう、結界の形状を変えるのがポイントで……」
以前ルイスと共に旧庭園に着地した時のあれは、この中のいずれかだったのだろうか。
リンが挙げた三点はどれも不穏な予感しかしないので、モニカはすかさず言った。
「い、一番安全な着地方法で、お願いしますッ!」
「かしこまりました、減速いたします…………おや?」
地上を見ていたリンが、カクンと首を九十度横に傾けた。
首のもげた人形じみた不気味なリアクションは、彼女なりに訝しがっているサインである。
「……セレンディア学園男子寮付近に、不審な馬車が停まっているのを確認しました」
「えっ」
「馬車を偵察できる位置に、着地いたしますか?」
リンの飛行魔術は半球体の結界ごと移動するものなので、木の多い場所を移動して偵察するのには向かない。半球体の結界が木にぶつかり、大きな音を立ててしまうのだ。
静かに着地するには、ある程度ひらけた場所である必要がある。
モニカはしばし思案し、リンに指示を出した。
「……この位置のまま結界を維持して貰えますか? ちょっと『遠視』してみます」
「かしこまりました」
遠視の魔術は望遠鏡を使うのと同じだ。遮蔽物があったり、移動しながらだと対象を確認しづらい。
リンが飛行魔術を固定したのを確認し、モニカは無詠唱で『遠視』の魔術を発動した。
セレンディア学園男子寮付近にひっそりと停まっているその馬車は、どちらかというと小さめのつくりの二輪仕立てで、装飾が少なく質素に見える──が、モニカはすぐにその馬車が高度な魔導具を使っていることに気づいた。
(馬車全体に簡単な防御結界、それと消音結界も……多分、車輪のところには振動を殺す技術も使われてる……貴族の方のお忍び用?)
御者は目深に帽子を被り、口元をスカーフで隠しているので、顔がよく見えない。馬車の中には誰か乗っているのだろうか?
モニカが目を凝らしていると、セレンディア学園の男子寮から抜け出してきた誰かが、馬車に近づくのが見えた。
フード付きの外套を羽織った背の高い男だ。フードの隙間からは黒髪がちらりと見える。
モニカは「あっ」と声をあげた。
髪の色を変えていても分かる黄金比の体! 見間違える筈がない。
「で、で…………殿下ぁ!?」
男子寮から抜け出したのは、間違いなくフェリクスだ。
フェリクスが馬車に乗り込み扉を閉めれば、馬車は静かに走りだす。
「あの方角には歓楽街があります。お忍びの夜遊びでしょうか」
「あ、わ、わ、どど、どうしよう……っ」
モニカは頭を抱えた。本来なら、フェリクスを止めるべきだが、馬車はもう走り出してしまっている。
モニカはフェリクスの護衛なのだ。このまま見送るなどできる筈がない。
「寮で留守番してるネロには悪いけど……リンさん、このままあの馬車を追ってください」
「了解しました」
* * *
フェリクスを乗せた馬車はリンが指摘した通り、セレンディア学園から一番近くにある町の歓楽街で停まった。街中に入られてしまうと、飛行魔術での尾行は困難になる。
リンに頼んで静かに、かつ安全に着地してもらったモニカは、徒歩でフェリクスを追いかけた。
リンはメイド服の美女ではなく小鳥に化けてもらい、モニカの服の中に隠れてもらっている。なにせ人型のリンは男性であれ女性であれ目立つのだ。
モニカはフードを目深にかぶって、慎重にフェリクスの背中を追いかけた。
歓楽街は夜なのに驚くほど明るく、道の端々には怪しい露店が並び、客引きの男や派手な装いの女が道行く者に声をかけていた。
夜だというのに人が多いのは、セレンディア学園の学祭に参加するために、地方貴族が学園近くの町に滞在しているからだろう。そういう裕福な滞在客に客引き達は忙しなく声をかけるが、モニカには見向きもしない。見るからに質素な格好をしているから、当然と言えば当然か。モニカなど、お使い中の小間使いにしか見えないのだろう。
馬車を降りたフェリクスは男子寮から抜け出す時に羽織っていたフード付きの外套を脱いで、代わりに洒落たフロックコートに帽子を合わせ、堂々と夜道を闊歩していた。
露天を適度にひやかし、投げキスを送る娼婦に余裕の笑顔で片手を振り返し、客引きの男を軽くあしらっている。
その振る舞いは、夜遊びに慣れない若造や、地方から出てきたばかりの貴族とは違う。遊び慣れている人間のそれだ。
(前も、こっそり抜け出してたみたいだけど……やっぱり、遊び慣れてるんだ)
そのことについて、特に幻滅したとかガッカリしたといったことはない。
そもそもモニカはフェリクスに素敵な王子様という理想などこれっぽっちも抱いていないので、フェリクスが夜遊びをしようが女遊びをしようが、どうでも良かった。
ただ意外だな、とは思う。フェリクスは常に穏やかで人当たりの良い態度を崩さないが、それでいて慎重で完璧主義者だ。それは生徒会での仕事ぶりを見ていれば、よく分かる。
そんなフェリクスが、こういう羽目の外しかたをしているという事実に、モニカは妙な違和感があったのだ。
(とにかく、殿下が無事に寮に帰るまで、護衛を……)
そんなことを考えていたせいだろうか、ふと目を離した瞬間に、フェリクスの背中は見えなくなっていた。
「あっ……」
モニカは慌ててその場を駆け出した。洒落たコートと帽子をかぶった黒髪の青年、その姿を人混みに探すが、なかなか見当たらない。
「リンさん、ごめんなさい。見失いました……っ」
「上空から探します。しばしお待ちを」
モニカの上着の影から小鳥に化けたリンが飛び出し、上空に飛び上がる。
リンが空から探してくれるまでは大人しくしていた方が良いだろうと、モニカは大人しく道の端に寄った。
その肩を誰かがポンと叩く。
「お嬢さん、お供も無しに夜遊びは感心しないな」
聞き覚えのある声にモニカがギョッと振り向けば、そこに佇んでいるのはフェリクスだった。
ただ、モニカが目印にしていた帽子と上着を脱いで、腕に抱えている。モニカが口をパクパクさせれば、フェリクスはいたずらに成功した子どものような顔で、上着を羽織り直した。
「尾行の素人は、大抵身につけている物を目印にしたがるからね。帽子と上着を取るだけで、すぐに騙される」
いつもとは色の違う黒い髪は、どうやらカツラらしい。フェリクスはカツラがずれないように指先で押さえつつ、器用に帽子をかぶり直した。
「さて、どうして君がこんなところにいるのかな? もしかして、誰かと逢引?」
「うぇっ、あっ、えっと、その、ああああ逢引とかではなくて、その、えっと、で、殿下のお姿が見えたので、気になって、追いかけて……」
「寮からここまで、随分距離があるね? どうやって追いかけてきたのかな?」
飛行魔術で空から追跡してました、なんて言えるはずもない。
モニカはグルグルと目を回しながら、慣れない言い訳に頭をフル回転させた。
そして、国内最高峰の魔術師である七賢人〈沈黙の魔女〉が、頭をフル回転させた結果がこれである。
「わ、わ、わたしは、不良なので、この街で夜遊びをして、ましたっ! そしたら、偶然、殿下を見かけて……っ」
フェリクスは数秒無表情で黙り込んでいた。かと思いきや、次の瞬間フハッと息を吐いて笑う。その肩は小さくフルフルと震えていた。
「不良……君が不良……っ、ふふっ、そうか。じゃあ、私と同じだね。不良同士だ」
「は、はいっ、不良同士ですっ!」
「じゃあ提案だ。不良同士、一緒に夜遊びをしないかい? 夜遊びは一緒に楽しむ仲間がいると、倍楽しい」
これはモニカにとって、願ってもない提案だった。これなら堂々とフェリクスの護衛ができるではないか。
「は、はいっ、よろしくお願いしますっ!」
とても不良とは思えない真面目さで頭を下げるモニカに、フェリクスは目を細めてクツクツと喉を震わせる。
「あぁ、本当に君は予想外だ。まさか、最後の息抜きで遊び仲間ができるなんて、思いもしなかった」
「…………?」
モニカが訝しげにフェリクスの顔を見上げれば、フェリクスはいつもの穏やかな顔とは違う、どこかいたずらっぽい笑い方をしてみせる。それでいて、目尻を少し下げて笑うと、昼間にはない色気のようなものが滲んだ。
フェリクスはモニカの頬に指を添えると、身を屈めて顔を覗きこむ。
「ここでは、僕のことはアイクと呼んでくれ……いいね?」
「あ、アイク、様?」
フェリクスのミドルネームの「アーク」をもじったものだろうか?
アイク様、アイク様、とモニカが慣れない名前を舌で転がしていると、フェリクスはモニカの唇に人差し指を押し当てる。
「アイク様じゃなくて、アイク。僕と君は不良仲間だろう、モニカ?」
「で、で、でもっ……」
困惑するモニカにフェリクスは白い歯を見せて笑い、その手を差し伸べる。
それはそれは、楽しそうに。
「さぁ行こう、モニカ。夜が明けるのはあっという間だ。今夜は存分に遊び倒そうじゃないか」
【6ー12】でリンが用いた着地方法は『トルネードキック着地法』です。
スタイリッシュに改名したそうです。