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【2−1】生徒会

 セレンディア学園は精霊王が一人、光の女神セレンディーネの加護を得られるようにと名づけられた学園であり、光の女神が手にしている錫杖と百合の冠が校章のモチーフとなっている。

 元々、王族も貴族も学校に通う習慣など無かったのだが、時代の変化と共に貴族の子らが通う教育機関は徐々に増え始めた。このセレンディア学園もその一つだ。

 今でこそ富裕層や有権者の子が通う学校、寄宿舎、女学院は複数あるが、その中でもセレンディア学園は初めてリディル王国で王家の人間が通ったという歴史がある、屈指の名門校である。


 リディル王国の三大名門校と言えば、王家の人間が通う「セレンディア学園」、魔術師養成機関「ミネルヴァ」、神殿傘下の「院」──この三つが挙げられるだろう。

 その中でも法律関係に最も強いのが「院」

 魔法・魔術に関する分野は「ミネルヴァ」

 そしてそれ以外の教養分野で抜きん出ているのが「セレンディア学園」だ。

 一流の講師、圧倒的な蔵書、そして貴族の子女が通うのに相応しい施設と設備。

 高額の入学金と寄付金が必要になるが、セレンディア学園を卒業すれば後々王宮に勤める際にも有利に働くことが多い。貴族にとって「セレンディア学園卒業生」という肩書きは一種のステータスであった。

 中でもセレンディア学園の生徒会経験者ともなれば、周囲から一目置かれているのは言うまでもない。

 まして、第二王子のフェリクス・アーク・リディルが現生徒会長職に就いている今、生徒会のメンバーになることは第二王子の将来の側近候補であるとも言える。

 そんな生徒会役員達が集う生徒会室で、今、一人の生徒の尋問が行われていた。

 部屋の中央に立たされているのは、生徒会会計ステイル伯爵令息アーロン・オブライエン。

 そんな彼を取り囲んでいる生徒会役員達は、誰もがアーロンを罪人を見るような目で冷たく見つめている。

 張り詰めた空気に満たされたこの生徒会室で、唯一微笑んでいるのは、生徒会長の執務机に座り、頬杖をついている青年──生徒会長にして、リディル王国第二王子フェリクス・アーク・リディル。


「さて」


 フェリクスのその一言で、アーロンは鞭打たれたかのように肩をビクリと震わせた。

 そんなアーロンに、フェリクスは慈悲深い聖人のような笑みを向ける。

「監査の結果、帳簿に改竄の跡が見られた。予算の使い込みがあったんだ。それも一回や二回ではないね……そうだろう?」

 問う声はどこまでも優しく穏やかで、それなのに聞く者の背筋を震わせるような冷たさが潜んでいる。

 アーロンが「それは、その……」と口籠ると、フェリクスは口元に手を添えてクスクスと笑った。

「あぁ、使い込んだ回数なんていちいち覚えていない? ……私の方で確認できただけで、三十八回だ」

 三十八、と告げる声だけが低く重い。

 アーロンの顔色はもはや蒼白を通り過ぎて土気色であった。

 だがフェリクスはあくまで、優しげな笑顔のまま、アーロンの逃げ道を塞ぎ、その罪の重さを突きつける。

「私が君を生徒会役員に選んだのは、お祖父様──クロックフォード公爵の推薦があったからだ」

 生徒会役員は、生徒会長が任命する。

 そこでフェリクスに──ひいては、その背後にいる彼の祖父クロックフォード公爵に取り入るべく、金を積む者は何人もいた。その中で最も多く金を積んだのが、アーロンの父、ステイル伯爵だ。

 だから、クロックフォード公爵は孫であるフェリクスに、アーロンを生徒会役員に選出するよう命じた。

 このまま無難に会計の仕事をしていれば、アーロンもステイル伯爵家も将来は安泰だっただろう。

 だが、ステイル伯爵家はクロックフォード公爵に貢ぎすぎたせいで困窮していた。結果、小遣いを減らされたアーロンは遊ぶ金欲しさに生徒会の予算を使い込んだ。

 ……その事実が発覚した以上、アーロンの退学処分は免れない。

 フェリクスは目を細め、ことりと首を傾けた。柔らかな金髪が微かに揺れる。

「私は、君に退学以上の罰を与えることはできない。だが……お祖父様はきっとステイル伯爵を見限るだろう」

 この学園で学ぶ者なら、誰でも知っている。

 第二王子の背後には、この国で最も権力の強い大貴族クロックフォード公爵がいることを。

 そして、クロックフォード公爵が冷酷で、容赦のない人物であることも。

「君のお父上は融資を受けるために、クロックフォード公爵の信用を必要としていたらしいね? あぁ、可哀想に。今後、ステイル伯爵はどこからも融資を受けられず、伯爵家は衰退していくことだろう」

 アーロンの顔に脂汗が滲む。

 ガタガタと身を震わせるアーロンに、フェリクスは聖人の笑顔でとどめを刺した。


「……分かるかい? 君の愚かさが、ステイル伯爵家を滅ぼすんだ」


 アーロンは限界まで目を見開くと、歯を剥き出しにして奇声をあげる。そして、血を吐くような声で叫んだ。

「黙れ黙れ黙れ! 王族とは名ばかりの……〈公爵の犬〉がぁぁぁ!」

 アーロンは執務机に飛び乗り、フェリクスに掴みかかろうとした。

 が、壁際に控えていた側近の一人、プラチナブロンドの青年がそれを素早く取り押さえる。

 そうして青年が早口で呪文を唱えれば、アーロンの足は氷の塊で覆われた。もう、彼はその場を一歩も動くことはできない。

 氷の魔術でアーロンを拘束したプラチナブロンドの青年──生徒会副会長シリル・アシュリーは端正な顔を怒りに歪めて、アーロンを睨みつけた。

「貴っ様ぁ! 殿下への暴言に狼藉……万死に値する! この場で氷像にして窓から叩き落としてくれるわ!」

「アシュリー副会長、彼を処分するのは君の役目じゃない」

 フェリクスが静かな声で制止すれば、シリルはフェリクスに向き直り、深々と頭を下げる。

「……出過ぎた真似、大変失礼いたしました」

「私の身を案じてくれたのだろう? 守ってくれて、ありがとう」

 そう言ってフェリクスがニコリと微笑めば、シリルはじーんと感極まったように目を潤ませた。

 シリル・アシュリー副会長は、黙っていれば「氷の貴公子」と呼ばれる、大変見目麗しい青年なのだが、フェリクスが絡むと熱くなりすぎる傾向がある。

 まして、生徒会を裏切り、フェリクスに暴言を吐いて暴力を振るおうとしたのだ。百回処刑しても足りない、とその顔が言っている。

 そんなシリルをフェリクスは穏やかになだめると、足を氷漬けにされたアーロンに目を向けた。

「正式に退学の通知が下されるまで、寮での謹慎を命じる。〈公爵の犬〉風情にしてやられた己の愚かさを存分に噛み締めてくれ」


 * * *


 ステイル伯爵令息アーロン・オブライエンが警備兵に挟まれるようにして退室すると、フェリクスはふぅっと息を吐いて、机に広げたままにしている資料をつまみあげた。

「さて、これでこの件は終了……と言いたいところだが、至急、彼に代わる会計を探さなくてはいけないね」

「それでしたら、絶対に殿下を裏切ることが無いと信用できる者のリストを、このシリル・アシュリーめが責任をもってお作りいたします!」

 忠義者のシリルは今すぐにでもリスト作りに取りかかりそうな態度であった。

 だが、それをフェリクスは柔らかな笑顔で「必要ないよ」と切り捨てる。

「私を絶対に裏切らない者? そんな人間、この世のどこにも存在しないよ。誰だって世情が変われば裏切る可能性は充分にある」

 自分は絶対に裏切らない、と言いたげなシリルを目線で制し、フェリクスは言う。


「……私自身ですら、ね」


 アーロンを罰する時とはまた違う張り詰めた空気が、室内を支配した。

 この部屋の空気を、雰囲気を制しているのはいつだって、この生徒会長の椅子に座る人間なのだ。

「ところで」

 フェリクスはニコリと冗談っぽく微笑んで、場の空気を一瞬で切り替える。

 そうして彼は、手にした資料を全員に見えるように持ち上げてみせた。

「新役員選出も大事だけど、新入生歓迎会の準備も進めないとね。それと、今年は新入生とは別に、二年のクラスに編入する者が二人いるらしい」


 編入生の欄に記されている名前は二つ。


 グレン・ダドリー

 モニカ・ノートン


「この、グレン・ダドリー君。なんでもあの七賢人……〈結界の魔術師〉ルイス・ミラーのお弟子さんらしいんだ」

 その一言に生徒会役員達がざわつく。

 真っ先に声をあげたのは、副会長のシリルだった。

「〈結界の魔術師〉ルイス・ミラーと言えば、第一王子派で有名ではありませんか! もしや、グレン・ダドリーとかいう弟子は、殿下の命を狙う刺客なのでは……っ!」

「あたくし、噂を耳にしたことがありましてよ」

 シリルに続いて発言したのは、この場で唯一の女子生徒である、生徒会書記ブリジット。

 あざやかな金色の巻毛に、非のうちどころのない完璧な美貌。見る者を威圧する迫力のある美女は、扇子で口元を隠しつつ、とろりとした琥珀色の目を伏せた。

「なんでも、ルイス・ミラーの弟子は、あのミネルヴァの学舎を破壊した問題児だとか」

「そのような輩を、何故我が校は受け入れたのだ!」

 シリルがヒステリックな声で喚き立てれば、今まで黙っていたもう一人の書記、エリオット・ハワードが片手を挙げて発言した。

「そりゃあ、学校だからねぇ。ちゃんとお金払って試験に受かれば、誰でも入れちゃうでしょ」

 のんびりとしたエリオットの発言に、シリルは地団駄を踏んで髪を掻き毟った。クールな美貌が台無しである。

「生徒は家柄や派閥も含めて厳選すべきだ! 学園長に断固抗議を!」

「それはやり過ぎでしょ。そもそも、まだ何も起こってないんだからさ」

「殿下の御身に何かが起こってからでは遅いのだ!」

 エリオットの言葉にシリルは噛みつくが、エリオットは特に動じるでもなく「そんなにカッカするなよ」とのんびりしている。そんなエリオットの態度が、シリルには気に食わないのだろう。

 シリルが怒鳴りだす気配を察した、最後の生徒会役員、小柄で地味めなニール少年が困ったようにフェリクスを見る。

「えっと……どうしましょうか、会長」

 フェリクスはシリル、エリオット、ニール、ブリジットの四人を順番に眺め、その僅かな表情の変化を観察する。

 そして、密かに彼らを観察していたことなどおくびも出さずに、穏やかな笑顔で言った。

「エリオットの言う通りだ。誰にだって平等に学ぶ権利がある。それに……私の身は君が守ってくれるのだろう、シリル・アシュリー?」

 フェリクスに名前を呼ばれてシリルは、全身で喜びを表現し、胸に手を当てた。

「はい、この命を賭してでも、殿下をお守りいたします!」

「ありがとう、心強いよ」

 そう言ってシリルに笑いかけ、フェリクスは次の議題を提示した。

 かくして生徒会役員達はルイス・ミラーの弟子にばかり注目し、誰一人としてモニカ・ノートンという少女を意識しないまま、次の議題に進んでいったのである。


 ルイス・ミラーの思惑通りに。


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