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【7ー14】バーニーの嘘

 ユージン・ピットマンはミネルヴァの範囲応用魔術の担当教師であり、チェス倶楽部の顧問でもある。

 性格は温厚でやや優柔不断。頼りなさげな優男をそのまま体現したような男だ。

 だが、そのピットマンが──否、ピットマンの姿を借りたその人物は、口を三日月のように吊り上げて、楽しげに笑っていた。


「やーだぁ、やっぱりミネルヴァの子って賢いのねーぇ?」


 その声はピットマンのそれとは明らかに違う。

 女にしては低く、男にしてはやけに甲高く、まるで蜂蜜を煮詰めて焦がしたみたいに甘ったるく粘着質な声だった。

 ピットマンの姿をしたその人物は、三日月のような口でニヤニヤと笑いながら、片手を持ち上げ早口で詠唱する。

(魔術師か!)

 魔術勝負なら、短縮詠唱を使えるバーニーが圧倒的に有利だ。

 バーニーが早口で短縮詠唱を唱え始めた瞬間──偽ピットマンは詠唱をしながら、バーニーに突っ込んできた。

 その手が鞭のようにしなり、バーニーの喉を打つ。

「──っ、ぐっ……がはっ……」

 バーニーの詠唱が途切れても、敵は攻撃の手を緩めない。偽ピットマンは詠唱を続けながら、バーニーの両肩に手を置き、鳩尾に膝を叩き込んだ。

「がっ……う、ぁ……」

 腹を押さえてうずくまるバーニーに、偽ピットマンは指の先を向ける。

「『縛れ、雷鎖』」

 詠唱の最後の一節と同時に、偽ピットマンの指先から電撃が迸る。それは鎖のようにバーニーの全身を縛り、鋭い痛みを全身に与えた。

「……ぎぃっ、ぅ、ぁあああっ!」

 激痛に耐えきれず、バーニーは痙攣しながら床にうずくまる。

 偽ピットマンは口元に手を当てて、コロコロと笑った。

「やぁねぇ、殺し屋が魔術だけを武器にしてるとは限らないじゃなぁい? 魔術って便利ではあるけど、効率悪いんですものぉ」

 殺し屋。その一言で、バーニーはこの男の目的を理解する。

 この男がミネルヴァの教師と入れ替わって、セレンディア学園に入り込んだ理由は恐らく要人の暗殺。

 そして、このチェス大会に必ず顔を出す要人と言えば、思いつくのはただ一人。

(……狙いは、第二王子フェリクス・アーク・リディルの暗殺ですかっ)

 第二王子が暗殺されたら、間違いなく国内の政治バランスが崩れるだろう。それだけは阻止しなくては。

 なにより、このふざけた喋り方の男にやられっぱなしというのは、バーニーのプライドが許さない。

 バーニーは声を殺して短縮詠唱をしようとした。だが、偽ピットマンはすぐにそれに気づき、バーニーの頭を踏みつける。顔面から床に叩きつけられた瞬間にバーニーの詠唱は途切れ、眼鏡がひしゃげて床を転がった。

 鼻と口が痛い。多分鼻からも口からも血が出ている。

「魔術って不便だと思わなぁい? 発動すれば強力だけど、いちいち詠唱しなきゃいけないから、こういうシンプルな暴力には敵わない。ワタシは銃も好きだけど、あれって音がうるさいから暗殺向きじゃないのよねぇ」

 そう言って、偽ピットマンは指先をクルクル回しながら、また何かを詠唱する。あれは──水の魔術だ。

「『静謐の檻に眠るがいい』」

 偽ピットマンの指先に巨大な水球が浮かび上がる。ちょうど、バーニーを包み込んでもなお余裕があるぐらいの。

「溺死ってやぁよねぇ。死体がそれはもう、むっごいことになるのよぉ……この顔を借りた男もそうだった」

 その言葉が意味することを理解し、バーニーは青ざめた。

 本物のユージン・ピットマンは、この水球に包まれ、脱出できぬまま溺死したのだ。

「水中じゃ詠唱なんてできっこない……魔術師を殺すのにぴったりの術デショ? ……さぁ、水の檻の中で、何もできぬまま、もがき苦しんで死になさぁい」

 偽ピットマンがその指を振り下ろそうとした時、控え室の扉が控えめに開いた。

 扉の影に見える小柄な人影は、怯えた顔のモニカだ。

「……っ、バーニー!?」

 殴打痕だらけで床に倒れているバーニーに、モニカが悲鳴をあげる。

 偽ピットマンは舌打ちをし、水球を浮かべていた指先をバーニーからモニカに向けた。鈍臭いモニカにそれを避けられる筈もなく、モニカはなすすべもなく水球に閉じ込められる。

「……悲鳴をあげられたら面倒なのよねぇ。悪いけど、そのままそこで溺れ死んでちょうだい、お嬢ちゃん」

 水球の中、モニカが口から気泡を吐きながらもがく。

 この水球は取り込むのは容易く、脱出するのは困難な「内向きに強固な簡易結界」だ。一度中に閉じ込められた者は、簡単に脱出することはできない。

 たとえそれが魔術師であっても、詠唱が出来ず、なすすべもなく死を待つしかない。


 ──そう、詠唱が必要な魔術師なら。


 ピキッとガラスの割れるような音がした。偽ピットマンがギョッとした顔で振り向いた時にはもう、モニカを閉じ込める水球結界に亀裂が入り、そこから水が漏れ出している。

「馬鹿なっ!?」

 偽ピットマンが叫ぶのと同時に結界は砕け散り、水を撒き散らしながらモニカは床に倒れた。

 モニカはうずくまり、ゲホゲホと咳き込みながら、無詠唱魔術を発動する。

 不可視の風の塊が頭上から振り下ろされ、偽ピットマンの体を容赦なく床に叩きつけた。

「ぐげっ……っ、な……どこ、からっ……誰、がっ……」

 偽ピットマンは床に押し潰されながら、血走った目でギョロギョロと周囲を見回している。

(……あぁ、そうか)

 偽ピットマンの挙動に、バーニーは密かに納得した。

 偽ピットマンは、この風の魔術の使い手がモニカであることに気づいていないのだ。

 魔術は詠唱無しでは使えない、それが常識だ。

 その常識を無視した非常識な魔術師なんて、世界で一人しかいない──その非常識な〈沈黙の魔女〉が、こんなちっぽけな少女だなんて、誰が想像できるだろう。

 恐らく偽ピットマンは、周囲に魔術師が潜んでいることを警戒している。モニカが無詠唱魔術の使い手であるとも知らないで。

 モニカが少しだけ顔をあげて、偽ピットマンを見る。その視線の動きだけで、次の魔術が発動した。初級の電撃の魔術だ。威力は高くないが、人間一人気絶させるだけなら、それで充分。

 偽ピットマンはビクビクと痙攣し、白目を剥いて動きを止めた。

 モニカはふぅっと息を吐き、ゆっくりと立ち上がってバーニーを見る。

「……あの、だ、大丈、夫?」

「別に、大した怪我ではありませんよ」

 本当はちょっと涙が出そうなほど痛かったのだが、バーニーは強がりを言って、鼻血を手で擦った。

 ついでに、床に落ちた眼鏡を拾う。ツルがひしゃげてしまっているけど、何もないよりはマシだと、無理やり鼻の上に乗せれば、心配そうにこちらを見ているモニカの顔がよく見えた。

 あぁ、まさか、自分がこうしてモニカに助けられる日が来るなんて。

 苦虫を噛み潰していると、窓の方からコツコツという音が聞こえた。窓枠に黄色い小鳥が止まっている。モニカが窓を開けると、小鳥は室内に飛び込み、次の瞬間、人の姿に化けた。

 あの姿は見覚えがある。金色の髪に、場違いに派手な礼服の美男子だ。どうやら、人間ではなく上位精霊だったらしい。

「刺客の排除、お見事でございます〈沈黙の魔女〉殿」

「……リンさん、もしかしたら、この人は陽動かもしれないので、他の場所も不審な会話が無いか、警戒しててください。ネロにも、しばらく周囲の魔力反応の警戒してほしいと、伝えてほしいです」

「かしこまりました」

 精霊とモニカのやりとりを聞いて、バーニーはようやくモニカがこの学園にいる理由を理解した。

 そもそも、極度の人見知りのモニカが自分からセレンディア学園に入学なんて、する筈がないのだ。

 恐らくは第二王子の護衛任務──それも極秘の。それが、モニカがこの学園にいる理由なのだろう。

 金髪の美男子に化けた精霊は、どこからともなく縄を取り出し、偽ピットマンを縛り上げた。

 その様子を眺めながら、モニカはちらりとバーニーを見て、口を開く。

「……あのね、バーニー」

「なんです」

 バーニーがぶっきらぼうに言葉を返せば、モニカはどこか寂しげに笑った。

「……私の、嘘の学校生活、これで、終わりみたい」

 この暗殺未遂騒動は、きっと大事件として扱われるだろう。既にミネルヴァの人間に犠牲者が出ているのだ。隠蔽はできない。

 暗殺者を捕らえたモニカの正体は、すぐに知れ渡ることだろう。そうすれば、もうモニカはセレンディア学園にはいられなくなる。

 遠くの方から足音が聞こえた。恐らく、誰かが控え室の様子を見に来たのだ。

 バーニーは咄嗟に口を開く。

「その精霊を鳥の姿に戻しなさい。早くっ」

「え、あ、えっと」

 指示の意味が分からず、まごついているモニカの横で、人型の精霊が素早く鳥の姿に戻った。

 バーニーは鳥に化けた精霊を物陰に隠す。それとほぼ同時に、控え室に二人の人物がやってきた。

 セレンディア学園の生徒会役員、シリル・アシュリーと、ニール・クレイ・メイウッドだ。

「なんだ、これはっ!?」

「わわっ、大丈夫ですか、ノートン嬢!? 全身、ずぶ濡れじゃないですか!」

 散乱した室内、白目を剥いてのびているピットマン、顔に怪我をしているバーニー、ずぶ濡れのモニカ……どう見ても、普通の状況じゃない。

 シリルが上着を脱いでモニカに羽織らせ、バーニーに訊ねる。

「ミネルヴァの大将バーニー・ジョーンズ。その怪我の理由の説明を」

 シリルはバーニーを疑いの目で見ていた。

 この状況だと、バーニーがピットマンとモニカに害をなしたように見えるから、無理もない。

 バーニーはあくまで落ち着いた態度で、堂々と答えた。


「ユージン・ピットマンは、暗殺者と入れ替わっていたようです。ボクが正体を見破ったら、襲いかかってきたので、返り討ちにしました。モニカ・ノートン嬢は、偶然そのタイミングで控え室に来てしまい、巻き込まれた被害者です」


 バーニーの告白に、シリルとニールが目を見開き、絶句する。

 バーニーは傾いた眼鏡を直しつつ、偽ピットマンを見下ろした。

「この偽物は変装ではなく、肉体そのものを変化させる魔術を使っている可能性があります。また、本物のユージン・ピットマンの殺害を仄めかす発言もしていました。至急、ミネルヴァにも連絡を」

 肉体を変化させる魔術は、リディル王国では禁術だ。

 ともなれば、この暗殺者が肉体変化の技術を得た場所は限られてくる。


 ──真っ先に思い浮かぶのは、肉体に直接魔術を施す医療用魔術を解禁した、東の帝国。


 帝国が絡んでくるとなると、事態は一気に深刻化する。

 それを察したのか、シリルは険しい顔でニールに指示を出した。

「私は現場の維持と、バーニー・ジョーンズから詳しい話を聴取をする。メイウッド総務はこのことを殿下に報告しろ」

「はいっ」

「それと、ノートン会計を医務室に連れて行け。観戦客に彼女の友人達が何人か来ていただろう。そばにいさせてやれ」

 ニールはコクリと頷き、モニカに「立てますか?」と声をかける。

 モニカはシリルの上着を羽織ったまま、ちらりとバーニーを見た。

「……バーニー……あの……えっと……」

 何故、自分が暗殺者を撃退したことを、〈沈黙の魔女〉であることを黙っているのか──モニカの目がそう語っている。

 バーニーはいつもの不敵な笑みを浮かべて、傾いた眼鏡を指先で持ち上げながら呟いた。


「貴女なんて、一生ボクに感謝してればいいんです」


 シリルとニールはこの言葉の真意が分からず、怪訝そうな顔をしている。

 モニカはバーニーに深々と頭を下げると、ニールに連れられて控え室を後にした。


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