【6ー13】柔らかな壁
「リン、そちらのご令嬢をこの近くにある魔法兵団の駐屯所に護送なさい。私の名前を出せば、部屋の融通をしてくれるでしょう」
ルイスの指示に、ケイシーを拘束したリンはコクリと頷く。
「かしこまりました……ルイス殿は?」
「この、原型を留めていない結界をどうにかします」
そう言ってルイスは、瓦解した噴水を顎でしゃくる。
モニカが「借りた」結界は、対〈螺炎〉用に書き換えてしまったので、学園全体を防御する機能を失っている。確かに、このままにしておくわけにはいかないだろう。
モニカが申し訳なさそうに縮こまっていると、ケイシーがモニカを見て口を開いた。
「モニカ」
モニカの肩がピクリと震える。
これがケイシーとの最後の別れになることを、モニカは理解していた。
もう二度と、ケイシーが社交界の場に立つことも、この学園に戻ってくることもないのだ。
だが、モニカはケイシーに何を言えば良いのか分からない。ごめんなさいとも、さようならとも言えず、モニカは途方に暮れた顔でケイシーを見る。
ケイシーはいつもみたいに眉を下げて笑っていた。仕方ないわねぇ、という声が聞こえてきそうな、そんな笑い方で。
「私は『ごめん』も『ありがとう』も言わないわよ。私は第二王子の暗殺を企んだ人間で、モニカの敵なんだから」
「…………」
「私はモニカの友達なんかじゃないんだからさ……そんな顔しないでよ」
言われて初めて、モニカは自分が歯を食いしばっていることに気がついた。
鼻の奥がツンとする。目が、熱い。
ひぐっ、と嗚咽が漏れた瞬間、目の端から雫がパタリと零れ落ちた。
「敵のために泣いちゃダメでしょ」
「……だっ、て…………わた、し……は……」
「お人好しの七賢人様ねぇ。そんなんじゃ、いつか誰かに寝首を掻かれるわよ」
呆れたような口調は、世話焼きで面倒見が良い、いつものケイシーのそれだった。
「ちゃんと憎んで。それができないなら、私のことなんて忘れて」
「……や、です」
モニカはフルフルと首を横に振る。
「……わたし、は、記憶力、いいんです…………絶対、忘れ、ません」
「困った七賢人様ねぇ……」
ケイシーはやっぱり困ったような顔で、ははっと笑う。
モニカがグズグズ鼻を啜っていると、ケイシーはリンを見て「早く連れてって」と言う。
リンが小さく頷けば、次の瞬間リンとケイシーの体は風の結界に包まれた。このまま飛行魔術で護送先まで飛んでいくのだろう。
二人の体がふわりと浮き上がる。
モニカはボロボロと涙を零しながらケイシーを見上げた。
ケイシーはモニカを見ない。ただ、背中を向けたまま、一言だけ。
「さよなら、モニカ」
七賢人様ではなくモニカと、いつもみたいにそう言って。
そして、ケイシーの姿は遠くなっていく。
その姿が見えなくなってもなお空を見上げていると、ルイスが噴水の瓦礫を除けながら独り言のように呟いた。
「貴女は適度に、感情を発散する方法を知るべきですな」
「…………そういうの、苦手、です」
「適当な雑魚に当たり散らしなさい」
それを躊躇わずに実行に移せるのはルイスぐらいのものである。
モニカがグスグスと鼻を鳴らしていると、ルイスは立ち上がり、綺麗なハンカチをモニカの顔にグイと押しつけ、また噴水の方に戻っていった。
「私は、どこぞのぶっとび魔女がグッチャグチャにしやがった結界の修復に忙しいのです。手伝わされたくなければ、さっさとどこぞにでもお行きなさい。先ほどの令嬢のことは、こちらで適当になんとかしておきますから」
「……ハンカチ」
「妻からの貴重な贈り物です。あとで洗って、アイロンかけて返しなさい」
「…………はぁい」
ルイスらしい態度に、モニカは鼻を啜りながら眉を下げて笑った。
* * *
涙で腫れた目が多少マシになるのを待って、モニカは生徒会室に向かった。まだ、目元が少し赤いけれど、モニカはいつも俯きがちにしているから、よく見なければ気づかないだろう。
魔力が空っぽなので、まだ体がふらつくが、それでもモニカは重い体を引きずって生徒会室の扉を開ける。
生徒会室には、モニカ以外の全員が揃っていた。どうやら、搬入作業は全て終わったらしい。
モニカがどう声をかけようか悩んでいると、フェリクスが気遣わしげにモニカを見た。
「シリルから聞いたよ。木材が倒れたんだって? 君と友人に怪我は無かったかい?」
「は、はい、大丈夫、です……」
「そう。それなら、今日は通常業務は無いから、全員これで解散していい。私もこの後、用事があってね」
モニカはほっと胸を撫で下ろした。
もう魔力が空っぽで、立っているのもやっとだったのだ。
(うぅ……頭が、ふわふわする……)
途切れそうな意識をなんとか繋ぎ止めていると、ニールが心配そうにモニカを見た。
「あの、大丈夫ですか、ノートン嬢?」
「…………ひゃい」
「へ、返事がもう大丈夫じゃないですよぅ!?」
他の生徒会役員は皆、帰り支度を始めている。フェリクスは用事があると言っていただけあって、すぐに部屋を出て行ってしまったし、ブリジットもさっさと寮に戻っていった。
シリルは戸締りの確認をし、エリオットはチラチラとモニカを見ていたが、すぐにプイッと目を逸らして部屋を出て行く。
(……魔力切れになったの、久しぶりで、感覚が……)
とにかく戸締りの邪魔にならないように、部屋を出て行かねば……と、ぼんやり考えながら、モニカは重い足を動かす。
すると、ボフッと何かにぶつかった。壁にしては柔らかい。
「…………おい」
なんだか頭上で低い声が聞こえた気がする。
だが、それよりもモニカは心地良さにほぅっと息を吐いた。なんだか、この壁にもたれていると魔力が少しだけ回復している気がするのだ。
「ノ、ノートン嬢っ、ノートン嬢っ」
ニールがオロオロとモニカの肩を揺さぶっている。
モニカがはっと顔を上げれば、シリルと目が合った。モニカがもたれていたのは、シリル・アシュリーの背中だったのだ。
「すすすすすすすすすすすすみっ、すみみっ、すみませっ、ぼ、ぼーっと、して、てっ」
そこで漸くモニカは思い出した。
シリル・アシュリーは魔力を溜め込みやすい体質の人間である。それゆえ、ブローチ型の魔導具で余計な魔力を体外に放出している。
つまり、シリルの周囲は他よりも魔力濃度が少しだけ高いのだ。
魔力切れのモニカの体は、魔力を求めて勝手に魔力の濃いシリルに近づいていたらしい。
これは叱られる、絶対に怒鳴られる。
モニカは怒声を覚悟してギュッと目を閉じたが、いつまで経ってもシリルの怒鳴り声は聞こえてこない。
恐る恐る見上げれば、シリルは眉間に皺を寄せ、口をへの字に曲げ、何やら複雑そうな顔をしていた。
「…………シリル様?」
「〜〜〜っ…………、………………っ……」
シリルは何やら言い淀んでいたが、やがて、苦悶の表情で勢い良く頭を下げる。
その行動に、モニカもそのそばにいたニールもギョッとした。
「……シリル様?」
「……ふ、副会長?」
モニカとニールが恐る恐る声をかければ、シリルは苦々しげに言う。
「すまなかった」
シリルが、モニカに、謝った。
モニカは混乱した。
もしかして、謝罪の対象は自分ではなくニールなのでは、と思ったが、シリルの体は間違いなくモニカの方を向いている。シリルは、モニカに謝罪しているのだ。
「あの、シリル様、頭、上げて、ください。な、なんで、シリル様が、あ、謝るんですかっ」
「……搬入時に個数の確認ばかりに気を取られ、ロープの固定具合を確かめていなかった。あの事故は私の確認ミスだ」
「そ、それは……っ」
シリルは何も悪くない。そもそも、あのロープに切れ目を入れたのは、ケイシーなのだ。
しかし、モニカがケイシーを庇ったことで、あの事故はシリルの不注意ということになってしまった。
(わたしのせいで、シリル様が悪者になった?)
そう気づいた瞬間、モニカの全身からさぁっと血の気が引いた。
頭の中が色んな感情でぐちゃぐちゃで、物事をうまく考えられない。
「……シリル様、は…………悪く、な……っ」
声に出した瞬間、引っ込んだ筈の涙がボロボロと溢れ出した。涙腺が決壊したかのように、涙が止まらない。ついでに嗚咽と鼻水も。
「……っ、うぇっ、ひぐっ……ふっ、ぅ、ぇぇぇっ……」
突然泣き始めたモニカに、シリルとニールが慌てふためく。
「お、おいっ、ノートン会計っ」
「ノ、ノートン嬢、えっと、あの、おおおおお落ち着いてくださいっ」
シリルとニールが声をかけても、モニカの涙は止まらない。
シリルが頭を抱えて叫ぶ。
「わ、私が謝罪して、何故貴様が泣くんだっ!?」
「……すび、ばせ、ん…………ふぅっ、う、ぇぇぇっ……うぐっ……ごめ、なさいっ……ごめんな、さい……」
モニカはその場にへにゃりとしゃがみ込み、ぐずぐずと鼻を啜る。
これは悲しみの涙じゃない。罪悪感からくる涙だ。
(……騙してごめんなさい、いっぱいいっぱい嘘を吐いてごめんなさい)
そうして、蹲ったまま泣いて、泣いて、泣いて……気がついたら、モニカの意識は闇に落ちていた。
* * *
「……ね、寝た、のか?」
「な、泣き疲れて寝ちゃったみたいです……ね」
モニカは涙だらけの酷い顔で、ぴぃぷぅと寝息を立てている。
シリルとニールは途方に暮れたまま、顔を見合わせた。
「……それで、なんで私が呼ばれたのかしら?」
生徒会室に呼ばれたクローディア・アシュリーは、ただでさえ陰気な顔を更に暗く澱ませて、自分を呼び出した兄をじとりと見る。
シリルはソファで寝かせているモニカを見て、気まずそうな顔で言った。
「ノートン会計が起きたら、寮まで送ってほしい。我々が女子寮に入るわけにはいかんだろう」
「……私は便利屋じゃないのよ?」
辛辣な妹の言葉にシリルがうぐっと声を詰まらせれば、ニールが困り顔でクローディアを見上げた。
「あの、ダメですか……クローディア嬢?」
「気にしないで、私とモニカは親友ですもの。親友を寮まで送るのは当然のことだわ」
鮮やかな掌返しにシリルは頬を引きつらせていたが、ソファですぅすぅと寝息を立てているモニカを見て怒声をぐっと飲み込み、モニカに自分の上着をかけた。