【6ー3】魔力量測定
セレンディア学園における選択授業は基本的に、三学年合同で行われる。
但し、三年生のみは新学期の始まりと同時に選択授業を決めており、一年、二年よりも一ヶ月半ほど早く授業を進めていた。
今日の見学会では、主に一年、二年が三年生の授業風景を自由に見学して回ることになっている。
ラナやクローディアは既に受ける教科を決めていたので、各々そちらの授業の見学に行っていた。
まだ一つも決めていないモニカは、昼休みに誘ってくれたケイシーと共に、各教室を見学して回っている最中だ。
歩きながら、モニカは事前に渡された資料に目を通す。改めて読み直すと、とにかく授業の種類の豊富さに驚くばかりだ。
かつて通っていたミネルヴァでは、基礎教養科目以外は全て魔術に関する授業だったので、ここまで悩むことはなかった。
モニカがうんうん唸っていると、隣を歩くケイシーが口を開く。
「男子に人気があるのはやっぱり、剣術と馬術ね。特に馬術は馬の数が限られてるから、抽選になることが多いわ。実を言うと私も去年受講してるのよね、馬術。運良く抽選に当たって」
「ケ、ケイシーは、馬に乗れるん、ですか?」
モニカが目を丸くすると、ケイシーは大したことじゃ無いのよ、と言って笑った。
「故郷じゃ男も女もみんな乗ってたからね。父の遠乗りにも、よくついていったし。なんだったら狩りにも参加するわよ。クロスボゥで」
裕福な貴族にとって狩りは娯楽だ。だが、ケイシーには生計を立てる手段の一つなのだという。
ケイシーはすごい、とモニカは素直に思った。
活動的だし行動力もある。更に料理や刺繍も得意だ。故郷では天気が悪い日は刺繍をして、それを売って生活の足しにしていたらしい。
侍女がいなくても身の回りのことに苦労しないだけあって、生活力が高いのだ。
モニカが称賛の眼差しでケイシーを見上げると、ケイシーはむず痒そうに頭をガリガリかいた。そういう令嬢らしくない仕草が、実に板についている。
「あ〜、恥ずかしいからそんな褒めないで。全然すごくなんてないのよ。うちの土地は竜害が酷くて、万年貧乏だから、そういうのができなきゃ食べていけなかったってだけ」
「で、でも、基礎教養の授業も、ちゃんとついていって、ます」
お茶会の授業でも、社交ダンスの授業でも、ケイシーの成績は決して悪くはなかった。
数学関係以外、ほぼ潰滅的な成績のモニカとは大違いである。
「いやぁ、私はただの器用貧乏よ」
はは、とケイシーは眉を下げて笑い、モニカの手の中にある資料をちらりと見る。
「……ただ、折角セレンディア学園に通わせて貰えるんだから、故郷じゃ学べないようなことを学んでみたいな、って思うわ。例えば……これとか」
そう言ってケイシーは資料の中の文字を指差す。
その文字を見て、モニカは目を丸くした。ケイシーが指差したのは「実践魔術」の授業だ。
「実践魔術、ちょっと気になるのよね。私の故郷じゃ、魔術師なんて滅多に見かけないから。モニカは気にならない?」
「えっ!? いいいいいえ、あの、えっと……」
気になるもなにも、モニカは国内最高峰の魔術師の一人、七賢人〈沈黙の魔女〉である。無論言える筈もないが。
もし、モニカが普通の魔術師なら、正体を隠したまま実践魔術の授業を受けることができただろう。
だが、モニカには致命的な欠点がある。
人前でまともに詠唱のできないモニカは、普通の詠唱ができない──つまり、
そして無詠唱魔術を使った瞬間に、モニカの正体は露呈する。無詠唱魔術の使い手は、世界でもモニカしかいないからだ。
「わわわ、わたしは、ま、魔術は……むむむむむむ向いてなさそう、だから……」
「そう? なんでもやってみないと分からないわよ……ねぇ、モニカ、なんか顔色真っ青だけど大丈夫?」
「そ、そそ、そんなこととと、なっ、なっ、なななない、です」
「いよいよ舌まで回ってないじゃない」
ケイシーが腰に手を当てて、呆れたような顔をする……その目が突然大きく見開かれた。
ケイシーが見ているのはモニカではない。その背後だ。
「やぁ、ノートン嬢。体調はもう良くなったかい?」
柔らかで甘い声は、そうそう聞き間違える筈もない。
モニカがギシギシと油の切れたゼンマイのような動きで振り向けば、フェリクスがニッコリと品良く微笑んでいた。
「でっ、でっ、ででっ……でん、殿下」
「うん、久しぶりだね、その愉快なフレーズ」
「そっ、そっ、その節は、大変っ、ごめい、わくわく、を」
「……ごめいワクワク……」
舌の回らぬモニカの珍発言に、フェリクスは口元に手を当てて肩を震わせた。
一方、ケイシーの方は強張った顔で硬直している。皆の憧れの第二王子だが、学年が違うとこんな近くで会う機会も滅多に無いから、当然と言えば当然か。
モニカはケイシーに気を遣いつつ、ぎこちなく訊ねた。
「あ、ああ、あの、なっ、なっ、なんで……殿下が、ここ、に」
「三年生の何人かは、見学中の一、二年生の誘導係をしているんだよ。ところで、君はもう選択授業は決めたのかい?」
モニカがブンブンと首を横に振ると、フェリクスは「あぁ、良かった」と言って、機嫌良く笑った。
なんだか、酷く嫌な予感がする。この殿下が上機嫌を隠さない時は、大抵モニカはロクな目に遭わないのだ。
「君にぴったりの授業があるんだ。案内してあげよう。良かったら、お友達も一緒についておいで」
壮絶に嫌な予感がする。嫌な予感しかしない。だが、フェリクスに誘われたら、もうモニカには断ることなどできないのだ。
既にケイシーは硬い顔で「よ、よろこんで」と返事をしている。
あぁ、こんなことなら、刺繍でも演奏でもさっさと選んでおけば良かった!!
モニカは内心頭を抱えつつ、へっぴり腰でフェリクスの後に続いた。
* * *
「ここだよ」
フェリクスが案内した教室。その扉の張り紙を見て、モニカは目を剥いた。もしかしたら、ちょっと白目になっていたかもしれないし、心臓が止まりかけたかもしれない。
『実践魔術』
モニカが一番選んではいけない授業である。
全身をガタガタ震わせているモニカに、フェリクスは妙に楽しそうに言った。
「私はこの授業を受けてはいないのだけどね、君には魔術が向いているんじゃないかと思うんだ」
「なっ、なっ、何故、そのよう、に、おっ、思われたのでしよっ、しょっ、しょしょ……」
何故そのように思われたのでしょうか?
呂律の回らぬモニカの問いにフェリクスはさらりと答える。
「魔術は数学的思考が高い人間ほど向いていると言われているんだ。君は数学の成績がずば抜けて良いだろう? だから、向いているんじゃないかと思って」
まさにその通りである。モニカは高い計算能力を有しているからこそ、数多の新しい魔術式を生み出し、無詠唱魔術を習得することができたのだ。
だが、モニカは絶対にこの授業を受けるわけにはいかない。
なんとかこの場を離れる言い訳はないだろうか? と頭を悩ませていると、フェリクスは教室の扉を開けて教壇に立つ教師に声をかけた。
「マクレガン先生、見学希望者を二名連れてきました」
「うん?」
教壇に立つ教師がゆっくりとこちらを振り向いた。
白く太い眉毛と長い髭で、目も口も隠れてしまっている小柄な老人だ……その姿にモニカは見覚えがあった。
さぁっと青ざめるモニカと、興味津々の様子のケイシーに、フェリクスはにこやかに言う。
「こちらは実践魔術の教師、マクレガン先生だよ。数年前までは魔術師養成機関の最高峰、ミネルヴァの教師を務めていた方で……」
(マ……マクレガン先生ーーーーーーーっ!?)
マクレガンは、かつてモニカがミネルヴァに在籍していた頃、魔術の実技を担当していた教師である。当然に面識がある相手だ。
モニカがミネルヴァを卒業するのとほぼ同時期に、マクレガンはミネルヴァを退職したと聞いていたのだが、まさか、こんなところで教師をしていたなんて!
任務失敗、の文字がモニカの頭をぐるぐると駆け巡る。
(お、終わった……全部バレた……)
モニカが死人のような顔で立ち尽くしていると、マクレガンは年の割に可愛い声で言った。
「…………
「生徒会長のフェリクス・アーク・リディルです」
「あぁ、うん、生徒会長ね……うん……案内ありがとう……えっと、見学者は二人? 悪いけど、ボク、あんまり目が良くなくてね。
「見学者は女子が二名です」
「あぁ、女子ね。はいはい、最近は女子の受講者増えたね」
年の割に可愛い声も、相手をキミではなくチミという独特な喋り方も、モニカの記憶通りだ。
……それと、目が不自由な点も。
(もしかして……き、気づかれてない?)
いける。今ならまだ逃げられる。
そもそも、この学園でのモニカは「モニカ・エヴァレット」ではなく「モニカ・ノートン」なのだ。大声でファーストネームを呼ばれでもしない限り、そうそう同一人物だと気づかれることは……。
「あーーー! モニカじゃないっすか! モニカも実践魔術の授業受けるんスかー!」
モニカの頭は、数秒ほど全活動を停止した。
我に返ったモニカの元に近づいてくるのは、今日も元気なグレン・ダドリーと、同じ生徒会役員のニール・クレイ・メイウッドである。
ニールはフェリクスの姿を見かけると、礼儀正しく挨拶をした。
「こんにちは、生徒会長。ノートン嬢。皆さん、この授業を受けるんですか?」
ニールの言葉にフェリクスは首を横に振る。
「生憎、私は受けていないのだけどね、ノートン嬢に向いているんじゃないかと思って、お友達と一緒に案内していたんだ」
「あぁ、確かに! 魔術師は数学的思考に長けた人ほど上達が早いって言いますもんね!」
ニールの言葉にグレンがギョッとしたような顔をする。
「ええっ!? そうなんスか!? オレ、二桁の足し算も危ういんスけど……もしかして、すっげぇ不向き?」
グレンもこの教室まで来たということは、実践魔術の授業を受講するつもりだったのだろう。
(そういえば、グレンさんは……魔術師見習い、なんだっけ?)
グレンはモニカの前で何度か飛行魔術をお披露目している。あれは決して簡単な術ではないから、グレンもそれなりに才能があるはずだ。
モニカがそんなことを考えていると、マクレガンが「あー、コホン」と咳払いをした。
「チミ達、入り口で立ち話もなんだから、まぁ座りなさいよ。それと、魔術師の向き、不向きの件だけど、他の受講者さんにも分かりやすいように、説明してあげる」
マクレガンに促されたモニカ達は、空いている席に着席する。
見学者ではないフェリクスまで、面白そうな顔でちゃっかりモニカの隣に座った。速やかに、生徒を案内する仕事に戻ってほしい。
「えー、コホン。まずね、魔術師になるには三つの才能が必要とされるのよ。それが『魔力量』『魔術式の理解力』『魔力操作技術』ね」
マクレガンは今挙げた三点を黒板に書くと、まずは『魔力量』の文字を丸で囲む。
「もう、なんて言っても一番必要な才能はこれ。魔力量ね。これがないと、そもそも魔術が使えないからね。今は魔力測定器で簡単に計測できるんだけど、見習いでも魔力量50ぐらい欲しいね。100超えたらまぁまぁ優秀。150を超えたら七賢人になれるカモ」
七賢人の一言にモニカの心臓が再び跳ねた。
あぁ、なんて心臓に悪い!!
「次に『魔術式の理解力』……魔術式って数式に通じるものがあるからね。さっきチミ達が言ってた、数学強い子が魔術師向きってのは、この辺が理由。魔術式はいわば『魔術の設計図兼、骨組み』だからね。魔術式を正しく理解しているほど、魔術の精度はぐーーーんと上がるよ」
そこでマクレガンは言葉を切り、何かを思い出すかのように遠い目をする。
「そうそう、昔、ボクの教え子で、この『魔術式の理解力』が抜群に高い子がいてね。もう、ぐんぐん魔術式を理解して、遂には詠唱なしで魔術使えるようになっちゃったのよ。七賢人の〈沈黙の魔女〉って言うんだけどね」
(ひぃぃぃぃ!!)
「あ、ちなみにこの〈沈黙の魔女〉は、彼女が作った魔術式も含めて、筆記テストによく出るからね、覚えておいてね」
(覚えないでぇぇぇ!!)
「もうね。近代魔術のセオリーをひっくり返したと言っても過言ではない、すごい魔術師だからね」
(過言ですぅぅぅぅぅぅ、もうやめてぇぇぇぇぇ!!)
モニカの顔色はもはや、蒼白を通り過ぎて土気色だった。できれば今すぐこの場から逃げ出したい。隣のケイシーが「モニカ、大丈夫?」と小声で声をかけてくれたが、モニカは引きつり笑いを浮かべながら小さく頷くのが精一杯だった。
「最後に『魔力操作技術』ね。これは、魔術式を元に魔力を編みあげる技術のことを言うんだけどね、まぁセンスがいるのよね。センスが良い子は難なく魔力を魔術に変換できるし、センス悪い子はいつまで経っても魔力の垂れ流し。魔術式の理解力が低くてもある程度魔術を使える子は、この『魔力操作技術』が優れてるってパターンが多いね。工作で言うなら、設計図と骨組みが雑でも、ある程度形にできちゃうタイプ。まぁ完成度は低いけど」
恐らく、グレンがそのタイプなのだろう。この手のタイプは魔術式の理解度が低くても、持ち前のセンスである程度、術が形になる。
「まぁ、この三つの才能が揃ってるのが望ましいんだけどね。もう大前提として、魔力が無いと魔術使えないからね。この授業の受講希望者は、全員魔力量測定してもらうのよ」
そう言ってマクレガンは教壇に一抱え程度の置き物を置いた。それは金属の台座に透明な水晶玉を乗せた物だ。台座には「0〜250」のメモリが付いている。
「これね、魔力量測定器って言って、ここの水晶玉に手を当てると簡単に魔力量が測定できるの。ほら、こんな感じに」
マクレガンが水晶玉に手を置くと、水晶玉が淡いブルーに発光し、メモリの数値が158に動いた。
魔力量158……文句無しの上級魔術師レベルだ。
「ボクの魔力量は158、光が青だから得意属性は水……こんな感じで、自分の魔力のことが簡単に分かるのよ。すごいでショ? はい、じゃあチミ達も順番に触ってみて」
(………………え)
モニカの心臓が嫌な音を立てて早鐘を鳴らす。
魔力量の目安は、1~49が才能のない一般人。50~99が見習い及び下級魔術師。100~149が中級魔術師。150以上が上級魔術師である。200を超える者は滅多にいない。
そして、七賢人は魔力量150以上が絶対条件なので、年に一回必ず測定をする。故にモニカは自分の魔力量を正確に覚えていた。
(わ、わたしが最後に計測した時のは……202……)
魔力量は十代後半が成長のピークなので、下手をしたらもっと増えている可能性がある。
そして、魔力量200超えは、どう考えても一般的な数字じゃない。
(ど、どどどどどどどどうしよぅぅぅぅぅ!!)
モニカは全身を冷や汗でぐっしょりと濡らしながら、全身をカタカタ震わせた。