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【5−10】隠れファンが語る場所見つけると途端に早口になる現象

 カロラインの処遇について教師と話し合ったフェリクスは、その足で医務室へ向かったが、医務室にモニカの姿は無かった。どうやら、寮の自室に戻ったらしい。

 ちゃんと寮に戻れたか気になるが、クローディアが一緒にいたから、モニカに無理をさせることはないだろう。そういえば、あの子リスは屋根裏部屋で暮らしているらしい。なんでも、ケルベック伯爵令嬢がそうするように仕向けたのだとか。

(本当は、イザベル嬢にあまり子リスを苛めないでくれと、釘を刺しておきたかったのだけどね)

 イザベルがモニカを苛めている理由を訊いてしまえば、ケルベック伯爵家の内情に首を突っ込むことになる。ケルベック伯爵家は中立派の大貴族だ。そこに第二王子のフェリクスが下手に首を突っ込むのは得策ではない。

 まぁ、モニカがイザベル嬢に苛められて泣いているのなら、自分がその分甘やかしてやればいいだろう。

 分かりやすいいじめ役がいる方が、あの子リスを手懐けやすい。

(最初はシリルにその役目を期待していたんだけど……最近の彼、ノートン嬢に甘いからなぁ)

 どういう心情の変化があったかは知らないが、モニカを医務室に運ぶことになった時、真っ先にモニカを抱き上げたのはシリルだ……まぁ、途中で力尽きてしまったけれど。

 案外、シリルはモニカのことを妹のように思っているのかもしれない。何せ、実の妹のクローディアがあれである。

 ちぐはぐな兄妹のやりとりを思い出し、クスクス笑いつつ、フェリクスは自室の扉をパタンと閉める。すると、フェリクスの胸ポケットから白い蜥蜴がするりと這い出てきた。

 蜥蜴はフェリクスの体を伝って地面に下りると、たちまち人間の姿に化ける。水色の髪に青の瞳の侍従の姿になったウィルは、フェリクスに一礼した。

「本日は……その……色々と、大変でしたね」

「あぁ、だが、久しぶりに『彼女』の名を聞けた」

「彼女、とは?」

 訝しげな顔をするウィルに、フェリクスはゆっくりと唇の端を持ち上げて笑う。


「〈沈黙の魔女〉レディ・エヴァレット」


 応接間で、イザベル・ノートンは目を輝かせてこう言った。

『わたくしは直接この目で見ていないのですが、黒竜が従えていた二十を超える翼竜を、一瞬で撃ち落としたのだとか!』

 それは魔術の心得が少しでもある者なら、誇張だと顔をしかめることだろう。

 だが、フェリクスは知っている。イザベルの言葉が嘘ではないことを。

 何故なら、フェリクスは数ヶ月前にその現場を目撃しているのだ。



 ちょうどあの時、フェリクスはお忍びで東部地方に出向いていた。

 だが黒竜出没騒動で東部は大混乱。村や町を捨てて避難する人で道は溢れかえり、フェリクスは足止めを食らっていた。

 周囲に正体がバレると都合が悪かったため、人の流れを避けて移動していた彼は、不運にも翼竜の群の移動先とぶつかってしまったのだ。

 そこで、見た。


 翼を持つ竜の群れが、空を覆い尽くしていた。

 耳をつんざくような、ギャアギャアという鳴き声は非常に攻撃的で、気が立っているのは明らかだった。

 翼竜の一匹が気紛れに滑空し、近くの民家のそばを通れば、その爪が掠めただけで屋根がもげ、風圧で木が折れる。

 それは意思を持った災害だ。一匹一匹が民家よりも大きい、大型翼竜。それが二十以上も空を舞う光景は、悪夢のようだった。

 だが、次の瞬間、空から氷の槍が降り注いだ。その数は二十四──翼竜とちょうど同じ数だ。

 大の大人が両腕で輪を作ったぐらいはありそうな氷の刃は、全て正確に翼竜の眉間を穿っていた。

 力を失った翼竜達がボタボタと地面に向かって落ちていく。落下地点は村だ。住人達は全て避難しているが、民家はそのまま残っている。

 民家に翼竜がぶつかりそうになった瞬間、翼竜の死骸は風に流されるようにスライドし、何もない地面にふわりと落ちた。

 一匹だけではない。二十四匹全てが、風に舞う羽のように緩やかに静かに、広い地面に積み重なるように落ちていったのだ。

 それを遠く離れたところから見ていたフェリクスは、呼吸も忘れてその光景に魅入られた。


 ──なんて静かで残酷で……美しい魔術だろう。


 フェリクスは現場から少し離れた場所にいたので、術者の姿を見ることはできなかったのだが、後々人づてに、その魔術を使ったのが七賢人が一人〈沈黙の魔女〉であることを知った。

 〈沈黙の魔女〉は式典で何度か見かけたことがある。ただ、常にフード付きローブをかぶっているので、フェリクスも顔までは見たことがない。

 〈沈黙の魔女〉は最年少の天才と言われているが、あまり公の場には顔を出さず、七賢人の中でもとりわけ地味で目立たない存在だ。同期のルイス・ミラーほど華やかな戦績は無い。


 ……それが、あんなに素晴らしい魔術の使い手だったなんて!


 フェリクスは鼻歌まじりにポケットから鍵を取り出すと、引き出しの鍵を開けて論文の束を取り出した。

 それを見たウィルが、緩やかに瞬きをする。

「それは〈沈黙の魔女〉がミネルヴァ在学中に書いたという論文ですか?」

「あぁ、マダム・カサンドラに頼んで、取り寄せてもらったんだ。非常に高度な魔術の位置座標とその変動に関する論文で……」

 そこでフェリクスは言葉を切り、少しだけ残念そうに眉を下げた。

「あぁ、君達精霊は、魔術とは無縁なのだったね」

「はい、わたくし達精霊は、感覚で魔法を使いますので……術式を編む、というのは理解できません」

 人間が手を伸ばして机の物を持ち上げるのと同じぐらい自然に、精霊達は魔力を行使することができる。

 だが、人間は魔力の使い方が精霊ほど上手くはないからこそ、魔術式を編んで「術」として起動するのだ。

「〈沈黙の魔女〉レディ・エヴァレットの無詠唱魔術の原理については明かされていないのだけれど、彼女が非常に優れた頭脳を持っていることは間違いないね。この論文は〈沈黙の魔女〉が学生時代に書いた物なんだが、この論文が発表されたことで広範囲術式の常識が変わったと言ってもいい。魔術の命中精度が格段に上がったんだ」

「……我々精霊は、攻撃魔術で何かを狙う時、『なんとなく』狙いを定めて、『なんとなく』魔力を放ちます」

「人間は『なんとなく』では、魔力を使えないんだよ。仕組みを理解し、論理的に術式を編んで『魔術』という形で魔力を行使する」

 例えば、火の魔術で敵を攻撃するとしよう。

 まず火を作るために、魔術師は火の温度、大きさ、形状、持続時間……それら全てを決定しなくてはいけない。

 更にそれを敵に放つために、速度、角度、飛距離を計算に入れ、気候や風向きを考慮して微調整をするのだ。

 それらを正確に魔術式に織り込まなければ、魔術は正しく発動しない。最悪、手元で火球が爆発して大惨事である。

「魔術には膨大な計算が必要なんだ。人間が詠唱をするのは、難解な数式で途中式が必要になるのと似ている。慣れれば多少の省略はできるが、複雑な数式を見て、いきなり答えに辿り着くことはできないだろう? ……だが、それができる人間が一人だけいる」

 難解な魔術式の答えを一瞬で出せる──故に詠唱を必要としない、天才魔術師。

 それが〈沈黙の魔女〉だ。

 式典のローブ姿を思い出し、フェリクスは無意識に口角を持ち上げる。

「できることなら、また見たいものだ……彼女の静謐で美しい魔術を」

 瞼を閉じれば蘇るのは、翼竜達が静かに空を堕ちていく光景。

 翼竜は殆ど血を流すことなく即死していた。

 なんて無慈悲で、残酷で、美しい光景だろう。

 フェリクスは〈沈黙の魔女〉の論文を胸に抱き、ほぅっと甘い吐息を零す。


「あぁ、あの時翼竜を撃ち落とした魔術はどうやって敵の座標軸を算出したのだろう。追尾術式を組み込んだにしても、現在の追尾術式の性能では正確に眉間を狙うことなんてできないはず……〈沈黙の魔女〉なら新しい追尾術式を開発していてもおかしくはないけれど、あの時の氷は真っ直ぐに飛んでいたように見えたから追尾術式ではないと思うんだ。そうなると、翼竜二十四体の位置を正確に割り出して瞬時に魔術を起動し眉間を貫いたことになるけれど、二十四体分の位置を全て把握して魔術を同時に撃ち込むなんて尋常じゃない。〈沈黙の魔女〉はもしかしたら恐ろしく高度な空間把握能力を有しているんじゃないかと思うのだけど……」


「……あの、殿下、紅茶が入りました」

「あぁ、うん、ありがとう。その辺においておいてくれ」

 雑な指示にウィルは小さく頷き、紅茶のカップをテーブルに乗せる。

 そして、生真面目なウィルは心の底から申し訳なさそうな顔で言った。

「……わたくしめの浅学故に殿下のお話を理解できないこと、大変申し訳ありません」

「いや、こちらこそすまないね。こんな話をできる相手が他にいないものだから、ついつい熱が入ってしまった」

 フェリクスは論文をパラパラと捲って、そこに記載された内容に目を通す。

 非常に高度で複雑な論文だ。だが、紙に折り癖がつくほど何度も読んだ論文の内容は、軽く目を通すだけで簡単に頭に入ってきた。覚えるほどに読んだのだ。何回も、何回も。

「イザベル・ノートン嬢とは、〈沈黙の魔女〉のファン同士、仲良くなれると思うんだけどな」

 ファン、と言い切ったフェリクスにウィルは複雑そうな顔で進言した。

「殿下、その、外で魔術の話は……」

「あぁ勿論。自重するよ。表向き『私は魔術に詳しくない』ということにしておかないとね」

 だからこそ、彼は学園でも魔術の実技に関する授業は受けていないし、高位精霊のウィルと契約していることも隠している。

 ふと、フェリクスは思いついた。

 魔術式は数式に似ている──となれば、計算能力の抜きん出ているモニカ・ノートンが魔術を覚えたらどうなるのだろう?

「あの子リスは魔術に興味は無いのかな? きっと、素質があると思うのだけど」

「どうでしょう。そもそも、魔力量が無ければ魔術は使えませんから」

「それもそうか」

 フェリクスは手元の論文に視線を落としながら、考える。

 あの子リスは、この論文を読んだら、どんな見解を見せるのだろう?

(……少なくとも、私のことより興味を持ってくれそうだ)


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