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【5−9】〈沈黙の魔女〉について

 イザベル・ノートンの独擅場の後、カロライン・シモンズとその友人二名は教師によって別室に連れて行かれた。その背中を見送りながら、シリルはふんと鼻を鳴らす。

 まだ正式には決まっていないが、実行犯であるカロラインは強制退学、その友人二名は自主退学が妥当だろう。

 カロライン嬢は最後まで、自分の非を認めようとしなかった。それどころか、モニカに責任を押し付けて、言い逃れをしようする始末である。

(……愚かな)

 少し前に退学処分にした前会計もそうだが、彼ら彼女らは、ここが社交界の延長の場であることを理解していない。何かあれば、親が金を積んで何とかしてくれると思っている。

(金で信用が買えれば、苦労は無い……どいつもこいつも浅慮な)

 カロラインが部屋を出て行き、部屋が静かになると、イザベル・ノートンは居住まいを正し、フェリクスとシリルに頭を下げた。

「殿下の御前にて、お目汚し失礼いたしました」

 先ほどまで高笑いをしていたとは思えない殊勝な態度だ。まったく女とは恐ろしい、とシリルは思う。

 だが、フェリクスは穏やかに笑ってそれに応じた。

「なかなか愉快ではあったよ。ところで、君のお父上はノルン伯爵家を見限ると思うかい?」

 フェリクスの問いにイザベルは思案することなく、首を横に振る。

「いいえ、父は賢明な方ですから。感情的に他領を見捨てるようなことは、いたしませんわ」

 ノルン伯爵領は重要な流通経路の一つだ。竜害で道が閉ざされるのは、あまり都合の良いことではない。

 まぁ、強かなケルベック伯爵のことだ。今回の件は、ノルン伯爵家との交渉カードにするのだろう。

 ケルベック伯爵は、このリディル王国の東部で最も影響力を持つ大貴族だ。

 リディル王国東部は竜による災害が多く、また、帝国を含む複数の国と隣接しているので、有事の際は前線となる──故に、東部の貴族達は王都に匹敵するだけの軍事力を有している。

 だからこそ、謀反を起こされると一番恐ろしいのが東部地方なのだ。

 中央の貴族達は東部貴族が謀反を起こし、中央に兵を向けることを恐れ、東部貴族達の軍隊の規模を規制したがっている……と、シリルの義父、ハイオーン侯爵が以前言っていた。

 だが、東部貴族達とて、そう簡単には軍を縮小できない。東部は常に「隣国」と「竜」という二つの危機と隣り合わせなのだから。

(……だからこそ、ケルベック伯爵家は敵に回したくないのだと、義父は言っていたが)

 次期国王を決める争いにおいて、ケルベック伯爵家は中立派だ。無理に味方につけるのは難しいだろう。

 ならば、敵に回さない程度に留めておくのが無難か。

 シリルがそんなことを思案している間も、フェリクスは世間話のような口調でイザベルに話しかけていた。

「そうそう、ケルベック伯爵領といえば……ウォーガンの黒竜の件は大変だったね」

「その節は、王都より竜騎士団を派遣していただきまして……国王陛下の迅速かつ寛大な措置に、感謝しておりますわ」

 殊勝な態度のイザベルにフェリクスが冗談めかした口調で言う。

「竜騎士団が到着せずとも、伯爵家の軍隊だけで、どうにかできてしまったのでは?」

 伯爵家の兵は竜退治に慣れているので、竜騎士団が到着する前に竜を退治してしまうことがしばしあるのだ。だからこそ、竜騎士団の派遣など必要なかったのでは、とフェリクスは遠回しに言っているのだが、イザベルは「とんでもない!」と声を張り上げた。

「確かに我がケルベック伯爵家は、何百年も竜と戦い続けてきた歴史を持ちます。そんな我々をもってしても、黒竜と対峙したのは過去二百年前の一度きり。ウォーガンの黒竜を撃退することができたのは、竜騎士団の皆様の尽力と……〈沈黙の魔女〉様のお力のおかげですわ」

 七賢人が一人〈沈黙の魔女〉は、二年前に弱冠十五歳で七賢人に就任した若き天才だ。

 シリルはその姿を見たことはないが、なんでも〈沈黙の魔女〉は式典でも常にローブを目深に被って俯き、その顔を見せないらしい。

(……フード付きローブ?)

 何かがシリルの記憶を刺激する。フード付きローブなど珍しい物ではない。

 だが、妙に胸がざわつくのは……「あの夜」の出来事を思い出すからだ。

 シリルが静かに動揺を押し殺していると、イザベルが少しばかり興奮したような口調で言う。

「わたくしは直接目にしていないのですが……なんでも〈沈黙の魔女〉様は、黒竜が従えていた二十を超える翼竜を、一瞬で撃ち落としたのだとか!」

「へぇ、私は魔術に詳しくはないのだけれど、それは素晴らしいね」

 フェリクスは感心したように相槌を打つ。

(……二十以上の動く的を一瞬で撃ち落とす? ……そんなことは不可能だ)

 竜は寒さに弱いという弱点があるが、その体は頑強かつ魔力耐性が高いので、大抵の魔術が通用しない。

 もし倒すのなら、眼球か眉間を狙わなくてはならないのだが、動く的を相手に正確に眉間や眼球を狙うのは、たとえ上級魔術師でも至難の技だ。

(まして、二十体以上を同時に撃ち落とすなど、できるはずが…………っ)

 ふと、シリルの脳裏に数週間前の夜の出来事が蘇る。

 暴走したシリルが放った氷塊を正確に撃ち落とした、恐ろしく高度な魔術。

 とても詠唱が間に合うようなタイミングじゃなかった。それなのに、あの人物はシリルの「後出し」で、あんなにも精緻な魔術を展開してのけた。


 ──静かなる、化け物。


 あの人物なら、シリルの氷を撃ち落としたように、二十を超える翼竜の眉間を魔術で狙うことが、できるのではないだろうか?

 イザベルが熱のこもった口調で〈沈黙の魔女〉について語るのを聞きながら、シリルは静かに動揺を押し殺していた。



 * * *



 フェリクスとしばし談笑し、応接間を後にしたイザベルは、侍女のアガサを従えて廊下を歩いていた。

 生徒達の視線がチラチラと自分に向けられているのが分かる。その殆どが畏怖の眼差しだ。

 早速、カロラインがイザベルの仕打ちを吹聴したのだろう。

「お嬢様、よろしいのですか?」

「えぇ、覚悟の上よ」

 誰かを踏みにじるということは、当然に敵を作る行為だ。

 それでも、あえてイザベルはカロラインに報復をした。

 ケルベック伯爵家に手を出すな──その暗黙の了解を作り上げれば、モニカに手を出す者はいなくなる。

 〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレットは、ケルベック伯爵領に住まう全ての者の恩人だ。

 領土内で黒竜の存在が発見された時、伯爵領の人間は皆、絶望に嘆いた。

 人間にとって竜は災害だ。その中で最も恐れられているのが黒竜である。

 黒竜の鱗はありとあらゆる魔術を弾き返し、吐き出す炎は防御結界をも焼き尽くすという冥府の炎。黒竜一匹で国が滅びたという伝承すら残っている。

 黒竜が気紛れに火を吐けば、それだけで数十、数百の命が失われるのだ。

 黒竜の炎は鉄や石をも焼き尽くし、人間なんて骨すら残らない。

 それでも、イザベルもアガサも最後まで屋敷に残る決意をした。死は覚悟の上だった。

 だが、戦場から届いた報告は……


 ──〈沈黙の魔女〉の魔術によって、翼竜二十四体撃墜。黒竜撃退。


 竜騎士団が一か所に集めた翼竜を〈沈黙の魔女〉は魔術で一掃し、それから黒竜の巣に乗り込んで戦闘。黒竜にとどめを刺すことは叶わなかったが、ケルベック伯爵領から追い払うことに成功したのだ。

 翼竜一匹を倒すために、どれだけの手間がかかるか、犠牲が出るかを、イザベルは知っている。

 〈沈黙の魔女〉が起こした技は、奇跡だ。

 ケルベック伯爵家にとって、〈沈黙の魔女〉は偉大な救世主である。それなのに〈沈黙の魔女〉は何のもてなしも受けずに、ケルベック伯爵領を立ち去ってしまった。

 だからこそ、ルイス・ミラーから〈沈黙の魔女〉のサポートを頼まれた時、モニカを陰ながら全力で支えるとイザベルは決めたのだ。




 自室に戻って扉を閉めたイザベルは、自身の室内をぐるりと見回し、ふむと顎に指を当てる。

「ねぇ、アガサ。この部屋、もう一つベッドを入れられるわよね?」

「えぇ、勿論です」

 聡いアガサは、すぐにイザベルがやりたいことを理解してくれた。

 イザベルはふんすと鼻を鳴らすと、拳を握りしめる。

「なら、早速ベッドの手配を。モニカお姉様は、しばし授業を休んで療養することになるはずよ。でも、屋根裏部屋ではろくに看病できないわ。他の生徒の目を盗んで、この部屋に来ていただきましょう」

「かしこまりました、早急に手配いたします」

「ありがとう。ふふ……憧れのお姉様と同室……あぁ、お姉さまはきっと今回の事件で心身共に傷つかれているに違いないわ、わたくしが慰めてさしあげないと! お姉様、恋愛小説はお好きかしら? わたくしのお勧めシリーズをお貸ししてさしあげたいわ。それで一緒に小説トークができたら素敵……あっ、寝間着も! 寝間着も用意して、アガサ! わたくしとお揃いの、うーんと可愛いやつ!」

 目を輝かせておねだりするイザベルに、有能な侍女のアガサは「お任せください」と力強く答えた。


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