【4−5】水面下の攻防
セレンディア学園にはティールームが複数用意されている。その中でも、一部の特待生しか使えない個室のティールームが、今日の茶会の会場だった。
茶会の主催は生徒会書記シェイルベリー侯爵令嬢ブリジット・グレイアム。
そして招かれた客人はただ一人。生徒会長にしてリディル王国第二王子フェリクス・アーク・リディル。
「モニカ・ノートン嬢は社交ダンスの再試験に合格したよ」
用意された紅茶に口をつけ、フェリクスは世間話のような口調で告げる。
おなじく上品に紅茶を飲んでいたブリジットは、カップから口を離すと、カップをソーサーに戻した。
「それは、よろしかったですこと」
「君はノートン嬢に不合格になってほしかったのでは? てっきり、彼女が不合格になったら、喜んで彼女を糾弾するものとばかり」
「生徒会役員に落第生が出ることを、どうして喜べまして?」
実に模範解答だ。
学園の三大美女に数えられるブリジットは、その美貌に薄い笑みを乗せてフェリクスを探るように見た。
「社交ダンスと言えば……懐かしいですわね。幼少期、一緒に社交ダンスの練習をしたのを覚えていらして?」
「貴女は昔から、優秀だった」
「殿下はダンスの練習が苦手で……あたくしの足を何度も踏んでは、謝ってばかりいましたわね?」
ブリジットは扇子で口元を隠し、目だけを動かしてフェリクスを見る……まるで、フェリクスの反応を確かめるかのように。
そんな彼女に、フェリクスはさも昔の粗相を恥じるような、困り顔を返した。
「突然昔話など始めて、どうしたんだい? 貴女らしくもない」
「あたくしとて、昔を懐かしむことぐらいありましてよ」
美貌の王子と令嬢の茶会は、まるで宮廷小説の挿絵のように美しい光景である。
だが、一見会話を楽しんでいるように見える二人の間では、水面下で静かな攻防が行われていた。
ブリジット・グレイアムは才女だ。決してフェリクスの美貌と地位に目が眩んで、言いなりになるような女性ではない……昔から。
「貴女は昔から賢い女性だった」
「父にあまり良い顔はされませんの。女は少し頭が悪くて、愛嬌のある方が良いのだとか……殿下もそうお考えでいらっしゃる?」
「賢い女性は好きだよ」
「まぁ、光栄ですわ」
ほほほ、と笑うブリジットは、誰もが見惚れるような美しい笑みを浮かべているが、その金色の目は冷めている。
心ないフェリクスの世辞など、賢い彼女の心に届く筈もない。
「ところで殿下にとって、モニカ・ノートン嬢は『賢い女性』のカテゴリーに含まれますの?」
「貴女はどう考える?」
ブリジットが切り込み、フェリクスがそれを笑顔でかわす。
是非とも賢い君の考えが聞きたい、と言わんばかりのフェリクスの笑顔に、ブリジットは長い睫毛を伏せて、しばし言葉を選んだ。
「あたくしが思うに、あの娘は根っからの学者気質ですわ。然るべき設備を与えれば、目を見張るような活躍をするけれども、人前に出て交渉をすることが不得手。殿下があの娘を評価したいのなら、生徒会役員にせずとも、他の方法があったのでは?」
やはり賢い女性だ、と思う。
こういう時、ブリジットは感情的ではなく論理的に、主観ではなく客観で、物事を捉えることができる。
その上で、ブリジットはモニカ・ノートンが生徒会役員に不適格だと言っているのだ。
彼女の指摘は正しい。モニカ・ノートンは生徒の代表にするには不十分な人間だろう。事務処理能力はともかく、挙動があまりにも残念すぎる。
フェリクスは僅かに口の端を持ち上げ、碧い目を徐ろに細めた。
「彼女を見ていると、たまにこう思わないかい? ……『何でそんなこともできないんだ』……と」
ブリジットは同意も否定もせず、ただ黙ってフェリクスの真意を探るように見ている。
そんな彼女に、フェリクスはさも親しげに笑いかけてみせた。
「まるで、昔の私を見ているようだと思っただろう、
親しげに名前を呼ばれても、ブリジットは鉄壁の笑顔を崩さない。
フェリクスはカップをソーサーに戻すと立ち上がった。
時間にはまだ早いが、これだけ付き合えば充分だろう。
「紅茶、ご馳走様。楽しい時間をありがとう、グレイアム嬢」
「えぇ、こちらこそ……有意義なお時間をありがとうございました。殿下」
ニコリと微笑むブリジットは、徹頭徹尾、非の打ちどころのない完璧な令嬢だった。
* * *
ティールームを後にしたフェリクスは、歩きながらふぅっと短く息を吐いた。
(……相変わらず気の抜けない令嬢だ)
少し余計なことを話しすぎたかもしれない。
反省しつつ、何気なく窓の外を見たフェリクスは目を丸くする。
「あれは……」
校舎裏でグレンが何か作業をしていた。そばにはモニカ、ニール、ラナもいる。どうやらグレンを手伝っているらしい。
何をしているのだろうと見ていると、グレンが石を組み、その上に鉄網を乗せた。そして鉄網の下で火を起こし、網の上にせっせと肉を並べ始める。
(……わぁ)
フェリクスは寮に戻るつもりだった足を止め、早足で裏庭へ向かった。