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【3ー4】真夜中の来訪者、浮かれポンチについて語る

 生徒会の仕事は大変ではないが、とにかく気苦労がすさまじかった。

 食事と湯浴みを終えて、女子寮の屋根裏部屋に戻ったモニカは、寝台に突っ伏すように倒れこむ。

「おぅ、モニカ。お疲れだな」

 うつ伏せで倒れるモニカの上にネロが乗っかり、モニカの肩の辺りを前足で踏む。マッサージというには些か弱いが、それでも柔らかな肉球に背中をフニフニされる感覚は心地良かった。

 モニカはうっとりと目を閉じて、はふぅと息を吐く。

「……今日は、アシュリー様に……しごかれて……」

「アシュリー? あ、分かった。いつもキンキン声で怒鳴ってる、ヒンヤリ兄ちゃんだろ。で、どんだけしごかれたんだ? ルイルイ・ルンパッパより厳しいのか?」

「うーん……ルイスさんの百分の一ぐらい、かな」

「お前の同期は悪魔か」

 シリル・アシュリーはモニカに対してツンケンとした態度を取っているので疲れることには疲れるが、指導内容は手厚かった。必要なことはリスト化してくれているし、分からない点を訊けば、きちんと教えてくれる。フェリクスに心酔しているシリルは、フェリクスに命じられた以上は、きちんとモニカの面倒を見てくれる人だ。

 それに比べて、モニカの同期の七賢人〈結界の魔術師〉ルイス・ミラーときたら、モニカが吃る度に容赦なく平手打ちをし、時に大型攻撃魔術をぶちかましてくるような男なのである。氷を口に放り込むと宣言したシリルはまだ優しい。

 ルイスにしごかれた悪夢の日々を思い出してモニカがぐったりしていると、コツコツという音が聴こえた。

「……窓?」

 顔を持ち上げれば、屋根裏部屋の窓に一羽の小鳥が止まっていた。黄色と黄緑色の羽を持つ美しい鳥だ。貴族に鑑賞用に飼われていた鳥が逃げてきたのだろうか?

 小鳥はまたコツコツと窓を叩いた。黒猫のネロが窓際に近づいても怯える様子もない。

 もしやと思い、モニカが窓を開けると、小鳥は屋根裏部屋に飛び込み室内をぐるりと一周して、床に着地した。

 その姿が細かな光の粒子に包まれ、次の瞬間人の姿に変わる。

 そこ佇んでいるのは、すらりと細身で長身のメイドだ。どこか人形じみた美しい顔の彼女を、モニカは何度か見たことがある。

「……あなたは……ルイスさんの」

 呟くモニカに、メイドはスカートの裾を摘んで一礼すると、淡々と名乗った。

「〈結界の魔術師〉ルイス・ミラーの契約精霊、リィンズベルフィードです。どうぞ、リンとお呼びください」

 まさに悪魔だなんだとルイスの噂をしていた直後なので、モニカは無意識に背筋を伸ばした。

 ルイスの契約精霊であるリンがモニカの元を訪れたということは、任務の遂行度合いを報告せよということだろう。

「え、えっと、任務の報告……です、よね?」

「それもございますが、まず先に……ルイス殿より火急の伝令がございます」

 火急の──つまり、大至急伝えなくてはならない重要な伝言ということだ。

 一体どんな伝言なのだろう、とモニカとネロは息を飲む。

 リンは無表情のまま、口を開いた。

「『わたくし、ルイス・ミラーはこの度……』」

「こ、この度……?」

 復唱するモニカに、リンは一言。



「『パパになります』」



「いらねぇぇぇ!! その情報いらねぇぇぇ! ただの私信じゃねーかっ!?」

 ネロが怒鳴ってもリンは特に動じる様子もなく、コクリと頷く。

「はい、奥方様のご懐妊でルイス殿は少々浮かれポンチになっておりまして」

「……う、うかれぽんち?」

 あまり耳に馴染みのない単語をモニカが復唱すれば、リンは「浮かれポンチです」と神妙な態度で頷いた。

「なんでも西部地方特有の言い回しで『ポンチ』とは『ぼんぼん、坊ちゃん』を意味するのだとか。つきましては、浮かれて舞い上がった人間相手に使う言葉にございます」

「そ、そうですか……」

「本で目にしてから、一度は口にしてみたいと思っていた単語です。このたび使うことができて、大変に感無量です」

 感無量と口にするリンは、相変わらずの無表情だった。

 どこまで本気なのか分かりづらい精霊である。

「えっと……その……ルイスさんと奥様に、おめでとうございますと……お伝えください」

「そこは怒れ! モニカ! あの性悪魔術師、お前に面倒な任務を押しつけて、自分は浮かれてやがるんだぞ! お前はもっと怒っていい!」

 ネロが肉球を振り上げてギャアギャアと主張するが、モニカは素直に祝福したかった。ルイスはさておき、ルイスの妻のロザリー夫人にはだいぶお世話になったので。

 リンは「お伝えいたします」と頷き、懐から一枚の紙を取り出す。

「では、本題が済んだところで……」

「おい、今のが本題でいいのか!?」

 ネロのツッコミを黙殺し、リンは取り出した紙を机に広げた。

 紙にはルイスの筆跡でこう書き殴られている。


『貴女の口頭報告の無能っぷりは身に染みております。重要な報告は、全てこの紙に記してリンに渡すように』


 流石同期である。モニカが口頭で報告すると、重要事項の半分も伝えられないことをよく分かっている。

「わたくしは今回の任務における伝書鳩です。ルイス殿に報告、伝言等があれば、そちらにご記入の上、わたくしに託してください。すぐにルイス殿にお届けいたします」

「……え、えっと、報告内容が特になければ?」

「もれなく、わたくしがこの屋根裏部屋に居座ります」

「す、すす、すぐに書きます!」

 モニカは慌ててランプを机に移し、椅子に座った。

 幸い報告する内容はそれなりにある。生徒会役員に選ばれたことは、護衛任務において大きな前進だ。これは胸を張って報告して良いところだろう。

 あとはあとは……と報告内容を考えていると、ネロがヒゲをピクピクと震わせ、窓の外を見た。

「おい、男子寮の裏っ側が、なんかヒンヤリしてるぞ」

「……え?」

 ネロの言葉の意味が分からずモニカが戸惑っていると、リンが口を挟んだ。

「男子寮裏手に氷の魔力反応があります。意図して魔術を使っているのではなく、暴走して魔力が漏れ出している状態かと」

 嫌な予感にモニカの背すじがぞっと冷たくなる。

 氷の魔力と言われて真っ先に思い浮かぶのは、シリル・アシュリーだ。

「……あの、リンさん、氷の魔力反応は男子寮の中じゃなくて外に?」

「はい、外です。寮の敷地の外に向かって、ゆっくりと移動しております」

 もし、この魔力の反応がシリルのものだとして、生真面目な彼がこんな時間に寮を抜け出したりするだろうか?

 だが、なんにせよ第二王子の護衛役としては、男子寮付近での異常事態は見逃せない。

「わ、わたし、様子を見に行ってきます……」

「でもよぉ、モニカ。どうやって女子寮を抜け出すんだ? お前、飛行魔術使えねーじゃん」

「あぅっ」

 ネロの言う通りだった。

 飛行魔術はバランス感覚が問われるので、運動神経が壊滅的に悪いモニカの苦手分野だ。

 熟練者は自由自在に空を飛ぶことができるのだが、モニカには旧庭園の柵を乗り越えた時のように、少し高くジャンプするのが精一杯である。

「……うぅ。どうしよう……」

 モニカは窓を開けて、地面を見下ろした。

 モニカの部屋は四階建ての建物の屋根裏部屋なので、当然に高い。

 ここから飛び降りて、着地の瞬間に風の魔術で衝撃を和らげることはできるだろう。だが、怖いものは怖い。

 窓の外を見下ろしてカタカタと震えていると、リンがモニカの肩を叩いた。

「そういうことでしたら、わたくしにお任せを。わたくしは風の精霊ですので、飛行魔術は得意分野です」

 なんて頼もしい!

 モニカが尊敬の眼差しでリンを見上げると、リンは窓枠に足をかけながら言った。

「なお『高速移動は着地に難あり』と主より評価されております。着地の際は気を強く持ち、歯を食いしばって衝撃に備えてください」

「ゆっくり移動してぇぇぇ!」

 モニカはネロを胸に抱いて悲鳴をあげた。


 * * *


「……殿下」

 男子寮のフェリクスの部屋で、従者のウィルが戸惑うようにフェリクスに声をかけた。

 ソファに腰掛け、紅茶を飲んでいたフェリクスは、カップをソーサーに戻してウィルを見る。

「……シリルかい?」

「はい、寮の外に強い氷の魔力を感じます」

「正確な場所は分かる?」

「……申し訳ありません。大体の方角ぐらいしか」

 ウィルは申し訳なさそうに眉を下げた。だが、こればかりは仕方がない。ウィルが得意としているのは目眩しや幻覚の類で、感知能力はそれほど高くないのだ。

「さて、どうするかな。放っておくわけにもいかないし……少し様子を見に行こうか」

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