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【3−2】正しい選択肢:殿下に教えてもらう

 放課後、生徒会室の前まで辿り着いたモニカは、スーハーと深呼吸をしてノックをしようと手を持ち上げ……その手を下ろした。

 もうしばらく前から、モニカは延々と同じ動作を繰り返している。深呼吸もこれで三十回目だ。

 生徒会室の扉の前でひたすら深呼吸をしている姿は、不審者以外の何者でもない。第二王子のそばにいる不審者を排除することがモニカの任務なのだが、現時点で一番の不審者は間違いなくモニカである。

(こ、今度こそ……)

 今度こそノックをするぞ……という強い意志の元、モニカが手を持ち上げたその時。

「あのー、大丈夫ですか?」

 背後から声をかけられたモニカは驚きのあまり飛び上がり、額を扉に打ちつけた。痛い。

 額を押さえてプルプル震えていると、声をかけた人物が申し訳なさそうに頭を下げた。

「わ、ごめんなさい、突然声かけちゃって。えっと、なんかさっきからずっと扉の前で深呼吸しているから、具合が悪いのかなって思って……」

 モニカに声をかけたのは、明るい茶の髪の少年だった。やや小柄で幼く見えるが、袖の飾りを見るにモニカと同学年だ。その襟元にはモニカと同じ生徒会役員章がつけられている。

(……この人も、生徒会役員?)

 そういえば昨日、資料室に何人かいた気がする。けれど、あの時のモニカは資料に夢中でそれ以外の物が殆ど目に入っていなかったのだ。

 モニカがもじもじしていると、少年は貴族らしい上品な礼をした。

「新しく会計になった、モニカ・ノートンさんですよね? 僕、総務のニール・クレイ・メイウッドです。よろしくお願いします。生徒会役員で二年生は僕達だけなので、仲良くしてくださいね」

 そう言って、はにかむように笑うニールは見るからにお人好しそうだった。

 あぁ良かった、とモニカはこっそり息を吐く。

 生徒会役員に嫌われているのではと内心気が気でなかったのだが、こんなに良い人もいるのだ。これなら、なんとかやっていけるかも……と胸を撫で下ろしたその時。


「いつまで扉の前で話しこんでいる!」


 背後から怒声が響き、モニカはビクリと肩を竦ませた。

 振り向けば、生徒会副会長シリル・アシュリーが腕組みをしてモニカを睨みつけている。

 シリルは細い顎をツンと持ち上げてモニカを睥睨し、忌々しげに口を開いた。

「モニカ・ノートン。貴様が扉の前で延々と奇行に及んでいたせいで、私が中に入れなかったではないか!」

 どうやらシリルはモニカが扉の前で深呼吸を繰り返していたところを見ていたらしい。

「あのぉ、副会長……もしかしてずっと見てたんですか?」

 ボソリとニールが呟けば、シリルはギロリとニールを睨みつける。気弱そうなニールはサッと口を手で塞いだ。

 シリルはフンと高慢に鼻を鳴らし、再びモニカを睨む。

「貴様がどうやって殿下に取り入ったかは知らんが、私はお前を生徒会役員と認めたわけではないからな」

 低く吐き捨ててシリルは生徒会室の扉を開ける。

 ニールが「行きましょう」とモニカを促したので、モニカは恐る恐る二人の後に続いた。

 生徒会室では既に三人の人物が着席していた。中央の執務机に座るのは、生徒会長のフェリクス。

 そしてローテーブルでは淡い金髪の美女と、鳶色の髪の垂れ目の青年が資料を読んでいる。

 フェリクスはシリルの背後にいるモニカに気づくと、ニッコリ微笑んだ。

「これで全員揃ったね」

 フェリクスが口を開けば、他の役員達は自然とローテーブルに移動した。最奥と末席を空けるように。

 恐らく、ニールの隣の末席がモニカの席なのだろう。

 フェリクスは最奥の席に座ると、モニカに着席を促す。

「さて、昨日も話したが、我が生徒会は前任者のオブライエン会計に代わり、モニカ・ノートン嬢を新しく生徒会役員として迎え入れることにした」

 フェリクスの言葉を厳粛な態度で聞いているのが副会長のシリルと、金髪の美女。鳶色の髪の青年はどこか面白がるような目でモニカを見ており、ニールはそんな先輩達の様子にソワソワしている。

「まずは私から自己紹介を。生徒会長のフェリクス・アーク・リディルだ」

 フェリクスが名乗りを上げた以上、彼に連なる者達も名乗らなくてはいけない。

 副会長のシリルが苦々しげな顔で口を開いた。

「……生徒会副会長シリル・アシュリーだ」

 刺々しいシリルの声からは、モニカに対する敵意をヒシヒシと感じる。

 モニカが肩を竦ませていると、だらしなく背もたれにもたれていた鳶色の髪の青年が、軽く片手を持ち上げた。

「書記のエリオット・ハワードだ。よろしく」

 エリオットは少しタレ気味の目の、軽薄そうな雰囲気の青年だ。

 続いて口を開いたのは、淡い金髪を美しく纏めた、美貌の令嬢。

「書記のブリジット・グレイアム」

 淡々と自らの名を名乗るブリジットは、モニカの方を見ようとしなかった。

 あっさり自己紹介を終えた彼女は口元を扇子で覆って、それきり口を閉ざしてしまう。

 最後にニールが、隣に座るモニカに恥ずかしそうに自己紹介をした。

「総務のニール・クレイ・メイウッドです……って、さっき自己紹介したんですけどね、あはは」

 ニールがから笑いをしても以前空気は張り詰めたままで、ピリピリと張り詰めた空気の中にニールの笑い声が虚しく響く。

 そんな空気を和らげるように、フェリクスが「さて」と口を開いた。

「それでは最後に、モニカ・ノートン嬢。自己紹介を」

 あぁ、どうして最近はこんなにも苦手な自己紹介をする機会が多いのだろう。できれば今すぐに逃げ出したい。

(……ここで逃げたら、ルイスさんに叱られる、ルイスさんに叱られる、ルイスさん怖い、ルイスさん怖い……)

 モニカは頭の中に、同じ七賢人であるルイス・ミラーの姿を思い浮かべた。


 ──おや同期殿? 貴女は自分の名前すらまともに言えないのですか? はっはっは、まるで死にかけの蝉のような鳴き声ですなぁ。はて、私はいつから蝉と同期になったのでしょう? あまりにも貴女が無能だと、同期の私も無能だと思われるのですよ。さぁ、分かったら、さっさと背筋伸ばして人間になりなさい、この蝉娘。


 想像したらちょっと泣きたくなった。

 モニカはグスッと鼻を啜って、か細い声で自己紹介をする。

「……モ、モニカ・ノートン、です……」

 言った、言えた。

 ちょっとだけ噛んだけど、モニカにしてはだいぶマシな自己紹介である。

 だが……

「無様だこと」

 モニカの自己紹介を一言で切り捨てたのは、ブリジットだった。彼女は琥珀色の目でモニカを見据えると、扇子で口元を覆ったまま冷たく吐き捨てる。

「名乗りすらまともにできぬ生徒会役員など、聞いたことがなくってよ」

 ビクリと肩を震わせるモニカに、ブリジットは冷たい一瞥を向け、そのまま視線をフェリクスへ移した。

「殿下。あたくしは、この娘に人前に立つ資格があるとは思えませんわ。生徒会の評価を地に落とす前に、今一度ご再考を」

 フェリクスは相変わらず穏やかな笑みのまま──どこか、面白がるように目を細めている。

「私の人選が気に入らない?」

「えぇ」

 第二王子であるフェリクスに対して、ブリジットは怯むでも媚びるでもなく、キッパリと頷く。

「同じことを考えている者は、他にもいるのではなくって?」

 これに反応したのはシリルである。

 シリルは椅子から腰を浮かせ、拳を握りしめて力説した。

「殿下! 私もグレイアム書記と同意見です! どうかどうかどうかお考え直しください! こんな小娘が生徒会役員など、生徒会の汚点となります!」

 大声で主張するシリルをエリオットは面白がるように眺め、ニールはオロオロとしている。

 そしてフェリクスは──何故か楽しそうにクスクスと笑った。だが、口元は笑みを浮かべているのに碧い目はどこか冷たく輝いている。

「君達は面白いね。前会計アーロン・オブライエンの不正には口を閉ざし、彼の存在など無かったかのように振る舞うのに、まだ何もしていないノートン嬢は声高に糾弾する」

 室内の空気が凍りつく。

 シリルは青ざめながら「それは、その……」と歯切れ悪く口籠った。ブリジットは無表情に黙り込んでいる。

 モニカは前任の会計がどんな人物だったのかを知らない。ただ、今の会話の流れから察するに、なんらかの不正をして会計の座を追いやられたのだろう。昨年度の会計報告の不備を思い出せば、何をしでかしたかは容易に想像できる。

 フェリクスは膝の上で指を組むと、どこまでも美しく微笑み、言った。


「後ろ盾の無い者は、糾弾しやすくて良いね? 攻撃し返される心配もない」


 穏やかで、柔らかで、だがどこまでも冷ややかな言葉に生徒会役員達は表情を硬らせる。

「ノートン嬢が何らかの不始末をしたのなら、それは任命した私の責任だ。その時は、私は生徒会長を辞任すると約束しよう」

 この発言に生徒会役員達はギョッとしていたが、誰よりも驚いていたのは間違いなくモニカである。

(ままままま待って、待って、待ってぇぇぇぇ……っ!)

 正直に言ってヘマをやらかす予感しかしない。やらかす。きっと自分は何かやらかす。だって、モニカは数字を扱うこと以外、平凡以下の駄目人間なのだ。

 モニカがカチカチと歯を鳴らして震えていると、フェリクスはポンと軽く手を打った。

「さて、この話はこれまでで良いね? じゃあ早速だけど、シリル。ノートン嬢に会計の仕事を教えてあげておくれ」

 フェリクスの指示に、シリルは物凄く不満そうな顔で口を開いた。だが反論をぐっと飲み込み、口をへの字に曲げて、不承不承頷く。

「……仰せのままに」

 シリルは頭を上げると同時にモニカを睨みつけた。その目は爛々と輝き、もはや敵意を通り越して殺意に満ちている。口元からはギシギシという物騒な歯軋りの音まで聞こえた。

 よりにもよって、この人から仕事を教わるなんて!

 モニカはカタカタと震えながら、フェリクスを見上げる。

「ああああ、あ、あの、あのぅ……な、なぜ、副会長……に?」

「前会計を辞めさせた後、しばらく会計代理をしていたのがシリルだからね」

 フェリクスはそこで言葉を切ると、面白がるようにモニカの顔を覗き込んだ。

「もしかして、私に教わりたかった?」

「いえ、でででできれば、年の近い方だと、う、嬉しい、なぁ、って……」

 つまりは一番温和そうなニール少年である。

「……そう」

 フェリクスはニコリと優しげに微笑み、言った。

「シリルにしごかれておいで」

「……ひぃん」


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