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【9ー8】ほーら、お前の好きな飛行魔術ですよ(窓の外にぶん投げつつ)

 舞台が終わった後、フェリクスは舞台裏に向かい、責任者と険しい顔で何やら話し込んでいた。おそらくは舞台の上で起こった事故について、聞き取りをしているのだろう。

 モニカとしては、エリアーヌが何故グレンを攻撃したのか分からないけれど、フェリクスの命を狙う刺客とは無縁と判断し、その場を離れた。

 そんなモニカの肩に、空から舞い降りた黄色い小鳥がとまる。木の上から様子を見守っていたリンだ。

「消火活動、お疲れ様でした」

「えっと、気づいてました……か?」

「はい。わたくしが力をお貸しするべきか迷ったのですが、わたくし、物事を穏便に収めるのが些か不得手でして」

 飛行魔術のダイナミックな着地方法など、これまでの所行の数々を思えば、リンに協力を要請しなかったのは正解だろう。

 なにより、フェリクスが隣に座っている状況では、モニカはリンに口頭で指示を出せなかった。

 連携が取れない以上、モニカ一人で動いた方が穏便に収めやすい。

「〈沈黙の魔女〉殿が消火活動にあたっている間、あの騒動に便乗して、第二王子に危害を加えようとする者はいないかと見張っていたのですが、不審な動きをする者はいませんでした」

「……そうですか。良かった」

 とは言え、油断はできない。学祭はまだ終わっていないのだ。

 モニカが自分にそう言い聞かせていると、バタバタと騒がしい足音が聞こえた。振り向けば、グレンがなにやら必死の形相でこちらに駆け寄ってくる。

 さっきまで舞台のスタッフ達に囲まれて、でかした、よくやったと褒められていたのにどうしたのだろう?

「……グレンさん? どうしたんですか?」

「モニカぁっ! 匿ってほしいっス!」

「か、匿う!?」

 あまり穏便ではない単語にモニカはギョッとした。

 グレンは珍しく真っ青な顔でガタガタと震えている。さっきまで舞台の上で喝采を浴びていた彼に、一体何があったというのだろう。

「あ、あの……グレンさんは、誰から逃げてるんですか?」

「そ、それが、さっきの舞台をオレの師匠が見てたらしくって……っ!」

 グレンの師匠と聞いて、モニカはフェリクスの言葉を思い出した。

 フェリクスが言うには、グレンは高名な魔術師の弟子であるらしい。

「『監督役のいないところで飛行魔術は使うな』っていう言いつけを破ったのが、バレちゃったんスよ! やばいやばいやばい、あれ絶対怒ってる……っ!」

「えっと、グレンさんのお師匠様って……怖い方、なんですか?」

「めっちゃくちゃ怖いっス! オレの頭を鷲掴みにして窓の外にぶん投げるぐらい、平気でするっス!」

「……あのぅ……グレンさんのお師匠様って……魔術の、お師匠様、なんですよね?」

 グレンは同年代の中でも長身の青年である。それを鷲掴みにしてぶん投げる魔術師とは、一体何者だろう。

 モニカが筋骨隆々とした大男を思い浮かべていると、グレンはモニカの背後を見て、限界まで目を見開いた。

「ぎゃあああああああ、しっ、しっ、ししょっ……」


 ドゴン、という音がした。


 それは圧縮した空気の塊が、グレンの脳天に叩きつけられた音である。

 グレンが「ふげっ」とくぐもった悲鳴をあげて地面に這いつくばると、モニカの背後から聞き覚えのある声が響いた。


「おやおや、グレン。師の顔を見るなり逃げ出すとは、何事ですか?」


 まさかまさか、いやまさか……と思いながらモニカが振り向けば、そこに佇んでいるのは案の定、七賢人が一人〈結界の魔術師〉ルイス・ミラーであった。

 ルイスは優雅に微笑みながら、地面に這いつくばっているグレンの顔を片手で鷲掴み、引きずり立たせる。やっていることが、ほぼチンピラだ。

 その美しい容姿と行動のギャップは、結構な視覚的暴力であった。

 なるほどルイスなら、片手でグレンを鷲掴みにしてぶん投げるぐらいはできるだろうし、実行も躊躇わないだろう。ルイスの握力と腕力と容赦の無さを知っているモニカは、震えつつも納得する。

 顔面を鷲掴みにされたグレンは、涙目で言い訳を捲し立てていた。

「さっきの飛行魔術は不可抗力っス! 使わなきゃ、マジでやばかったっていうか……っ!」

「えぇ、勿論。私は舞台の上での振る舞いを咎めているわけではありません」

 ギャンギャン泣き喚くグレンとは対照的に、ルイスはどこまでもお上品な口調であった。それが逆に薄ら寒い。

「グレン、お前……普段から実家と学園を行き来しているそうですね? 飛行魔術を使って」

「げげっ!? なんでそれを……」

「先ほど、お前のご両親に挨拶をした際に聞いたのですよ。いやぁ、それはさぞ魔術の腕も成長したでしょうね。オツムの方は、からっきしのようですが」

「ぎゃあああああ、痛い痛い痛い痛いっ!」

「飛行魔術に失敗して、我が家に激突し、壁にヒビを入れたことをもう忘れましたか? あぁ?」

 最後の「あぁ?」だけ、やけに低い声なのがまた怖い。

 モニカは、これっぽっちも心温まらない師弟のやりとりを見守りつつ、後ずさった。

 そして、肩にとまっているリンに小声で話しかける。

「グ、グレンさんって……ルイスさんの、お弟子さん、だったん、ですか?」

「〈沈黙の魔女〉殿は、ルイス殿とグレン殿の関係を、ご存知なかったのですか?」

 リンの言葉にコクコクと頷くモニカは、一つの可能性に気がついた。

「あの、グレンさんは…………わたしの正体を知ってるんです、か……?」

 モニカとグレンがセレンディア学園に編入したのは、ほぼ同時期だ。ともなれば、グレンはルイスが送り込んだと考えるのが妥当だろう。

「もしかして、グレンさんは、影からわたしをサポートするために、この学園に……?」

「僭越ながら申し上げます。グレン殿に陰ながらのサポートや、隠密任務ができるとお思いですか?」

「……思わないです」

 良くも悪くも裏表がなく、底抜けに明るくて馬鹿正直なのが、グレン・ダドリーという青年である。

「ルイス殿は、貴女を学園に送り込む際のカモフラージュのため、グレン殿を編入させたそうです」

 フェリクスはルイス・ミラーが自分のそばを嗅ぎ回っていると考え、周囲に警戒していた。その矢先にモニカが編入すれば、モニカがルイスの手の者だと疑われてしまう。

 だから、ルイスはモニカと同じタイミングでグレンを編入させたのだ。

 ルイス・ミラーの弟子であるグレンが編入してくれば、当然、フェリクスの警戒はグレンに向けられ、モニカは疑われにくくなる。

「なお、そのことをグレン殿は、何も知りません」

「…………」

 つまりルイス・ミラーは極秘任務のために、弟子を囮に使ったというわけである。血も涙も無い。

「グレン殿が〈沈黙の魔女〉殿の正体や任務を知ったら、周囲に隠し通せるとは思えません。黙っていた方が得策かと」

「……そうします」

 モニカの視線の先では、ルイスに折檻されていたグレンが「ロザリーさぁぁぁん!」と、ルイスの妻に泣きつき、ルイスに舌打ちをされているところだった。

 この場にいたら、ルイスとモニカが知り合いであると思われかねない。モニカはグレンに心の中で謝りつつ、他人の振りをしてその場を立ち去ることにした。

 とりあえず、グレンがそこまで酷い折檻を受けないことを祈るばかりである。




 ルイスとグレンが師弟であることは驚きではあったが、グレンがモニカの正体を知らないことに、モニカは内心、酷く安堵していた。

 グレンがモニカに親しげに話しかけてくれるのは、任務だからではない。彼はモニカの正体を知らずに話しかけ、親切にしてくれたのだ。

 モニカは友達っス! というグレンの言葉が偽りではないことが、モニカには正直嬉しい。

 できれば、彼とはこれからも友達でいたいのだ。


(……正体、ちゃんと隠さなきゃ)


 自分でも驚くぐらい、モニカは今の生活を手放し難くなっていた。

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