第七十二話 修行のお話②
翌日の23日木曜日、放課後。
教室はクリスマスイブを明日に控え、月曜から1月の9日までが冬期休業になるということでどことなく浮かれているが、俺は今それどころじゃない。
『IWO』に夜が実装されたとはしゃぐフレイを横目に、俺はさっさと玄関まで降りる。
今日も複合相殺の練習をしなくちゃいけないからな。
あれやってるとだんだん楽しくなってくるんだよね。『偽腕』の操作を練習してた時もそうだったけど、長時間打ち込めるものに対して俺はかなり相性が良いらしい。
そういえば『IWO』ではクリスマスイブにイベントをするらしいんだが、戦闘系ではなくNPCからの依頼クエスト系だそうなので俺はパスの予定。今日だけで複合相殺を極められなかったら、勿論明日もやるためである。レベル上げが滞るが、まぁ二、三日くらい大丈夫だろ。あんまりギルドの皆と差ができたら呪具使ってフィールド籠りすればいいし。
ゲームの事を考えながら靴箱を開けると、そこには何故か五通ほど手紙が入っていた。
……何これ。
一見すると普通の便箋のようだが、特に差出人も書いていない。白、真っ赤、水色、ピンク、黄緑とカラフルだな。
全部ここで読むのも面倒だし、どうしようかと思っているとどたばたと玲花が階段を駆け下りてやってきた。
「んもぅ九乃さん! 置いてかないでくださいよー」
「今日は一緒に帰れないって言ったろ? あ、それより玲花。これ何だと思う?」
五通の便箋を見せる。
すると玲花がピキッと固まり、恐る恐るといった感じで聞き返してきた。
「これ、どこにあったんです?」
「靴箱の上段。特に何も入れてなかったはずなのに、いつのまにかこれが入ってたんだよ」
「……あー、うー……馬鹿な……いや、私が甘かったですか……」
玲花が頭をかかえ、激しく悩みだす。どうしたんだろう。
……とと、この時間が勿体ないな。
もういいや、玲花にまかせちゃおう。
「玲花、これ」
「はい……え?」
「中読んでもいいから適当に処分しといてくれ! じゃ!」
特に手紙なんかもらう心当たりもないし、構わないだろ。本当に大事な事なら、自宅に届くはずだ。というか、靴箱に入ってる時点で怪しいよな。
そうして俺は玲花に手紙を託すと、一路帰宅するために駆け出した。
待ってろ、複合相殺っ。
「えぇぇええええええ!?」
―――
「ど、どうしましょうこれ……」
「絶対ラブレター的な何かですよね……私が常に張り付いているから大丈夫と思ったのに、空気の読めない方々です」
「しかし、ここで捨ててしまうのはいくらなんでも性格悪すぎますよね……」
「しょうがない、適当に差出人の机にでも放り込んどきますかぁ」
「……ラブレター、ねぇ。私も考えはしましたが、まさか読んでももらえない実例を示されると、ホント心折れますね……」
「というか、昨日は『IWO』内のコールも拒否設定にされてましたし。明日のイベントにもあまり興味が無いみたいですし、どうしたもんですかねー」
「……まぁ私は毎日一緒の学校にいられて、気兼ねなくお話できるだけでもいいっちゃいいんですが……はぁ」
「そういえば25日のお知らせ……クノさんにもいってるでしょうかねぇ」
「この分だと非常に心配なのですが」
「はふぅ」
「今日もコールでなかったら、携帯にメールしときましょうかね」
「冬休み中の遊びの予定とか、一緒に立てたかったのになぁ……」
―――
ガィン
随分と聞きなれた音が、ドアも窓もない白い部屋の中に響き渡る。
表示されたウインドウを即座に読み取って掻き消し、同時に硬貨を落として球体を変色させる。そして心を落ち着け、今日何度目かも分からない一撃を繰り出した。
ガィン
「……むぅ。なかなかうまくいかないものだな……後一歩という感じはするんだが」
ただいま、五本での複合相殺に挑戦中だ。
四本はついさっき出来て、本数の多い場合の複合相殺において、何かが掴めそうな気がしているのだが……うーん。この感覚さえはっきりさせて刻み込めれば、六本でも七本でも余裕で行ける気がするんだけどなぁ。
もどかしい。
ガィン
『偽腕』の操作はこの短期間で確実に上手くなっているんだが、何かもう一歩、殻を破るには足りない。やはり練習あるのみかな。
俺は少し人並み外れたと自負している集中力でもって、延々と球体を叩き続けるのだった……
ガィン……
ガィン……ガィン……
ガィン……ガィン……ガィン……
―――
「はぁ……はぁ……」
俺は球体の前で、大の字になって寝転がっていた。水を実体化させ、『偽腕』を使ってどばどばと振りかけるがどうにも疲れが取れない。
もどかしさを抱えたままの訓練は、俺に焦燥感を植え付け。そして自分のスタミナの限界点を見極め損なった結果が御覧の有様である。精神的にも昨日より疲れてる気がするな……
が、しかし、ここで諦める訳にはいかないのだ。なんとかして今日中にこのもどかしさを解消しておかなくては、夜も眠るに眠れないだろうし。
明日になってこの感覚が消えてしまっては取り返しがつかないし。
「さて……もうひと頑張りいきますかね」
空になったペットボトルが自動的に消失するのを見届けると、俺はむくりと起き上がる。
あと少し――そう、本当にあと少しで確実に複合相殺の感覚を掌握できそうなのだ。
このゲームにおいて火力を極める以上、複合相殺くらい剣が何本有っても鼻歌交じりでできないとな……俺はそもそも、複合相殺が“人外の業”といわれている事も頭から抜け落ち、ひたすらに球体に挑み続ける……
そして夜もどっぷりと更けた頃。
俺は自らの周りに五本の剣をまき散らし、『偽腕』を頭上に浮かせたまま、やはり大の字で倒れていた。
しかし、そこにはもうもどかしさはない。ただ確実になにかをやり終えた後の充足感が有るのみだった。
そう。俺は完全に、複合相殺の感覚を掴むことに成功したのだった。
「あ”ぁ~……疲れた。流石に9時間もぶっ続けでやってると軽くヘヴンが見えるな……」
ぐったりと呟き、ふとメニューを展開して所持金を見る。
残金は、15万か。この所モンスター乱獲でかなり金が溜まっていたんだが、大分使ったなぁ。
とりあえず俺は、得た感覚を忘れないように脳に刻み込み、起きあがって剣を握ると全身にも刻み込み。そうしてからふらふらと施設を出て、ギルドホームでログアウトをするのだった。
―――
「はぁぁあ!? 60万!?」
「うん、大体そんくらい」
「はぁぁぁああああ!?」
翌日、クリスマスイブである12月24日金曜日。
昼休みに腹ごなしに散歩でも、と思い立ち上がると玲花もついてきて。そのまま半ば連行されてきた、このクソ寒い中誰もいない中庭のベンチにて。
玲花に昨日なにしていたのかと聞かれたので、パンチングマシーンで遊んでいたと答えて、一緒に使った金額も言った反応が、これである。
というかちらちら雪降ってるんですけど……散歩なんか言いだすんじゃなかった……
そんな俺の気持ちは露知らず、玲花は言葉を続ける。
「いや、頭おかしいでしょう……パンチングマシーンごときに60万使う阿呆がどこにいるんですか……」
「ここに」
「黙らっしゃい!」
んなこと言われてもなぁ。ただ考えも無く使った訳じゃないんだし、いいじゃんこういう使い方する奴が居てもさ。
「俺の金をどう使おうが、俺の勝手だろ?」
「や、まぁそうですけど。紹介した者として、なんだかなぁ……」
「いやいや、玲花には感謝してるって」
「はぁ……いやまぁ、九乃さんですしね……。それはいいです。ただ、もうひとつ聞いてもいいですか?」
「ん? なんだ?」
「私のメール、見ました?」
何それ。見てない。
というか昨日はログアウトしてすぐベッドに倒れ込んだからなぁ。なんか日に日にゲームでの疲労が回復するのが早くなってるが、それでも昨日はかなりお疲れだったし。
風呂にだって朝入って来たくらいだ。
「見てないな」
「自信たっぷりに言い切らないでくださいな。そこはかとなく社会不適応感がでてますから」
「ん、そうか?」
「ですよ……じゃあ、内容を今説明しますね」
「おう」
玲花の言う内容とはつまり、25日に『花鳥風月』でクリスマスオフ会をする、というものだった。
場所はエリザの家。去年もエリザの家だったらしく、いろいろと都合がいいんだとか。まぁ、エリザは一人暮らしだしな。
俺以外の確認はとってあるそうで、あとは俺が参加すれば全員が参加となる訳なんだが……
「俺が行っても、果たしていいのだろうか……」
「? なんでです? 九乃さんも『花鳥風月』の一員じゃないですか」
「いやなんか……そもそも泊まりになるんだろ?」
「まぁ、26日は日曜ですしね。超お泊まり会ですが」
「……俺一人男な訳だが」
「九乃さんなら大丈夫でしょう。皆普通に頷いてましたし」
「……信用されてると取るべきなのか、ただのヘタレと認識されているのか……」
「もち、信用してます! あ、でもその気があるならその……ごにょごにょ」
「あ?」
「なんでもないですよー。あはは……」
まぁ、エリザの家なら近いし。
いざとなれば俺だけ自分の家に帰るってのもありだし、大丈夫そうかな。
なんせ、徒歩10分とかからない訳だし。
「オーケーわかった。じゃあ参加させてもらうよ」
「了解です~。じゃあ明日はそうですね……正午にエリザさん家集合の予定ですから、11:00前には私の家に来ていただけますか? エリザさん家まで案内するので」
「え?」
「……え? あれ? 私変な事言いました?」
いや、変な事も何も……
「エリザの家だったら俺、知ってるぞ?」
「えぇぇ!?」
「てか俺の家から徒歩10分圏内だし」
「はぁぁああ!?」
玲花が大げさに驚く。その勢いでベンチの後ろに有る木に降り積もっていた雪が、どさっと落ちる。
……ってそうか。エリザと遭遇した時の話は、玲花にしてなかったな。
というか、ギルドの誰にも話してないが。
「いや……えぇ……何時の間に知ってたんですか!? ってか徒歩10分とか滅茶苦茶近いじゃないですかっ!? 嘘ぉ……エリザさんずるいですよぉ……」
「ずるいってなんだずるいって」
「私なんかよく考えたら、九乃さんの家すら知らないのに!」
「……あれ? そうだっけ」
「そうですよ!」
あー、そういえばいつも玲花の家に行くばかりで、俺の家に玲花が来たことはなかったな。帰り道もほとんど逆方向だから、玲花がちょっと寄るなんてこともなかったし。
「あぁもうっ……てか九乃さん、ちょっと気付いた事があるんですが」
「なんだ?」
玲花が愕然とした表情で俺に向き直る。
表情豊かで羨ましい限りだねぇ。
「エリザさん家から徒歩10分圏内ってことは、九乃さん家ってもしかして……私の家から、滅茶苦茶遠くないですか?」
「……んー、まぁ遠いかな」
といっても精々歩いて一時間ちょいくらいだが。
「いや、えっと……じゃあ九乃さんもしかして。いままでずっと帰り道私を送ってくれてましたが……」
「まぁ、玲花が一緒に帰ろうというから。友達と一緒に帰るのとか、なんかいいじゃん?」
それで寄り道したり、買い食いしたりとかさ。
青春って感じで。
「……ぐっはぁ……ヤバいです。二重の意味で胸が痛いです」
「ああでも、別に良い運動程度にしか思って無いから。これからも遠慮とかする必要はないぞ?」
「そ、そうですか? いやでも……」
逡巡する玲花。
んー、隠してたつもりはなかったんだが、一言告げておくべきだったかな?
ここは玲花を安心させる必要があるだろう。俺は自分の気持ちに素直になって、そっと玲花の頭に降った白い花弁を払うと、優しく微笑む努力をしながらこう言った。
「むしろお前と帰れなくなると、俺が寂しいんだ」
すると、玲花は目を丸くしてこちらを見上げる。
そしておもむろに目を伏せてその柔らかな栗色の髪で視線を隠すと、手をもぞもぞと動かし、最終的に俺の服の裾をちょんとつまんでこう言ってきた。
「あ、あの、それってつまり……その……あぅ」
「なんだ? 言いたい事があるならはっきり言ってくれて構わないんだが」
「あの……どういう、意味なんですか?」
玲花は顔を真っ赤にさせて、その手を頬に当ててくねくねしている。
が、俺としては「え?」という感じなんだが。散々もったいぶった末にまさか出てくる言葉が、先ほど言葉の意味がわかりません、だとは。
……あー、でも玲花って変な所で遠慮して、変な所で恥ずかしがるからなぁ。
つくづく変な奴である。
そんな玲花に俺は、自信を持ってこう答えてやった。
「だから。友達付き合いは大切だろって話だよ。俺、玲花以外に一緒に帰るような友達もいないし」
スッ――
その瞬間、只でさえ寒い気温が、更に下がった気がした。
玲花の顔を見ると、先ほどの熱はどこへやら、どこか生気の欠けた顔色だ。
ギギギ――とゆっくりこちらに顔を向けてくる様がなんか不気味なんだが……どうしたんだろうか。
そしてその口から、深い深い吐息が漏れ――
「九乃さん……今日の帰りは、なんか奢ってもらいますからね!」
「あ、ごめん今日は無理だわ」
「酷い! 悪魔だ! 悪魔がいるっ!?」
折角のイブなのに~~! と、雪の舞い散る空に吠える玲花がとても印象的だったとさ。