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58 披露宴

 一ヶ月間の饗宴。

 これがかなりキツい。

 入れ代わり立ち代わりどこかの男爵とか伯爵とかがやってきて、挨拶をする。

 人の顔と名前を覚えるのはまあ得意な方だが、それでもひっきりなし。

 食事を取る暇はないので、合間合間に水か、あるいはドロッとした液体を一口飲む。

 これ、祝福の雫(ドロップス)というのだそうだ。かなりなハイカロリーらしい。

 味なんだが、かなり複雑。

 まず見た目に反してトップノートはオレンジの爽やかさで始まる。

 ミドルノートは桃っぽさになにかのクリーム。

 エンドノートには甘みとうっすらとした苦味。なんだろこれ? 味わったことのない味なんでなんとも言えない。セリかキクの苦味。

 まあ、悪くはない、というより、美味い。でもなー客はいいもの食ってるんだよなー。食い物の恨みは深いぞくそー。


 脱線した。で、この流れなんだけど魔族の結婚の儀式はこんな感じなんだと。

 通常は地域の共同体全員が二人に挨拶と祝福を与える。んで、新郎新婦はずーっとその祝福を受け、共同体に新しい家族としての参加を誓う、と。

 合間合間に夫婦となる二人が同じ杯で祝福の雫(ドロップス)を飲み、水を飲む。同じものを食べ、飲むことを象徴しているらしい。こういう文化の違いは実に興味深い。

 ヴァイアブリーは人族中心の国だけれども、ケツモチはヴァーデンだしフィーラはそのヴァーデンの姫だし、ってことで魔族流の結婚式になってる。

 うう……美味いとはいえ、一ヶ月毎日昼飯これか……。


 クラスメートも招待されているから挨拶に来る。最初のトリオは江藤、児島、高木。三人一組三日間の参加なので一日一人のペースで来る。初日は江藤だった。

「栗原。どうだ?」

「どうもこうも。食い物の恨みは深いとしか」

 江藤は祝福の雫(ドロップス)の入った杯を見てニヤリと笑う。

「さすが宮廷料理。美味いぞ。だがな……醤油や味噌が恋しくはあるな」

「余力ができたら生産を考えてみる。問題は麹があるかどうか、だな」

「頼むよ。それにしても、まあなんとも派手な衣装だな」

「まあ、な。普段質素な服なんだが、祝いの正装はこんな感じだよ」

 比翼仕立てのスタンドカラーは変わらず。金糸銀糸のきらびやかな刺繍と、プラチナと白蝶貝(しろちょうがい)のカフリンクス。ボトムスはストレートなタイプで黒とグレーの縞、折り返しなし。コールパンツというやつだな。

「胸ポケットのその模様、なんだ?」

「ふふふ……我が愛妻の手で俺の名前が刺繍してあるのだ」


 கீதா

 வெர்டிகனுர்ஸ்


 ケイタ

 ヴァーデングァース


 と書いてあるらしい。読めん。

「こっちの文字って初めて見るな……栗原は読めるのか?」

「無理。全くわからん。下手に言葉が通じる分厄介だ」

 江藤は苦笑を浮かべる。

「全くだな。ま、のんびりやっていくしかないか」

「どうも一般階級は文字を知らないらしいから、貴族やらないなら大丈夫らしいぞ」

「ほう……俺は一般人だから気楽だな。栗原は頑張れ」

「他人事だと思って……あ、そうだ。式が完全に終わったあと、お前ら全員に話がある。取りまとめておいてくれ」

 これが狙いで最初の三人に江藤と高木を招いたのだ。

「俺が?」

「そう。あと高木にも話は通しておく。今日来てるだろ?」

「なんかややこしいことじゃねえだろうな?」

 腕を組み、俺をまっすぐ見る江藤に、肩をすくめて答える。

「ややこしくはないよ。まあ、結婚の祝いみたいなものだ」

 具体的な話をここでやった場合、漏れたら絶対にトラブルになる。それはフィーラが悲しむ。

 だから内容は伏せて、依頼だけ。

「……フン、どうせまたなにかのいたずらかなんかだろうが……まあいい、男子の方は俺が取りまとめておく」

「助かる」

 江藤は小さくため息をつくとフィーラに向かう。

「はじめまして」

 ピシッとした礼をする江藤。その後親指で後ろにいる俺を指差す。

「あいつは、口は悪いしかなりぶっ飛んだヤツですがね……いい男だってのは私が保証しますよ、お姫様」

「ええ、そうですね。口は悪いし、秘密主義だし、でも、いい人だと私も思います」


 翌日もまあ似たようなもの。フィーラの笑顔を見て、ま、いっかという気にもなってきたものの、でも食い物の恨み……。

 二日目のクラスメートは高木。多分江藤が気を使って児島を後回しにしてくれたのだろう。ヤツはそういうところに気が回る。

「おめでとう、栗原くん」

「ああ、ありがとう」

 寂しげな微笑みを浮かべる高木。少し心が痛む。

「ね、その祝福の雫(ドロップス)って美味しいの?」

「美味いが……とはいえ昼間はこれか水しか飲めない生活なんでな。今はまあまだいいが……飽きたら死ぬかもな」

 苦笑交じりに答えた俺を高木はじっと見つめている。

「……少しもらえない?」

 ため息をつく。

「もらえない。夫婦の絆の飲み物なんだってさ。だから同じ杯から二人で飲むんだと」

「知ってて言ったんだけどなあ」

 頭を抱える。俺の負い目の一つ。いや、そうだったか? 私は恋愛に向かないことを自分で理解している。

 ――ならばなぜ、私はこんなところで。

 そこでフィーラに抱きつかれた。高木は目を丸くしてこっちを見ている。

「あなた、危なかったわよ」

 囁かれた。

「そうか、すまん」

 フィーラはキッと高木を睨む。

「高木さん、私の主人の心を揺さぶるのはやめてください。この人、強いですが、脆いんです」

 俺はフィーラの頭を軽く撫で、フィーラの拘束から抜け出て高木に向き直る。

「すまなかったな。ものすごく俺は不安定でな……こんな力(グァース)があるからより一層危険なんだ」

「不安定?」

「ヒュー・エヴェレットの多世界解釈という考えがある。波動方程式は観測した瞬間に収縮し、世界が分岐する。世界には無数の栗原慶太がおり、それらはお互いの存在を観測することができない」

 高木は首をかしげたまま俺を見ている。フィーラにこの話をした時を思い出し、微笑する。

「ルヴァートの異界召喚(トランスポート)は大量の潜在魔力性能(ポテンシャル)を搾取するためにこの多数の栗原慶太を統合し、巨大な潜在魔力性能(ポテンシャル)タンクとして利用するためにこの世界に呼び込むことが主目的だった」

 高木は絶句している。

「だから私はあなたの知る栗原慶太でもあり、知らない栗原慶太でもある。いや、むしろ知らない栗原慶太のほうが多いかもしれぬな」

「何を、言っているの……?」

「高木の知る栗原慶太は、すでに他の栗原慶太とまじり、溶け、消えてしまった、ということだ……すまんな」

「謝らないで!」

 高木の叫び声に会場が静まり返る。衛兵がこちらに寄ってくる。手で制止。

 張り詰めている空気を破ったのは高木だった。

「ごめん……ね……騒がせてしまって」

 衛兵たちの緊張が解かれる。会場に雑談が戻る。

「ま、それも俺の罪の一部だろう?」

 ウィンクしながら苦笑する。

「栗原くんのそういうとこ、嫌い」

「そりゃ、すまん」

「……バカ」

 高木の頭を軽く撫でる。

「すまないついでに、一つ頼まれてくれるか?」

 高木は頷く。

「江藤くんから聞いてるわ。女子の取りまとめね……何をするの?」

「結婚の祝いだよ」

「ふうん、そう……」

 高木はしばらく俺を見てから、フィーラの方に近寄る。

「おめでとう、っていうのはちょっとおかしいかしらね?」

「そうなのかもしれないわね」

 表面上は微笑みながら穏やかな会話。再びの沈黙。

「あーあ、折り合いつけたつもりだったんだけどなあ……ま、いいわ」

 高木はそう言うと握った右手の甲でフィーラの胸に触れる。

「栗原くん、ああいう子だから大変よ?」

「それがケイタだから、いいんです」

「そ。じゃ、任せるわ。私は降ります」

 高木は軽くトントンとフィーラの胸を叩いてから離れ、深々と一礼し立ち去っていった。


 三日目。児島が来た。

「久しぶりだな、王」

 右手を上げて軽くやってくる。

「王はやめれ」

「だって事実だろ。初代ヴァイアブリー王」

 ため息で返事。

「ま、成り行きでな。お前、やりたいか?」

「俺には無理だな」

 児島はそう言うとニカっと笑う。

「だが、王様とダチってのはなかなかいい。頑張れ慶太」

「他人事だと思って」

 俺も笑顔を返す。

 ふと、児島が真顔になる。

「なあ、慶太。一つだけ聞きたいことがある」

「一つと言わず何個でもどうぞ」

 児島はうつむいて顎を右手で支える。その姿勢のまましばらく黙り込んでいる。

 そして、視線を上げ、俺をまっすぐ見ながら質問を投げつける。

「俺たちの初陣、ヴァリアとレグラスに連れられたあの戦いで、お前は何を思った?」

「敵は、グンダール、そしてルヴァートだ。俺の前に立ちふさがるものは、全て粉砕する」

「それが、たとえクラスメートでも、か?」

「そうだな。あのときはまだ俺はバイプレイヤーでしかなかった。与えられた役割としては姫を守る従者程度だったが、それでもその覚悟は固めた。すでに我らは戻る手段を失い、ここに根を張るしかない……あのときはそう考えていた」

 児島はしばらく俺を見つめてから、肩をすくめて首を振る。

「そういうところ、か」

「あん?」

「加奈子がな、時々言うんだよ。栗原くんはとても怖いって」

「そうか。あとで相田はデコピンだ」

 俺が苦笑交じりに言うと児島は力なく笑う。

「俺も、同意見だ。初戦のお前、投降したときのお前、そして今。時折お前は怖い時がある」

「……まあ、仕方あるまい。だが一つだけ。俺は絶対に仲間を裏切らない」

「ああ、それは信じてるさ。でも、な。あの高校のあの教室でバカ話していたお前は……」

 ため息。自分の右手を見る。

「少なくとも千人のオーダーで俺は人を殺している。潜在魔力性能(ポテンシャル)で、あるいは剣で……いや、素手でも。そういうことだよ」

 握りしめる。俺の手はヴァーデンを護るためにある。

 いや、フィーラを護るためにある。

「そう……か」

「なに、バカ話していた俺もまだ残ってはいるさ。気にするな」

 児島の肩を軽く叩く。

「……すまん」

 児島は小さく言った。


 児島が去ったあと、祝福の雫(ドロップス)を口に含む。爽やかなオレンジの香りを感じるが、心は晴れなかった。

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