53 国境警備
あっというまに2ヶ月経った。
国内の政治システムは安定し始める。グンダールの能力絶対主義を排除し、ヴァーデン様式のシステムに組み換えが俺の予想よりあっさり通ったのは市民にも不満があったからのようだ。
問題だったのは辺境伯たちだが、そのまま統治権を認めて中央への納税義務を減らしたところあっさり従った。
おそらくは王城を簡単に陥落させたという事実が強かったのだろうな、と思う。
大変不本意である。
俺は基本的には平和主義者なんだよ。誰も信じてくれないだろうけど。
とりあえず旧グンダールの名目上の支配者としてケイタヴァーデングァースは今日も細かな裁定を繰り返している。隣にフィーラがいるから叫ばずにすむが、これ、面倒くさい。
ここに来るまでの間にやるべきものが選別されているのであとはサインするだけ。念の為フィーラが内容を読み上げてくれているが、まあ必要のないステップではある。
「オーレイア河の堤防が一部破損、暫定予算執行をお願いします」
サインする。
「ネレイン平原で堤防決壊の結果用水路が事実上停止状態。一時的な解決策として大規模な雨魔術の執行を請願。魔術師団の派遣を要望します」
サインする。
「ネレイン平原にあるカーソン村とリーソン村との間で用水路利用に関する紛争が発生しています。魔術師団に加えて調停委員の派遣を要請します」
サインする。
「アルピナ国境においてアルピナ国境警備隊の越境が確認されました。警備兵の派遣を要請します」
「アルピナ? 本気でか?」
俺の視線にフィーラが少し怯える。
「え、ええ……この書類にはそのように書かれています」
「書類仕事にも飽きたんだよね。ヴァーデンの官僚システムは優秀だからちょっと俺がいなくても回るんじゃないかな?」
フィーラはしばらく考えた後、頷く。
「父にも言われていたので準備はしていました。父の見積もりでは1ヶ月でそうなるかな、と。私は2ヶ月は持つと思ったんですけどね。賭けは私の勝ちです」
「……旦那で賭け事するんじゃありません」
フィーラを抱き寄せて囁く。
「はい、ごめんなさい、あなた。これで許してください」
俺にキスをしてきた。
「うん、許す」
甘いなと思いつつも、可愛くて許してしまう。
「さて、フィーラ。行くぞ」
「はい」
笑顔で頷くフィーラと手をつないで中庭へ移動し、飛び立った。
前線まで割とさっくり。飛行って便利よね。
「ケイタの速度が異常なんです」
フィーラに怒られた。
「普通の飛行の10倍以上速いです」
他の人がいるならそこに合わせるけど、今回はフィーラを抱えてすっ飛んできたからなあ……。
「ちょっと、怖かったです」
涙目だったのでそっと抱き寄せる。国境警備の隊長が目をそらす。
そう、国境警備隊舎の隊長室にノーチェックで通されたんだよね。この身体値って身分証みたいなものになってるかも。
「ごめんね、新婚なんで」
俺の言葉に咳払いの隊長。
「さて、では本題だ。アルピナ国境警備隊の越境だって?」
「はい……作戦規模的には小隊クラス、10人程度だと思われます」
「小規模だな……道に迷って……はありえないか。そんな国境警備はいないよな」
元グンダール所属の警備隊長はため息を漏らす。
「以前の戦争で……ああ、すみません」
俺がその当事者なので少し小さくなる隊長。
「いいよ、続けて」
「その……我々国境警備所属ではない小隊が、なぜかアルピナからヴァーデンへ越境、スリーヴァという村を襲撃したというのがありまして……ヴァーデンからアルピナと我々……とはいえ今は我々もヴァーデン所属ですが、正式に抗議が来た、と」
内心冷や汗ダラダラ。フィーラは不思議そうに俺を見ている。
「アルピナ側の国境警備隊は現在の状況を見てヴァーデンと旧グンダールによる策略だと判断していると思われます」
頭を抱える。俺のせいじゃんか。
「……わかった。どうにかしよう」
最終的にはフェーダとアルピナにここを割譲してしまうつもりではいたんだが……その場合ヴァーデンの立場がどうなるかを含めてちょっと考え直さないといけないかもしれん。
政治の話は嫌なんだけど、立場がそれを許さない、か。
当面の問題の解決としてナメられている以上シメる、ってところからだな。
警備隊長から地図をもらい、しばらく睨む。ここの国境線は森の中。地上戦なら面倒な戦闘が想定される。
「上から行くか……」
「上?」
フィーラが首をかしげて俺の独り言に返事する。
「ああ。上から。それからフィーラ、覚悟しておいてくれ」
「……え?」
「戦場では、俺は変わる。確信している」
それ以上は何も言わず、地図を睨む。アルピナ国境警備隊の隊舎、こっちの隊舎、周囲地形を頭に叩き込む。
「警備隊長、アルピナ国境警備隊との関係はどうだね?」
「ここのところずっと戦争していたわけで、険悪ですよ」
「なるほど。わかった。フィーラ。すまないんだが」
「なんですか?」
「代筆を頼む」
「なんだ、そんなこと」
微笑むフィーラ。俺はベルトポーチに突っ込んでおいた紙とペンを渡す。
「今回の攻撃は越境に対する報復である。当方はこれ以上の紛争は望まない」
俺の言葉を聞いて、隊長は頷いている。これで問題はないだろうとと判断。
フィーラがサラサラと書いた文字を見る。相変わらずよくわからない。ペンを返してもらい、筆記体でKeitaとサインする。
「あら……?」
「ん?」
「この前書いた名前と違いませんか?」
フィーラはよく見ている。
「俺の世界では文字種がいくつかあるんだ。なので同じ名前だよ」
とはいえ筆記体は中学の時にかっこいいなあと思って練習したという暗黒な思い出なヤツなんだけどね。
「なんでサインを変えたんですか?」
「深い意味はないよ。なんとなくだ」
フィーラを抱きかかえて飛行。上から人の気配を探る。固まりをいくつか確認。
事前に聞いていたこちらの国境警備の配置、移動と異なる点が結構ある。旧グンダールも作戦行動通りに動いていないなこれは……。
頭の痛い問題ではあるが、現場判断で臨機応変に活動するのはまあ仕方のないことだ。こちら側の国境付近の気配を探っていく。
森の切れ目で旧グンダールのものではない軍備の者たちを発見。
「フィーラ、飛行維持しているな?」
「はい」
フィーラに防護球と耐魔術障壁を展開。
「これで大丈夫。ちょっと突っ込んでくるから待ってて」
抱きしめていたフィーラを解放。宙に浮いているのを確認し、自らへ防護付与。
【変身】し、ディルファ召喚。
「見つけたぞアルピナ!」
自然落下しながら警告。一斉に上を見る兵士たち。10人いる。
一人の頭上から兜割り。ディルファは難なく両断する。
着地と同時に右に飛び、ディルファを切り上げる。二人目。
森林警備隊らしく軽装だが、それでも難なく切り刻むディルファ。出会ったときよりも吸い上げた魂が増え、より斬れ味が増している。
ディルファを構え直す。8人が俺を取り囲む状況。8人はその後武器を捨て、両手を開いて体の前に突き出す。
「……なんのつもりだ」
「投降する。勝ち目のない戦闘をするつもりはない」
肩章が違う男が言う。おそらく隊長だろう。
「判断が速いな」
「ヴァーデンの黒の戦士の噂は我々国境警備隊にも届いている。一騎当千どころではない、とな」
「ふむ」
ディルファの召喚を解く。隊長がほっと息をつく。後ろの兵士が息を大きく吸い込む気配。
時計回りに後ろへ振り返り左足で踏み切っての飛び込み右突きを水月へ。兵士の右手は後腰に回っていて姿勢がやや前傾だったところをこの打撃で更に顎が落ちる。反動で戻ってきた手を二本貫手にし右足を着くと同時に上へ跳ね上げ喉へ撃ち抜く。刺さった。引き抜く。
返り血を浴びないようにサイドステップから裏へ回り込む。手を振り、指先についた血を振り落とす。
兵士は自らの喉を左手で押さえ、後腰に回していた右手で水月を押さえて倒れ込む。ベルトに差し込まれていた投げナイフ。外れたら隊長らしきに当たるかもしれないのにいい度胸だ。
ゆっくりさっきまで交渉していた隊長らしき男を見る。顔色が白くなっている。
「なるほど。全滅する覚悟はあるということだな。武装を拾うがいい。そこから戦闘開始だ」
青白い顔のまま左右に首を振る隊長。
「さあ、拾え。不意打ちなど卑怯な手を使わず武人の覚悟を持って私と対峙しろ。もしかしたら助かるかもしれないぞ」
隊長が膝立ちになる。隊員も一斉に膝立ちへ。
「アルピナ軍人には誇りはない、と。なるほど、マルク・アルピノフがあのように育つわけだ」
挑発意図でマルクの名前を出したのだが、敵意は上がらず逆に嫌悪感が漂う。現場に嫌われている傍系の王族ってところか。これはある意味使えるかもしれない。
ベルトポーチから手紙を出す。
「持っていけ」
膝立ちの隊長へ差し出す。
「握りつぶしても構わん。そうなればアルピナ国境警備隊はこの結果から我々と正面から構えることになるだろう。マルクには貸しがある。その取り立てがてら、お前らを潰すのは簡単だからな」
震える手で俺から手紙を受け取る隊長。
「中を見ても構わん。封蝋が破られた時点で疑いは増え、戦火は拡大する。それは私の望むところではないが、掛かる火の粉は振り払うだけだ」
私の言葉に隊長は首を左右に大きく振り、手紙を捧げ持って固まる。
「私の用件は以上だ。じゃあな」
飛行でまっすぐ飛び上がり、フィーラのもとへ戻る。
「あなた……あの……」
フィーラの言葉を遮る。
「今の私はケイタヴァーデングァース。全ての魔族の楯であり切っ先。文句は後で聞く。警備隊へ帰るぞ」