51 決着
ルヴァートの発言をしばらく咀嚼する。
「私は、私だ。まとめられた? 馬鹿らしい」
「500年ほど前の魔導師ヴァレン・ソリンの記録にある異界召喚の原型には分岐世界の壁を壊すための理論と実践方法が記されていた。誰も信じていなかったがね。試そうにも潜在魔力性能の消費が高すぎる上、方法が問題だ」
「なるほど、お前ほどの能力者が現れなければ無理だった、と」
ルヴァートはここで首を振る。
「私程度ではとてもとても……ところで、フィオドラ・パシュヴァを知っているか?」
「ああ。アルピナの魔法学院教授だな。アルマ暴走事件で死んでいる」
「彼女の発明品の中に魔力充填機と魔素充填機がある。それを利用した。戦場に巨大な二つを持ち込み、吸い上げる。人間は使い切れない潜在魔力性能を空間へ放出する。戦場は質の良い潜在魔力性能農場だったよ。そして集まった魔素も利用して儀式を巨大化した」
「まて、実践……? かつての記録の人間はお前以上だったというのか?」
私の疑問にルヴァートは口の端だけの微笑を浮かべる。
「ヴァレンは思いついた理論を確かめるために潜在魔力性能をかき集める方法も考案し実行していた。それも記録されていたが……私には魔力充填機があるから必要はなかったが、念の為小さな実験は行ってみた。しかし、人間というのはつくづく業が深い」
再び水を飲むルヴァート。
「潜在魔力性能は人間が生み出すもの。ならばその人間から取り出せばよい。無理やり取り出された人間の行く末など気にしなければ、な」
「まだ疑問が残っている。まとめられた私、という件だ」
「ああ、それか……なるほど。少し長くなるが、いいかね?」
私が頷くと、ルヴァートは水で少し口を濡らし、語り始める。
そもそも、ヴァレンの異界召喚の目的は異界の知恵を得るためのものだった。理論は完璧だったが、実際はそううまくいかないものだ。
異界との壁を打ち破るための潜在魔力性能に100人ほどの犠牲を要求した。そして現れた異界人ランベルトはヴァーデンへと亡命した。ランベルトヴァーデングァースとなってヴァレンの国、エシュギルを瓦解させた。歴史は繰り返すものだな。
ランベルトの身体値はちょうどお前のようにすべての値について非公開だったと記録されている。おそらくは強すぎて神の恩賜の埒外にいたのだろう。
そもそも巨大になりすぎて組織が腐りかけていたところへグァースの侵攻だ。あっという間にエシュギルは沈み、有力な地方豪族がそれぞれ建国を宣言した。リッザ、アルピナ、フェーダ、そしてグンダールの前身、フィエルとなった。
フィエルは元エシュギルの王都があったがために苛烈に破壊され、結果アルピナに侵攻され属領となった。
ヴァレンはこのエシュギル瓦解のときに死んでいるらしい。ここで記録がぱったりと途絶える。
さて、このランベルトだがね、どうもヴァレンの魔術によって分岐世界の数十人分をひとまとめにしてしまったようなのだよ。世界に対する歪みが分岐を超えさせるわけだが、この歪みの余波が周囲の分岐を巻き込み、取り込んでしまうようなのでね。むしろそれだけのエネルギーがないと向こうからこっちに飛べないのかもしれないな。
このヴァレンの魔術をベースに魔力充填機と魔素充填機を利用するように組み替えたのが私の異界召喚なわけだが、数年単位で充填しないと使えない代物でね。それではなかなかグンダールの支配を強化するには使いにくい。常に戦争をし続けるわけにもいかないからね。
そこでだ、ヴァレンの異界召喚で使っていた、人からの潜在魔力性能奪取、これがいいだろうと。すべてを取り出さずに人形としてコントロールする。
何度も異界召喚を行うためには、大量の潜在魔力性能がいる。そのためには分岐世界から出来る限りかき集め、巨大な潜在魔力性能タンクとしての人間を作っておいたほうが有利だ。
最初のターゲットは若い人間がいい――こうして異界の勇者クリハラケイタとその御一行がグンダールへと呼び出された、というわけだ。
目論見通り、神の恩賜の外側にいるクリハラケイタができた。
計測でそれを確認し、地下牢送り。【無気力】にして潜在魔力性能タンクとして活躍の予定だったんだがね。魔軍の長とどうやって逃げ出したのか、未だにわからん。
ルヴァートがここで水を飲んで一息つく。
「簡単だ。私に【無気力】が効かなかった。後は大量の潜在魔力性能をぶっ放しながら逃げただけだよ」
ルヴァートは私の答えに右眉を吊り上げた。
「ほう、それは興味深い。【無気力】を打ち破るとは。神すら喰らうと言われるアリアドネの糸ぞ」
「神、ねえ……どうもその神とその信仰について疑問に思っている。神職もいない、宗教設備もない。なのに神を信じるその思考がまったく理解できない」
「神職というのはなんだね?」
「神の意思の代行者。信仰を集め、神の教えを説き、信者に心の平穏を与える代わりに経済的な見返りを得るもの」
ルヴァートは私の説明を聞いて笑う。
「願えば叶うのだから我々のそばに神は常にいる。神の意思? なかなか愉快な考えだ」
「さて……常にいるかどうかは疑問だ。少なくともこの世界に関わる神々は、クソッタレだ」
吐き捨てるように私が言うとルヴァートは面白いものを見るかのような表情でくっくっと笑う。
「お前たちを見ていると神を信じているようには見えなかったが、お前は違うのだな。そのとおり。神なんてのはクソッタレもいいところだ。不平等で、気まぐれで、悪戯好き。くだらない存在」
「さて、話はこんなところか?」
私の言葉にルヴァートは頷く。
「ああ、グァースよ、一つだけ質問をしたい。この後、グンダールはどうなるんだ?」
「消滅だな」
「そうか。それもまた一興」
椅子から立ち上がり、ディルファを構える。
「ところでルヴァート。お前、即死出来ると思っていたのか?」
「まあ、思ってはいない」
「それは良かった」
ああ言っていた割にルヴァートの覚悟は最初の爆散・減弱・範囲縮小で吹き飛んだ。泣きわめき、赦しを請うた。
キャンキャンと響く声に苛立ち、左膝から下を消し飛ばしたときにショックであっさり逝ってしまった。
失敗した。瞬間移動でヴァーデンへ戻る。
夜の中庭に出現する。【変身】を解く。
自分の手のひらを見る。血に汚れた手。
「ケイタ! おかえりなさい」
「ああ、ただいま」
最愛の人を見ることもなく手のひらを見つめ、その後握りしめる。
「……ケイタ?」
フィーラを見て、微笑む。
「なんでもないよ。疲れたのと汚れたのでちょっとひとっ風呂行ってくるよ」
軽いトーンで返答できた。そうだ。そうでなくてはならない。
「え、じゃあ、私も」
「今夜は一人にしてくれないか」
なにか言いたげなフィーラ。
「そう……ですか……」
「すまない。色々とあってな。自分の中で整理をつけてから話をしたい。大丈夫だ。情報が多すぎて咀嚼しきれていないだけだから」
なんとか口角を上げた。
大浴場に一人。丁寧に体を洗いながら考える。
重ね合わせの俺。シュレーディンガーの猫。波動関数の収縮は世界の分岐を意味する。観測者基準の理論。
一つに統合した? ならばその経験と経験に基づく人格はどうなっている?
……まて、何故俺はエヴェレットの名を知っている? どこで見た?
そうだ、大学の……大学?
俺は至高館高校の2年生……だったはずだ。
体についている泡を流す。冷たいのか熱いのか、曖昧でわからなくなる。
高木と付き合い、別れ、いやそんなことはない。恋愛なんて俺には向かない。
頭がくらくらしてくる。俺は、僕で、私だ。
身体の感覚が遠のき、ふらつく。床にうつ伏せになる。身体は溶けていく。
「ケイタ!」
フィーラの声が浴場に響く。意識が引き戻される。
「あん?」
間抜けな返事をしてしまった。ゆっくり起き上がり、あぐらをかく。
「あら、服着たままお風呂って斬新ですわね、お嬢様」
「そんなことどうでもいい! あなたはだれ? 私はわかりますか?」
「栗原慶太、あるいはケイタヴァーデングァース。あなたはフィーラルテリアヴァーデン、最愛の人」
抱きつかれた。
「濡れますよ?」
「ばか! ばか! ばか‼ 心配したんだから!」
泣かれた。辛い。
「ほら、もう大丈夫だから、ね。とりあえず風呂入らせて」
呑気に言うとフィーラは離れて俺を涙目のまま睨みつける。
「わかりました。準備してきます」
「……準備?」
スタスタと出ていくフィーラを目の端で追いかける。ゆっくりと立ち上がる。少しクラっときたが、まあ大丈夫だろう。
湯船に浸かり、手足を伸ばす。天井を眺める。
「どうして待てないんですか!」
怒られた。理不尽だ。
「来るとは思っていなかったから、かな」
伸びている俺の左隣にフィーラが座る。薄ぼんやりとした明かりに照らされている彼女は美しく、そして儚げに見える。しばらく無言で彼女の横顔を見ていた。ざわついていた心が落ち着いていく気がする。
【解析】を自分に向けて実行。
〈解析結果〉―通知
世界の歪みの一つが矯正されたことに謝意を。残りの歪みは修正できぬが、それは世界の柔軟性が吸収するだろう。
新たな神の誕生を祝福する。
「ふざけるな!」
俺の声にフィーラがびくっとなった。
「……ああ、すまん、悪かった。フィーラのことじゃない」
「あなた……」
心配そうな表情で俺の肩に手を置くフィーラ。
「……その呼び方、くすぐったいな。じつにいいけど、くすぐったい」
微笑みながら言う。フィーラは目を見開いた後、少し怒った表情。
「茶化さないでください、んもう!」
「ごめんごめん、そんなつもりはなかった。ただ、こう、なんというか……家族っていうものを久しぶりに実感してね。いいものなんだなあ」
言葉は表面を滑り、偽り、本心を覆い隠す盾となるもの。
新たな神。
多分俺のことだろう。
確信は持てていないが。だから、フィーラにも告げなかった。本当にそうか?
確信があったとして、伝えただろうか?