47 散歩と宣言
ヴァーデンにも戸籍管理というのは一応ある。結婚し、子が生まれると国王……ガルから一時金と毛布などの赤子用品が付与される。
富国のための政策というやつだな。まあそれはいい。
問題は離婚というシステムだ。そもそも魔族はその寿命の長さから恋愛期間も長い。結婚するにはお互いをよく知ってからというのが多く離婚がほぼない、とフィーラさんは言う。
「一応、システムとしてはありますよ。使う人ほとんどいませんけど」
苦笑いするフィーラさんを初めて見た。
寡婦あるいは寡夫の補助は死別の場合に適用され、離別の場合は適用されない。強固な家族関係をベースにしているということなのだろう。
暫く考える時間が欲しい。
「フィーラさん、しばらく自室に籠もって考え事をする」
「え?」
「どうあっても彼らは不幸にしかならない。だがその不幸を少しでも軽くする方法を考えてやらないとな」
「その必要はないぞ」
ガルがいつの間にか戻ってきていた。
「まあ、こういうのは私に任せておけばいい。どうにかする」
ガルが腕を組んで頷きながら言う。
「そうだね。任せます」
「で、だ。フィーラとデートにでも行ってこい」
「……は?」
ものすごい間抜けな返事をしてしまった。
「王になる前はルテリアと割と城下町でデートしてたんだよ。ヴァーデンはそのあたりかなり緩いんでな」
フィーラさんを見る。暗い顔色……赤面モードか……。
「余り派手に遊ばないなら代金はツケで大丈夫だ」
「ツケって……」
「王都に人族はケイタだけ。そして今の英雄は人族。ツケは城に来るようになってるから安心しろ」
「いやその多少はお小遣いください……」
情けない声を上げるとフィーラさんがニコニコと近寄ってきた。
「大丈夫ですよケイタさん、全部出しますから」
「……ヒモ……」
「ヒモ?」
「いや、なんでもないです、はい」
フィーラさんに手を取られ城を出ることになりました。複雑。
そう言えば城下町をうろついたことはなかったな。凱旋で入ってきたときと、出陣で出た時。大通りを真っ直ぐ移動していただけだった。
ヴァーデン王都は十万人規模の都市、らしい。意外と大きい。人口の全ては魔族で構成されていて、城塞都市の中に農地もあるし地下水脈を利用した水源もある。都市内ですべて賄える、とフィーラさんの説明。
「一応、籠城できるようになっているんですよ。歴史上籠城戦したことはないんですけど」
腕を組んでゆったり歩く。通行人はフィーラさんに見とれたあと、俺を見て、ちょっとびっくりして、その後背筋を伸ばす。人族はグァース、というのは周知の事実で、そしてグァースの隣りにいる美人は姫様、と気がつくわけだ。
「ね、ケイタさん」
「ん?」
「少し、喉が乾きました。あそこに喫茶室があります」
指差す先にはなんか看板の出ている店。商売として喫茶室が成立するのに宗教家がいない世界はやはり気持ち悪い。
「どうしました?」
俺の顔を見上げるフィーラさん。微笑みを返す。
「いや、なんでもないよ。じゃあ行きましょうか」
喫茶室はお茶と軽食を提供しているようだ。食べる気はないのでお茶をもらうことにする。ヴァーデンのお茶は半発酵茶で、独特の甘みがある。
フィーラさんも同じお茶。小さなテーブルに二人で向かい合って座る。
じっと彼女を見つめていると、もじもじして俯いてしまった。
「ケイタさん、そんなにじっと見られると恥ずかしいです」
「可愛いなーって見てたら怒られたでござる」
ふるふるしてる。可愛い。しばらく見てたら、不意に顔をあげて、俺をじっと見つめるフィーラさん。
見つめ返す。
30秒ほど見つめていたら、やはり俯いてしまった。
「ケイタさん、ズルいです」
「ズルい?」
「いつも冷静で、なんか一人で舞い上がってバカみたいじゃないですか、私」
フィーラさんの頬にそっと右手を添わせる。
「冷静に見えるんだ。そっか」
柔らかく、滑らかな肌。小さな頬を感じ取りながら返す。
「でもね、フィーラさん。ここで俺取り乱したらそれはそれでフィーラさんパニックになるんじゃ?」
微笑みながら聞いてみる。
「……ばか」
可愛い人の頬をそっと撫でながら可愛い声を聞く。幸せだと、思った。
「一つ、聞きたいことがあります」
フィーラさんが背筋をピンと伸ばして言う。俺も姿勢を正す。
「なんでしょう?」
「私で、よかったんですか?」
無言でデコピン食らわす。
「いったーーーい」
額を抱えて涙目フィーラさん。
「そりゃ痛いようにやりましたからね」
ため息ついて言う。
「あのね、俺が同じこと言ったら激怒したでしょ?」
「……はい、そうです。ごめんなさい」
「わかればよろし」
額を撫でてやる。涙目で上目遣いのフィーラさんを見て思わず笑みがこぼれてしまったようだ。
「ひどいです、ケイタさん」
「ごめんごめん、フィーラさんが可愛くて、つい」
頭をポンポンとしてから、茶を一口飲む。
ふと考える。俺はこれからどうすればいいんだろう。
明らかにおかしな力。矜持を持ちながらも軍事的には弱者であり、周囲の国への輸出の見返りとして侵略されずにいたヴァーデンという国は俺一人のせいでバランスが壊れてしまっている。
フェーダ相手にことを構えるならエシュリアとやり合うことになる。できれば避けたい。
リッザもファーレンとやり合うことになる。あの爺さんはいい人だ。これも避けたい。
アルピナは最悪敵対して潰してもいい。俺を罠にはめたからな。ゲラム伯爵は生き延びるだろう。王都の連中はマルクのとばっちりで死ぬかもしれないが、あれを放置していた責任を……。
ここでテーブルの上に置いていた手の上にフィーラさんが手を重ねてきた。
「ん?」
「ケイタさん、ちょっと怖かったですよ?」
「ああ、ありがとう。考え事をしていた。さっきはああ言ったけども、それでも自分でよかったのか、ってのは俺のほうがより、な……って」
以前ぶっ倒れたときは分かれていたが、今は断絶がないまま思考が曲がっていく。いや曲がっているのではないのかもしれない。もともと壊れていて、ぶっ倒れたときの記憶を取り戻して混ざりあうようになったのかもしれない。
ぐだぐだと考えていたところで手をそっと握られた。
「大丈夫。私がいます」
「ありがとう。ところで、さ」
「はい?」
「だいぶ注目集めちゃってるね」
喫茶室内にはテーブルは9あり、全部埋まっている。すべてのテーブルは二人以上で利用されており、普通は会話を楽しむ……よね、たぶん。それなのに室内は静まり返り、そして視線が俺たちに刺さっている。
バックグラウンドを知らずに表面だけ会話を聞いているとだいぶすれ違いの人のようにも見える。国家の中心人物が普通に王都を歩くようなそんなおおらかな国でも不安になるよね。
民に不安を与える英雄ってのはダメだよなあ。
立ちあがり、咳払い。フィーラさんの脇に移動して、自分の左胸に右手を添える。不思議そうな表情で見上げるフィーラさんを見て、微笑む。
「不安になるのは当たり前です。でも今の戦争が終われば、そしてグァースの名にかけて終わらせます。そうしたら、家族になるんですから。私を信じてください」
右手を手のひらを上にして差し出す。その上にフィーラさんのかわいい右手がちょん、と乗った。フィーラさんの手の甲に口づけする。
「あなたを幸せにします。この世界にいる神は俺に祝福を与えてくれています。その神に誓います」
室内にいた客が全員立ち上がり、拍手。え、こっちでもスタンディングオベーションってやるの?
困惑していたら、俯いていたフィーラさんがこっちを見上げる。涙目。ああ、その表情弱い。
フィーラさん、立ち上がってきてそして抱きつかれた。
「はい! 私もあなたを幸せにします」
しばらくもみくちゃにされ祝福され更には「お代は結構です」と送り出された。
店の前には人だかり。
店を出るとぱっと分かれて道ができた。十戒みたいだなーとぼーっと思っていたら祝福の声が降ってきた。
ああ、そうか。婚約を発表したことになるから、そらそうよね。
店から抜け出した人が周りに広めて、そしてこうなった、と。
フィーラさんと腕を組んでその道を歩く。これはもう散歩は無理だな、と城へ戻ることにした。