45 揺らぐ魂
一仕事終えた満足感からしばらく座って天を仰いでいた。
立ち上がり、部屋を出る。風呂入ろう。
大浴場。甘美な響きだ。脱衣所でさっさと服を脱いで中に入る。ゴシゴシと体を洗っていると誰かが入ってくる音。
「ケイタさーん、いますかー?」
フィーラさんの声が響く。
「いますよーっていうかここにいることよくわかりましたねー」
のんびり返事していると、奥から洗い場へやってきたフィーラさん。薄明かりの中、きれいな体が浮かび上がってくる。慌てて視線を戻して体を洗う。
「ふふっ」
フィーラさんはそんな俺を見て笑い、隣りに座って体を洗い始める。視界の隅に入ってくるけども見ないようにして体を洗う。
体を洗い流した後、湯船に浸かる。目を閉じて思索する。
ルヴァートをどうやって引きずり出すか。むしろ潜入して殺したほうがいいのかもしれない。
クラスメートたちをどうするのか。ルヴァートを殺す前にこちらに引き込まないと、混乱の中死ぬことになるだろう。それは少し夢見が悪い。
アルフォンス・フェーダの考えていることはだいたい分かるが、領土に関して野心はない。面倒な話ではあるが外交ルートを通じて誤解を解く必要があるだろう。
マルク・アルピノフ。次に会ったら貸し付けていた分清算してもらう。
「ケイタさん?」
湯船に入ってきて俺に寄り添って座る最愛の人に声を掛けられた。
「なぁに?」
「すこし、怖いです」
横から抱きつかれた。可憐な膨らみが当たってドキドキする。
「その……ですね、当たっているのですけども?」
俺の問いかけに悪戯含みの微笑が戻ってくる。耳元で囁かれる。
「よかった、ケイタさんになった」
「へ?」
頬ずりされる。跳ね上がる鼓動。
「フィーラさん、あのですね、そうされますと、その暴れん棒がですね」
「んー」
目を閉じて顎を少し上げ迫ってくるフィーラさん。軽くキスをして離れる。
「まだまだ結婚しているわけでもないし、これくらいで」
慌てて風呂から上がり脱衣所に逃げる。
「もーっ!」
後ろからちょっと怒っているかわいい人の声が聞こえた。
風呂から上がってさっぱりしたところで、まともに飯を食っていなかったことを思い出し、兵士用食堂に顔を出す。
「お、ケイタヴァーデングァース、久しぶりだね」
肝っ玉かーさん料理長が俺を見て嬉しそうに言う。
「ええ、いろいろ忙しくなってきまして。本当は私みたいなのは暇なほうがいいんですけどねえ」
「そうなのかい?」
「英雄が暇ってことは平和ってことなんで」
「ああ、なるほどね」
かーさんは頷きながら器によそってくれている。今日のメニューは薄切り肉に衣をつけて揚げ焼きにしたカツレツ、山盛りマッシュポテト、青菜ときのこのスープ。
「久しぶりですね」
見知った兵士たちいるところのテーブルにつくとそう声を掛けられた。
「そうだねえ……ところで最近仕事どう?」
ここでカツレツを一口放り込む。美味い。
「そうですね、ローテーションが緩くなったのでだいぶ平和が近づいてきている感覚はあります」
「そっか……平和なのがいいよね」
マッシュポテトを食べる。やはり美味い。
俺がしみじみ言うと兵士たちが顔を見合わせる。
「あの……グァース?」
「はい?」
「平和がいい、んですか? 軍神なのに?」
「君たち……私をなんだと思っているんだ……」
あー、まあグァースだと思っているんだよね。なんかこのグァースって役職、色んな意味があるみたいで会話をするたびイメージが流れ込んでくるんだよねえ。
今回は軍神、か。
「んー、私はヴァーデンが平和であることが望みなんだ。じゃないとなかなかこう……その、な、わかるだろ?」
兵士たちはまた顔を見合わせて、そして俺の方を見る。ただし今度はニヤニヤしている。
「さて……? なんでございましょうか?」
「……お前ら……」
「私共一介の兵士には皆目見当もつかないのですが……」
溜め息をついて覚悟を決めてから、奴らに娯楽を与えるためにも答える。
「フィーラルテリアヴァーデンとの結婚がままならない、だよ! 言わせるなよもう!」
兵士たちは歓声をあげて大喜び。なんかこう彼らのおもちゃになっているような気がしなくもないが、まあいいか。
夜。約束通りフィーラさんと城内お散歩。庭に置かれたベンチに座る。右隣にフィーラさんがちょこん、と座る。
「ねえ、ケイタさん。一つ聞いていいですか?」
「一つと言わず、何個でも」
「今、幸せですか?」
「ええ、とても」
即答。
「そう」
フィーラさんは小さく返事すると俺の右手を両手で包み込む。小さな可愛い手。
「私はいつも不安になります。あなたが無理しているんじゃないかって」
「そうだなあ……俺は英雄の器ではないのはわかっているんだけど、とはいえ今回の遠征で世界にすでに組み込まれてしまったってのを嫌ってほど認識したんで、まあなんとか折り合いつけるしかないかなーって思ってる。たまに少し苦しいときはあるけどね」
フィーラさんの方を向いてウィンク。
「その苦しいときも、隣にこんな素敵な人が居て微笑んでもらえるってだけでなんとかなる。そういうものです」
潤んだ目で見られてた。上を向いて顎を掻く。人には誠実に。親友に言われた言葉が心を打つ。
「そうだな……まだ引き返せるタイミングだよな」
呟いた後視線をフィーラさんに戻す。首を傾げて俺を見ている可愛い人。
「引き返せる?」
「そう。あなたがまだ引き返せる」
「私が、なんで?」
愛しい人へ、告げなければならない秘密がいくつかある。それを黙っているのは不誠実だ。
「俺は、自分がすでに人間ではない、と思ってる」
「……え?」
「こっちに引っ張り込まれたときに、俺は俺だけれども俺ではない生き物、になっている」
何を言っているの? という顔で俺を見るフィーラさん。
「身体値は、知っているよね?」
「はい。私は測定していないので見えませんけども」
「その方がいいと思うよ」
深呼吸一つ。
「以前、μが102.119δが5.199ってなんだと思う?って聞いたことがあるよね」
「はい……その……暴れん棒の……」
赤くなって俯くフィーラさん。
「そっちは、まあいいんだけど……その値の意味がわかったんだ」
「そうなんですか?」
「μは、その能力についての全知性生命体の平均値。δは標準偏差」
しばらく考えるフィーラさん。
「あの……標準偏差、ってなんですか?」
「平均値、というのは分かるんだね。じゃあその平均に対する値のバラツキだと思えばいい。0ならみんな同じ値」
しばらく考えてこくん、と頷くフィーラさん。
「で、だ。身体値はこの平均と標準偏差を平均が50、標準偏差が10となるように規格化した場合の値、なんだ」
「……えと、わかりません……」
「正規分布、もわからないよね……平均に集中するような数値の場合、ベル型の度数分布を示す、というものなんだけど……まあざっくりいうと50が普通の人たちの平均の値、そこから10離れた40以下あるいは60以上の値は全体の15.9%、30以下あるいは70以上は2.2%、20以下あるいは80以上になると0.13%……とどんどん少なくなる」
「そうなんですか?」
「そうなんですよ。そしてあなたの父上、ガルはその能力の殆どが70以上、ものによっては80を超えるのでかなり上の方にいる人になる」
俺の言葉にフィーラさんはちょっと嬉しそうに微笑んだ。父親を褒められて喜ぶ娘、っていい子だよね。
「で、問題の俺、なんだけど……以前計算してみたら溜め息しか出ない値だったんだよ」
計算した結果はこんな値だった。さすがに教えられない。
身体能力
筋力:166318
瞬発:191677
持久:164995
精度:138214
抵抗:450304
思考:74
精神:103
「溜め息?」
「そう。化け物で片付けてはいけない気がする。なんでこんな事になっているのか、わからない」
俺は目を閉じて首を振る。ずっと俺の手を包んでいたフィーラさん、きゅっと握ってくる。
「私は、あなたを信じています。だから、きっと、大丈夫」
何が大丈夫なのかはわからないけれども、でも俺もなぜか大丈夫だと思えた。
「そっか、大丈夫か。そうだね、大丈夫だ」
フィーラさんを見ながら微笑む。
そっと口づけされた。
「私が出来ることはあまりないけど、でも……」
左人差し指でフィーラさんの口をそっと押さえる。
「いいえ。あなたは俺を救ってくれている。クリハラケイタで居られる時間を作ってくれる」
実際にはそれだけじゃない。俺は俺であるという確信が持てないタイミングがある。思考、記憶に断絶はない。行動に対する後悔はない、とは言わないがあの瞬間では選択として間違っているとは思わない。
もともと倫理観は壊れている自覚はある。異世界にきてより一層その破壊が進んだ気もする。とはいえこのような性格に育ててくれた両親には感謝しておこう。おかげで今、あまり悩まずに済んでいる。
壊れた倫理観は、戦場に立つ高揚感、恐怖よりも愉悦が勝つあの感覚を肯定する。殺らなければ殺られる。その単純さは美しい。だからこそ力あるものの一方的な虐殺劇を冷徹に見ることが出来る。そう。私は、私の意思で、私の最愛の人を護るために、敵を、殺す。
敵はルヴァート。私の人生を弄んだ代金はなかなかに高いぞ。覚悟しろ。
「ケイタさん! ケイタさん‼」
突然フィーラさんに抱きつかれた。
「んあ?」
間抜けな返事をしてしまった。恥ずかしい。
「よかった……ケイタさん、すこし怖かったです」
「そっか……」
抱きつかれたフィーラさんの頭をそっと撫でる。
「多分、俺は、俺ではない時間があると思っている。今少しそうなった。いや、俺は俺なんだけど、うーん……うまく言えないなあ。問題が解決したら多分そうならなくなると思うんだよね」
不思議そうな顔で俺を見上げるフィーラさんを見ながら続ける。
「挙式まで数ヶ月あるよね。それまでの間になんとか片付けるよ」
「……何を、するんですか?」
「生存しているクラスメートを全員救い出し、ルヴァートを殺す。それで俺の問題はほぼなくなるはず」
「どうしても、必要なんですか?」
「どうしても。ルヴァートが生きている限り、異界召喚で不幸な魔法戦士隊が生まれることになる。そんな不幸な人間は俺たちで最後にすべきなんだ」
最愛の人を抱きしめながら言う。ただ、この思考、これは俺のもの、なのだろうか?