27 揺らされる心
酷な選択を強いたとは思う。
国民性から考えて戦争継続を選択するのは辛かろう。
娘の婚姻が伸びる。それも辛かろう。
だが、その一時の辛さに目をつぶり停戦を受け入れるのなら、俺はある覚悟を持って行動を起こす必要が出るだろう。
いずれにせよ、フィーラさんをまた泣かす、な。
ライティングデスクに向かい、溜め息をつく。
俺はこの世界の文字がかけないから手紙を書くことができない。すべての心情を言葉として発する必要がある。それは苦しいことだ。
紙とペン。スラスラと書く自分の名前。栗原慶太。その下にフィーラルテリアヴァーデン、と書く。意味のないいたずら書きのようなもの。
自分の名前に二重線を引き、ケイタヴァーデングァースと書き直す。
ペンを投げ捨て、頭を抱える。
久しぶりに自分に対し【解析】。
〈解析結果〉―情報公開を継続
もう少し頻度を上げて解析を実行してもらいたい。こちらからの情報開示速度に支障が発生する。
身体能力において相対評価で100を超える能力に対し多段リミッターを設定してある。初期状態ではおおよそ70程度になるようにリミッターは調整してある。一段階外れると相対評価が5上がる。意志の力で外す場合、一度に5段階を超えるとペナルティが発生する。複数回に分けてペナルティなしに外すことはできるが解除時の時間コストは増大する。よって作戦行動に応じリミッター解除タイミングと段階を検討して行うこと。ペナルティは殆どの場合身体的苦痛として発生し、同時に外した段階が多いほど重篤な症状を招く。注意せよ。
また、現時点においてリミッター解除状態は長時間維持できない。
こちらの都合で自動的に外す場合がある。この場合にはペナルティは発生せず、状況が改善するまで解除状態のまま置かれる。これはこ―――介入。これ以上の情報開示を停止する。
……神は俺で遊んでいるようにしか思えない。もし、神という存在がいるのならば、だが。
リミッターについては自分の実感どおり。そして外す感覚も。それを今更後追いで言われてもな、という気がする。
介入か。さっき神と言ったが、神々が正しいようだ。複数のそういった力あるものがいるということか。そしてそいつらは俺を強化し、抑制し、おもちゃにしている。
ノックの音が思考を中断させる。ドアへ向かう。
「はい」
「フィーラルテリアヴァーデンです」
ドアを開け、フィーラさんを招き入れる。フィーラさんはトレイにスープとパンを載せて持ってきていた。
「夕食の途中だったから、おなか空いたんじゃないかなと思って」
「ありがとう」
机がライティングデスクくらいしかないのでそこへ移動。トレイを置いた後、書いてあるメモをフィーラさんが見る。
「なんて書いてあるんですか?」
「意味のない落書き……ですよ」
「でも、ここ、同じ字、ですよね?」
ヴァーデンのところをなぞる。
「……そこはフィーラさんの名前、フィーラルテリアヴァーデン、そっちは俺。ケイタヴァーデングァース」
「この二重線……もしかして……」
この人の察しの良さはどこから来るのだろう。
「栗原慶太」
「ケイタさん、あの……」
「本当に意味のない落書き、ですよ」
フィーラさんが俺の首に手を回し、耳元で呟く。
「あなたは、いつもそう。なんでもないようなふりをしているけど、私の前では無理をしないで」
「すみません。甘え方ってよくわからないんです」
「泣きたい時には泣けばいいの」
「泣き方は忘れました」
「……そう。じゃあ、私を抱きしめて」
そっと腰に手を回す。
「大好きよ、ケイタさん」
「俺もですよ、フィーラさん」
そっとキス。そしてまた耳元で囁かれる。
「ケイタさん、あのね……」
「なんでしょう?」
俺の耳たぶをそっと唇で甘噛みするフィーラさん。
「そういうことは慰めの意味でやってはだめですよ、フィーラさん」
「……」
「あなたは、俺を優しい誠実な人だと言う。よほどフィーラさんのほうが優しい人、ですよ。俺は決して優しい人間ではない。誠実であれ、とは思うけども、果たして誠実であるかどうかは疑問。そういう人間です」
耳を撫でられ、軽く摘まれる。
「これ以上続けるなら……」
「慰めでこんなことをする人間だと思う?」
「思いませんが、私にはまだ資格がない」
「誰が決めたの?」
「自分で決めました。ルヴァートを殺す。それで俺は、ケイタになる」
「ケイタさん……」
そっと顔を離す。フィーラさんにキスを返す。
「今は、ここまで。これ以上あなたに溺れてしまったら、多分俺は立てなくなる」
「……立つ必要があるの?」
「あります。あなたの幸せのために」
「私の幸せは、ケイタさんがそばに居てくれること、ですよ」
「そのために、今あがいています」
微妙に噛み合わない会話。わかっていて外す。少し怒りの表情を浮かべるフィーラさん。
「がおー」
可愛く吠えるといきなりフィーラさんに喉に軽く噛みつかれた。
「何するんですかもう」
「ケイタさんはいつもそう。やっと大人になったばかりのはずなのにお父様とお話しているみたい」
「ごめん」
「私には隠し事しないで欲しいな」
「……そう、だな。いくつか話さなければならないことはある、ね」
フィーラさんは測定をしていない。だから俺の身体値が見えていない。
「俺は身体値が全て非公開ということになってる。どうも身体能力がぶっ飛んでいるから、らしい。そしてそのぶっ飛んだ身体能力にはリミッターがある」
今まで誰にも話せなかった秘密。それを解放する。心が少し軽くなる。
「リミッターを無理やり解除すると身体的なペナルティが生まれるが、状況によっては勝手に解除されるもの、らしい」
ルテリアさんを助けたときの吐血。あのときは無意識で10段近く抜いた。フィーラさんがターゲットだったら、もっとぶち抜いていたかもしれない。
「ケイタさん……?」
「何を言っているんだ?って感じだろうが、俺にもよくわからない。はっきりしているのは神々が俺で遊んでいるということ。絶対にこのツケは払わせる」
フィーラさんが俺の顔を両手で包む。視線を合わせる。フィーラさんから俺に顔を寄せ、そっと口づけされる。
「ケイタさん。落ち着いてね」
「落ち着いている」
キスを返し、フィーラさんをそっと支える。頭の中に熱せられる部分と冷静になる部分が同居する。熱と氷の溶け合う感覚。
ゆっくりと離れる。
「ケイタさん……」
「いまは、ここまで、です。まだ私達は夫婦ではない、のですよ……」
「私はあまりそれについて関係ないかな、と思ってるんだけどなあ」
「友であるあなたの父上を裏切れ、と?」
フィーラさんは目を丸くした後、俺をぐーでぽかすかする。
「ここでそれを出すのは卑怯ですよケイタさん」
「ええ、卑怯者で、いくじなしで、ヘタレのケイタです」
にっこり微笑む。フィーラさんは溜め息を一つ。
「私、そんなに魅力ないのかなあ……」
「いいえ」
「え?」
「ケイタのムスコは暴れたくてしょうがないんだけど、ケイタがヘタレなんだよ」
裏声で言う。クスクス笑うフィーラさん。
「あら、あの暴れん棒ちゃんはお父さんのせいでおとなしいのね」
「そうなんだよー」
大きく笑うフィーラさん。
「じゃあ、どうしたら暴れられるのかしら?」
「結婚したら、みたいだよ」
フィーラさんはそれを聞いて、またキスしてきた。フィーラさんの漏れ出る吐息を感じながら、ずっとキスをし続ける。
「私は、いつでもいいんだけどなあ」
キスを終えた後言われた。
「んー、そこは男の意地、ですよ」
普通の声で返す。
「……ばか」
俺、いつもフィーラさんにばかばか言われている気がする。
「そうですね。ばかです……さて、パンとスープ、冷めないうちにいただきますね」
椅子に座り、さあ、食べよう、とした時に横でじーっと見ているフィーラさん。
「あのー、ものすごく食べにくいのですけども」
「お気になさらず」
視線を無視してスープを一口。これ、少し塩が強め。料理長にしては珍しい。もう一口。
「……どう、ですか?」
ああ、なるほど。スプーンを置き、一呼吸。
「あの……」
「美味しいですよ。ありがとう」
急に立ち上がり、抱きしめてから耳元で囁く。硬直していたフィーラさんがそっと抱きついてきた。
「んもう、意地悪」
「はい、ヘタレ意地悪ケイタさんです。ではちゃんといただきますね」
スープとパンを美味しく食べた後、フィーラさんは食器を持って出ていく。それを見送り、ドアを閉じたところで気が抜けた。ドアに寄りかかり額を右手で覆う。
「まったく……」
心を揺らされ、混ぜられる。まだまだなのだなと思い知らされる。頭を振り、溜め息一つ。顔を叩いて気合を入れる。
気分転換には大浴場。この城の素敵な施設を堪能することにする。
階段を降り、地下へ。
大浴場に入る。一人だけだった。貸切状態。
まずは体を洗い、湯船へ。
「くーっはぁーーー」
自然と漏れる声。
緊張が抜ける感覚。風呂は偉大だ。体を伸ばし、湯船の縁に頭を置いて天井を眺める。
フィーラさんに秘密を語った。ガルに伝われば扱いはまた変わる、かもしれない。それはそれでいい。敵はルヴァート。ついでにグンダール。
「ケイタさーん、いますかー?」
浴室に響くフィーラさんの声。
「いますよー」
「じゃあお邪魔しますねー」
最近フィーラさんはためらいがなくなってきた気がする。
小さな水音と共に、隣に来る。
「何が、見えるんですか?」
「天井だな」
「そうですか」
フィーラさんは隣に座る。
「さっきの、リミッター、というお話。身体的なペナルティってどんなことが?」
「たいしたことはないよ。死ぬようなペナルティはないし」
「血を吐いたこと、母から聞きました。あれはもしかして」
「あー、うん、そんなこともあったね」
山岡に対する魔術霧消のときのやつ、か。
「ルテリアさんに怪我させるわけにはいかなかったからね」
「ありがとう」
「どういたしまして」
初めて一緒に入ったときのように、ピッタリ寄り添うフィーラさん。
「んー、嬉しいんですけどね。当たってるんですよ」
「当ててるんですよ? 知りませんでした?」
「知らなかったなあ……上がりますね。おやすみなさい」
風呂から上がる。いや、まあ暴れん棒は暴れたい状態だったけども、それはねじ伏せる。
「あ……」
フィーラさんが小さく声をあげる。
「おやすみなさい」
「んもう……おやすみなさい。ヘタレさん」